王と道化とその周辺

ちっぽけ嘘世界へウインクしておくれよBaby

蛹、脱皮中 ~御園座 Travis Japan主演『虎者 -NINJAPAN- 2021』~

これまでのあらすじ

『虎者』という舞台は、2019年秋に初演を迎え、そこから数えて3年目となる。
 その内容のあまりの斬新さに語ることを控えるものが続出したという(大嘘)初年度。雑誌による事前情報から物議を醸しつつも大胆な改変を試み、時の状勢により配信公演もあった2年目。それぞれについての論考はこちらの記事にまとめている。

nasamu-konirom.hatenablog.com

 本稿は前記事の内容をふまえつつ、今年の『虎者』について比較研究するものだ。まず目を通してから以下の本論に進んでいただきたい。

 さて、今年はといえば、ワタクシ初めてトラジャの公演に自力で席がご用意されました。
 3年目の正直である。今回応募にあたって同行者もFC会員である必要があったことが影響している、のかどうかは知らんが、むやみな応募は控えられたのかもしれない。誘い合わせる友人もおらない我が名義は単騎がけで地元公演のみに応募したので、それがペア間の穴埋めとして機能した可能性もある。ともかくにも、土曜昼の一席は確保できた。
 加えて今回、地元御園座公演もあった。母の御園座プラチナ会員特典が火を噴いて、翌日曜の昼の二席がご用意された。クイズ番組に如恵留さまが出演していると必ず報告メールしてくれるようになった我が母上に、ようやく間近でトラジャたちを観る機会を作ることができたわけである。

※基本的に2019年の初演版は『2019』または初年度、昨年の公演は『2020』、今年の公演を『2021』と表記し、『虎者』は全年通じての作品そのものを示す。また作中のトラジャメンバーを指す固有名詞についてはカッコなしの虎者(たち)、それ以外のなんだかよくわからない概念、一般名詞的用法はひとまず「虎者」と分けて表記する。

基本設定と話の流れ『2021』版(公演会場:京都/東京/愛知/広島)

・Eternal Producer:ジャニー喜多川、構成・演出:滝沢秀明脚本クレジットなし(なんでや)
・近未来設定は明言なし。
虎者7人は兄弟設定ではなく、本名をもとにした役名設定を個々に与えられている。(なお、宮近→カイト、川島→ノエル以外のメンバーは本編シナリオ上で目立って呼ばれる場面はない)
・赤衣装と青衣装チームに分かれたパフォーマンスはあるが、「紅孔雀」「碧鷺」というチーム名設定はなくなった(赤忍者・青忍者と呼ばれている様子)
・今年から後輩Jr.グループIMPACTorsはフルメンバーで参加しており、「影虎」という集団名と、それぞれの役名設定を与えられている。(こちらも、ハヤブサオオワシ、ミミズク、ミサゴ以外はシナリオ上に確定で呼ばれる場面はない)彼らはこの世を支配する「大悪党カゲロウ」の部下として働いている。
・朱雀は「預言者」として、『2020』のときのような白髪の老人の姿で、新アイテムの杖を持って登場する(「舞の力」設定も無し)
・朱雀が「いでよ虎者!」と天に祈ると「悠久のときを超え、天空より舞い降りし戦士」が「雫」となって(パンフレットのあらすじより)空から降りてくる。
・OP(『Namida~』パフォーマンス)後、本編開始。過酷な鍛錬を終えて立派な戦士となった虎者たちに、朱雀はカゲロウ討伐の命を下す。己の実力を不安に思うマツダに、「みんなで力を合わせれば、絶対、大丈夫だよ!」といったような声を掛け合う虎者たち。
・朱雀の「預言」により、カゲロウの勢力が二手に分かれて攻め入ってくると神託がある。カイトは「一つずつ潰す」ことを提案するが、ノエルは「一方の相手をしているうちにもう一方に気づかれる。こちらも二手に分かれて同時に叩く」という対案を出す。マツクラ・マツダはカイト側に、シメカケ、ナカムラ、ヨシザワはノエル側に賛同する。
・朱雀にも意見を仰ぐが、判断は虎者にまかされる。カイトは最終的に、二手に分かれることを決断する。
・虎者たちが上手と下手へ走り去ったあと、なにやら意味深なことをつぶやく朱雀「預言は常に変わる……カゲロウよ、今こそ運命の時だ!」
・一方その頃、カゲロウ率いる闇陣営も、虎者陣営との対決を前に集結していた。しかしハヤブサだけはカゲロウに協力的ではない様子。
・赤忍者たちのパフォーマンスのち、モブ敵との戦闘シーン。手勢の数が異様に少ないことから、戦力を分散させる陽動作戦だと気づく。「ノエルたちが危ない!」
・青忍者たちはカゲロウ本隊と衝突。圧倒的多数からの攻撃にひるみ、転倒したナカムラを庇って負傷したノエルはそのまま敵に捕らえられてしまう。
・カゲロウはノエルを人質として、残る青忍者に「朱雀を連れてこい」と命じる。ノエルは己にかまわず逃げるよう仲間に言い、悔やみつつも青忍者は撤退。
・「殺せるときにすぐ殺す」というカゲロウの教えにしたがってノエルを始末しようとするハヤブサ。しかしカゲロウは「虎者が戻ってきたときに一網打尽にする」といい、その場では殺すなと命じる。カゲロウの決定に疑問を抱きつつ一同撤収。
・ここでストーリーを要約したかのようなダンスパフォーマンス。朱雀に従う虎者たち。カゲロウのもとに集う影虎たち。戦いの末に攫われるノエル。朱雀が虎者を操るような様子。ハヤブサに杖を渡す朱雀。朱雀に追いすがるも振り払われるカゲロウ。ハヤブサと戦うが、敗れるカイト。愕然と見つめるカゲロウ――これらが次々と表現されていく。
・影虎たちに「地獄谷」(朱雀引き渡しの集合場所)へと連れてこられたノエル、痛めつけられている(可哀想でとてもおいしい)
・人質を殺すの殺さないのでもめている影虎たち。そこにハヤブサがある「内緒話」を伝えてくる(客席には知らされない)ノエルはその情報に動揺する。「まさか……そんなはずが……!」
・情報を聞いた影虎たちはカゲロウを裏切ることに決める。情報を聞かれたことを理由にノエルを斬り、岩場から谷底へと突き落とす。
・影虎たちの去った地獄谷に現れるなんだか元気のないカゲロウ。オオワシたちの名を呼ぶが、誰もいない。そこに虎者たちが駆けつける。
・朱雀は連れておらず、ノエルの安否を尋ねる虎者たち。どうにも様子がおかしいカゲロウを問いただしていると、そこにハヤブサの放った矢文が飛んでくる。「危ないっ!!」(例のやつ)
・矢文「仲間は死んだ。朱雀も捕らえたYO☆」  虎者「ノエルが死んじゃったーー!?」(なぜかカゲロウも苦しんでいる様子をみせる。)
・悲嘆に暮れるが、ノエルの生存を信じ、朱雀を助けに向かう虎者。朱雀と引き換えにするためカゲロウを連行する。なぜか大人しく付き従うカゲロウ。
・影虎たちが朱雀を取り囲む現場に虎者一行が到着。人質交換のようなかたちで、まずカゲロウを引き渡す。そこでカゲロウは影虎たちに朱雀を殺すよう命じるが、歩み出たハヤブサは朱雀ではなくカゲロウを攻撃する。「裏切ったな! このクソおやじ……!」
実は「預言者 朱雀」こそが「闇の帝王」であり、カゲロウの父であった。カゲロウは次代の闇の王として育成されていたのだ!
虎者はカゲロウを真の闇の帝王とするための試金石として仕込まれていた。「本物からしか本物は生まれない」――ようするに「真の闇の帝王は虎者を倒すことで完成する」ということらしいぞ!
・しかしカゲロウはノエルに手を下せなかった。軟弱なカゲロウは真の王に相応しくない、と朱雀はカゲロウを廃し、新たな「闇の帝王」としてハヤブサを指名して己の杖を渡す。
・「ノエルなき虎者など猫軍団」などと嘲り、カゲロウを始末しようとする朱雀。そこへ突然、岩場の穴からノエルが躍り出る。「そうはさせない!」
実は生きていた(蘇った?)ノエル。虎者たちはノエルを迎え入れ、手負いのためこれからの戦いで迷惑をかけるかも、と詫びるノエルに、「生きていてくれさえすればいいんだ」と応える。
・ついに全員集合した虎者、いよいよ影虎たちとの戦闘がはじまる。ノエルはカゲロウを庇って動くがわりとすぐはぐれる。
・カゲロウは朱雀と対峙する。カゲロウの母親を殺したのは朱雀で、カゲロウは次代の闇の王として振る舞いつつ、復讐の機会をうかがっていた。「だからノエルを殺さなかったというのか」と納得する(? そもそも跡目を継ぐ気がなかったことをここで知った?)朱雀。
・追い詰められたカゲロウは虎者たちに「平和な世を取り戻してほしい」と願う。そこに「真の虎者」となった虎者たち(白衣装)が駆けつけ、光魔法かっこいいポーズを決める。
・ここから回転トランポリン、横スクロールトランポリン、壁登りなどアクションが続く。トランポリンへの投影映像と効果が増量。ダンスとプロジェクションマッピングの融合技とでっかい羽根(黒)映像は影虎たちの戦闘描写として使われる。
・戦闘も大詰めになり、入り乱れる中、攻撃を受けて倒れたカイトを庇ってカゲロウが斬られる。
・カゲロウは虎者たちに朱雀の悪行を伝え、どうか子どもたちの笑い声があふれる世界に……と想いを託してこと切れる。虎者は平和への遺志を継ぎ、朱雀への憤りもあらわに立ち向かっていく。
・お召し替えして闇衣装をまとった朱雀、虎者たちのヒヨッコ時代を回想しつつ、絆なんて闇の世界にはいらん、勝てるわけがないと挑発する。「いでよ虎者!」
・しかし7人揃った虎者パワーは強力で、影虎たちを退け、ついにハヤブサと朱雀を追い詰める。「これが平和を願う人々の力だ!」
ハヤブサは諦めず、朱雀をも裏切って装備品を奪い、その力を己のものとして再度立ちはだかるが、総攻撃を受け、高笑いとともに消失。
・すべてを終えたのち、ほっと一息つく虎者たち。「とんだ災難だったな……」
・敵の手に落ちたことを詫びるノエルと、置いていったことを詫びる青忍者たちの詫び合戦に、「二度はくどいぞ♪」とマツクラが場を和ませ、改めて絆を確かめ合った虎者たち。一件落着のムード。
・が、まだまだ闇の勢力は消え去ったわけではない(敵勢力たちが奥から現れる)世の平和のために虎者は決意を新たにする。おれたちの戦いはこれからだ!(幕)

これが『虎者』だ2021

 この3年間のうち、毎年様々に場面や登場人物設定を変えてきた『虎者』だが、根本として変わらない部分もある。トランポリンアクションを特徴とする、忍者をモチーフにした時代劇・特撮ヒーローもののような作品であること。つまり、単純な善と悪の概念にのっとって光と闇の陣営が分かれ、両陣営がさまざまに交錯するなかで「驚愕の真実」が明されて、最後には善が悪を成敗するが、これからも戦士虎者の戦いは続くのじゃ……といった勧善懲悪ストーリーである。
 主要登場人物全員が悪玉の家族設定で、その中の特異なものとして善の虎者が生まれたパターンが初年度。善の英雄朱雀が二代目として育成した息子の虎者と、悪党のカゲロウがいて、しかし悪党になった原因はかつて悪逆の限りを尽くした父朱雀だったというオチの『2020』。そして今年は過去2年のハイブリッドといったところで、善の虎者が、悪のふりをしていた善玉のカゲロウと、善のふりをしていた悪玉の朱雀の真実を知り、悪に立ち向かっていくという構図になっている。
 朱雀とカゲロウの善悪のポジションが途中で入れ替わるが、「改心」や「闇落ち」の要素はない、ということさえ押さえられていれば、主軸となるストーリーはかなりマシ まとまったものに仕上がっている。

ここが違うぞ2021

 まず、昨年さんざん文句つけた「舞の力(があるのに殺陣で刀を振るう)」、これが綺麗サッパリなくなっていたので及第点には達している。
 この激低ハードルすら越えられるか心配だったところなのだが、上記の点に加えて、今年の『虎者』は意外なほど、良くなっていた。初年度を1とし、『2020』が2であるとして、今年は「5」くらいに上がっていると思えた。
 しょーじき言って、「最初からこれくらいやっとれよ!!!!」と思うところではあるし、このくらいで感激しているのは過去2年の異常さに慣らされてしまっただけというおそれも大いにある、だろうが、それでもようやく見えた改善の結果として下記のトピックで書き残したい。

【2021年の『虎者』はここが違うぞ】
1. 虎者たちに名前がついた(主演側のドラマができた)
2. 構成の変更で演出意図が明確になった
3. シナリオらしいシナリオが生えてきた
4. テーマがちゃんと実情に合ってる

1、虎者たちに名前がついた(主演側のドラマができた)

 やっと、やっとです。まっとうに座長(トラジャ)がドラマするようになりました!
 そのドラマが成立する最大の革命的変更点が、「ついに虎者たちへ名前がついたこと」なのは言うまでもない。
 トラジャ7人まとめてタマタマやタイレーツのような扱いだった過去2シーズンの『虎者』であったが、ようやく、3年目にしてようやく、個々に名前が与えられることになったのだ。
 これまでなぜ彼らに名前が与えられなかったのかは昨年の記事で述べている。
 この「トリプルカイト、ジャニ舞台設定に向いてない問題」をクリアにすべく、今回の虎者たちからは家族設定が廃され、朱雀がどこからか召喚(?)し、戦士として育てた、という設定に変更されている。兄弟ではないため、違う苗字(近未来の銀河の氏名制度は知らんけど)を名乗ってもよく、宮近海斗川島如恵留以外のメンバーはそれぞれシメカケ・ナカムラ・ヨシザワ・マツダ・マツクラと名付けられている。
 ただ、この点はかなり妥協してのものと思われる。実際に台本中に名前を呼ばれる台詞があるのは、虎者のリーダー格であるカイト(宮近海斗)と、ストーリー上で重要なポジションを担うノエル(川島如恵留)だけ。他のメンバーの名前は台詞に出されることはない。パンフレットにも説明はないので、外部の雑誌等の情報を追っていなければ、カイト・ノエル以外のメンバーに一応名前があることさえ気づかないだろう。また、普段彼らの中で使用されている通称とも違う。メンバー間で呼び合うときも、我々ファンのの間でも、「カイト」といえば「中村のカイト」を指すことが多いし、そもそも苗字のみで呼ばれるメンバーは少ない。今回の役名は、Travis Japanと虎者のイコールを成立させるギリギリのラインである。
 だが、それでも冒頭の意見が分かれる場面が各段に伝わりやすくなり、それによって二手に分かれる理由もきちんと説明でき、仲間の危機的状況では必死に名前を呼び、死の報せに動揺し生還すれば喜ぶ、というドラマを演じることができるようになった。少なくとも前年のような「朱雀とカゲロウとハヤブサの物語」ではなくなったのだ。
 今後も虎者が続くようなら、最低限パンフレットには役名を記載した上で、他メンバーの名前も台詞に載せるべきだし、台本になくとも戦闘中に互いの名前を呼びかけあって連携をとっている風に見せていくべきではないかと思う。

 対する闇陣営、影虎たちにも全員に名前がついた。初年度から名のあるハヤブサ(佐藤新)、同じく初年度から参加し、一度は名無しキャラになったものの大復活を遂げたオオワシ(影山拓也)。他、ミミズク、ミサゴ、ノスリアカモズクマタカの5名だ。彼らは純然たる「お話の中の悪役」であるため、IMPACTors本人たちとは絶対に紐づけしてはならず、固有の役名を与えられている。
 ハヤブサオオワシのみ登場の初年度には匂わす程度だった「実は謀叛を企てているのはこいつらの方」設定が、ここへきてきちんと活かされることになる。カゲロウの配下だったが、最終的には全員が裏切り(悪サイドであることは変わらず)最後には悪の帝王朱雀をも裏切る。これは、善たる虎者の絆と対比される「悪玉は悪であるがゆえに情や絆などない」という描写だろう。
 ちょっと面白い点として、影虎たちがカゲロウを裏切ったのち、誰もいない地獄谷のシーンでカゲロウが「オオワシ、ミミズク、ミサゴ」の名前を呼ぶところ。おそらく、カゲロウ軍団にも虎者のカイト派(赤忍者)ノエル派(青忍者)のようにカゲロウ派・ハヤブサ派がうっすらとあり、名前を呼ばれた3人はカゲロウへの忠誠度がより高いメンバーだったのだと思われる。まぁこの時点では全員に裏切られてしまっているわけだが。(そして呼ばれなかったノスリアカモズクマタカは劇中の確定台詞のみでは名前不明のままである)
 
 また今回、虎者は朱雀(中国神話に由来する「四聖獣」のうち、南を司る朱い鳥)の身内のものではないため、鳥の名前を冠する「紅孔雀」「碧鷺」というチーム名を採用していない。その代わりのように影虎たちがみな鳥類の名を賜り、初年度に宮近が使った「赤い翼」の技は、黒い翼としてハヤブサが使用する。このことから、『虎者2021』における「鳥」は悪玉のモチーフで、虎者は白い羽根を纏ってはいてもけして鳥ではない。おそらく「虎に翼」のことわざを体現しているのではないかと思われる。
 また朱雀の娘であるカゲロウは、「陽炎」か「蜉蝣(もしくは蜻蛉)」か。どちらにせよ鳥類ではないため、悪玉側の人間ではないことを示唆されている。
 
 

構成の変更で演出意図が明確になった

 例年からかなり改良された点が各場の構成である。とくに初年度は「やると決まっているパフォーマンスを頭から並べただけ」のように見え、場と場の繋がりがまったく感じられなかった。
 今回、虎者たちが赤と青に分かれて披露するパフォーマンスは、
 
1、敵が二手に分かれているので、こちらも二手に分かれて行動することになる
2、赤忍者サイドのパフォーマンス
3、そのまま赤忍者vsショッカー数名の戦闘シーン。敵の様子から、もう一方の青忍者の危機を悟る
4、場面が移り、青忍者サイドのパフォーマンス
5、そこにカゲロウたちが現れ、ピンチ!
 
 といった風に、パフォーマンスからシームレスにドラマパートへ移ることで、赤・青のダンスパフォーマンスがストーリーから浮かず、フィールド移動と戦闘の比喩表現であり、時間経過を表していることがわかるのだ。
 「ダンスパフォーマンス=時間経過」という法則に気づくと、冒頭部分の理解も早まる。今作ではまず「預言者 朱雀」による虎者召喚の儀式(?)があり、OPテーマ的存在『Namidaの結晶』のパフォーマンスを経て、本編開始時には朱雀が「修行からの卒業」を宣言する。つまり『Namida~』のパフォーマンスは虎者たちの修行期間(時間の経過)を表しているのである。
 トランポリンに関しても、それが移動や戦闘の表現であることが、より伝わるよう演出が追加されている。初年度からあった横スクロール移動風の映像や、ノエルによる光魔法オーバーヘッドキック、屋根の上を走るウォールトランポリンなどに加え、壁などの障害物を破壊したり、(影虎たちであろう)黒い鳥の攻撃をかわしたりという映像演出の投影が追加されていた。基本の技を一人ずつ披露するパートや、回転機構のトランポリン(トランポリンの縁に引っかかってうごめくショッカーのみなさんが追加されて戦闘シーンらしさは増している)についてはまだ工夫が必要かと思うが、「なんのためにこれはあるのか」という疑問は抱きにくくなってきている。
『虎者』におけるトランポリンは『Endless SHOCK』におけるコウイチの「フライング」および「階段落ち」なのである。エンタメニュースや音楽特番のミュージカル特集内で紹介されて「知らんけどなんかすごいことやっているらしいね」と、おそらく一生見に来ないであろうお茶の間のみなさんにも話題として伝えられるキャッチ―なトピック……文字通りの「飛び道具」だ。何歳で何回でんぐり返ししたとかそういうやつだ。それはもう、どうしようもなくそういうものとして存在しているし、それ「ありき」なのだ。しかし『SHOCK』は劇中劇という演出、ショー中ショーという設定でストーリー内にあれらの飛び道具を溶け込ませることができている。その裏技が使えない虎者は、トランポリンをもっと「虎者だけ使える最終究極奥義☆ウルトラトランポリンパワー」としてストーリーに溶け込ませていく必要がある。(『2020』の「舞の力」設定にはそのポテンシャルがあったと思う。結局使いこなせず捨て設定となってしまったが。)
 演者のお着替えや休息、セットの準備等考えることも多いだろうが、今後もブラッシュアップが期待できそうだ。そろそろ基本技のパートはいらんのじゃないかな。準備運動みたいなもんでやらなかんのかなアレ……。
 
 

シナリオらしいシナリオが生えてきた

 本作では、昨年『2020』ではクレジットされていた脚本担当者が掲載されていない。なんでやねん、と思うが、今年は今年で、ちゃんとそれらしいことをやろうとはしている。 
 名前が実装されて主役サイドにようやくドラマが生まれ、場面と場面の繋がりもちゃんとあり、最低限、お話としての体裁が整った。その上で、台詞・エピソードからシチュエーションの対比がしっかりと見えたのは今回が初めてのことだったと思う。
 ノエルを捕らえたとき、「殺せるときにすぐ殺せ」と影虎たちがカゲロウに教わった(カゲロウはそれを朱雀から教わったと後に明かされる)、というくだりがある。これは谷底から復活したノエルが「簡単に死んではいけない」と朱雀に教わった、というエピソードと対比されている(どう努力すれば「簡単に死」なないでいられるのかはともかくとして)(「最後まで生きることを諦めてはいけない」ぐらいが妥当じゃないかな「教え」としては……)
「殺せ」と教えた者(カゲロウ)が「殺すな」と命じてくること、「死ぬな」と教えた者(朱雀)が殺そうとしてくる黒幕だったことの対比である。本作の真相である善玉と悪玉のクロスがこのエピソードに現れているのだ。
 もうひとつ対比されているのが、冒頭も冒頭、預言者朱雀による召喚の儀式(?)での「いでよ、虎者!」という台詞、これとまったく同じ台詞が物語後半にも登場する。闇の帝王の衣装にお召し替えした闇朱雀が、「真の虎者」となった虎者たちに向かって「来れるもんなら来てみんしゃい」と挑発するために言うのだ。「いでよ、虎者!」
 このことに気づいたときは「やればできんじゃん!!!!」と感心してしまった。同じ人物が、同じ相手に、まったく同じ台詞を放つが、違う立場となったため違う意味をもっている、というなかなかテクニカルな演出である。
 あの初年度から考えたら急成長である。思い出してほしい朱雀が3回死んだ初年度を。ナミダの詠唱で終わった初年度を。しかしこれが「脚本担当者がついたから」ではない様子なのがなんというか……なんででしょう?
 やっぱりこう、ちゃんと責任の所在を明らかにしてほしいし、プロに任せてほしいんですよね仕事を。なんなら私に依頼してくれてもいいですし、いい書き手紹介しますし……DM待ってます(?)
 
 

テーマが実情に合ってる

 毎年、多様に変化しつつ物語の根幹を担うのがカゲロウ・朱雀の設定だ。
 今回、二人は相対する捻った立場にいる。カゲロウは悪玉のふりをした善玉であり、朱雀は善玉のふりをした悪玉である。このクロスが、一見では少々わかりづらい。
 本作で明されることの真相は、朱雀を裏切っていたのはカゲロウのほうで、朱雀が騙していたのは虎者だけだということだが、この構図は初見だと(過去作の設定を知っているから余計に?)すぐには把握できなかった。人質交換シーンでのカゲロウの「裏切ったな!」が誰に対してなのかわかりづらかったのもある(影虎に対してならわかるが、朱雀に対してだと前提に反しているのは自分のほうなので「裏切り」とは言い表し難いのではないだろうか……?)
 二人が実の父子である設定を初年度から、母(今作では朱雀の妻でもある)を朱雀が手にかけた設定を『2020』からそれぞれピックアップしつつ「母を殺した父を恨み、父から悪の世継ぎとして育てられながら復讐の機会をうかがっていた娘カゲロウ」というパンチ強めの設定に練り直されている。そしてこれは初年度版の「どうしたって親子は親子だし、許そ?」というテーマから完全に離れた、というかぶっ壊した。「親子だろうが殺し合うことはあるし、絶対に許せないこともある」という真逆のテーマをぶつけてきたのだ。かなりの変化だと思う。
「家族の絆」だけを推していた初年度との違いは、虎者サイドにしても同じで、どこからか召喚された(?)虎者たちにはもちろん血の繋がりはなく、朱雀の言によると呼び出した当初は「お互い敵か味方かもわからず、いがみ合い罵り合っていた」という。そこから長きにわたる修行の中でお互いを認め合い、絆が生まれ、「誰一人欠けてはならない」「7人でなければ虎者ではない」というまでになるのは、現実に存在し我々がよく知るトラジャのメンバーたちや、他のアイドルグループが活動の中で仲間として成熟していく過程のままである。端から家族設定にして語るのではなく、演者の歩んできた道のりに寄せ、より説得力のある絆として描いているのである。
 悪玉サイドには情も絆もないことは前段でも述べた通り。かつ、カゲロウと朱雀の親子設定によって、縁故主義を廃した実力主義の企業みたいなテイストがあった。娘であるカゲロウが闇の帝王の器でないと判断すれば即切り捨て、血縁ではないが悪党として有能な部下ハヤブサを二代目として指名する。
 と、ここまで書いて、このハヤブサのポジションがまさにJ事務所におけるフクシャチョーのポジションなのではないかと気づいてしまったのだが……つまり……その……どういうことだってばよ?
 
 

中盤のコンテンポラリー・ダンスパートについて

『虎者』シリーズの中で本作『2021』版をより特徴付けているのは、影虎たちによってノエルが捕らえられた後に披露されるコンテンポラリー・ダンスのパートだ。『ザテレビジョン 10/9号』などの情報によると、このパートの振り付け構成と演出を宮近海斗川島如恵留が手掛けているという。
 二人は今年、トラジャソロ公演『IMAGE NATION』において『Roling days』という曲の演出とパフォーマンスを共同で行い、その奥深い世界観と表現で多くのオタクが震え上がっ……観客を驚嘆せしめたのだが、その二人によって演出されたパートということで開演前から話題になっていた。
 このパートはセリフはもちろん歌唱もなく、ダンスのみで『虎者』を表現しているという。過去2作にあったLED棒と靴のストンプダンスに代わるかたちで挿入されているため、あの三色に光る棒と靴も三陣営のせめぎ合いであるストーリーをうっすら表現していて(いたはずだ、と思いたい)、それをさらに分かりやすく発展させたものであろう。
 朱雀に従う虎者たち、カゲロウ配下の影虎たち、連れ去られるノエルなどの描写はここまでの話の流れのまとめ(過去と現在)そしてまだ明かされていない朱雀とカゲロウの確執、朱雀からハヤブサに渡される杖など、最後までストーリーを見なければわからない、ある意味でその後の展開バレのような表現もある。つまり、その時点より「未来」のことまでこのパートでは描かれているのだ。
 このパフォーマンスがただストーリーを補佐するダイジェスト「3分でわかる『虎者2021』」としてあるのではなく、「ストーリー上に意味あるもの」であるとして解釈するならば、「過去-現在-未来」まで見通すことのできる者が見た風景と考えられるのだ。ここで、「預言者」である朱雀のことが思い出される。朱雀が「預言者」であることはパンフレットの記述によるものだが、作中での扱いは「預言(神霊による啓示を伝えること)」と「予言(未来を予知すること)」とが意図的にか単なる勘違いかで混同されているように見受けられる。
 この先に起きることを予期するかのような「未来」の様子――朱雀がハヤブサに杖を譲り、カゲロウは朱雀から無碍にされ、譲られた杖でハヤブサはカイトを葬る――この一連の表現は誰の見たものなのか。虎者たちがどうしてこの世にあるのか、朱雀とカゲロウの関係性、これらをすべて知り得ていて、かつ予知の能力を持っていてもおかしくない者……それはカゲロウである。朱雀の正体を知り、虎者たちが何ものであるかも知っていて、かつ朱雀の実の子であるカゲロウには、朱雀と同様に「予言(預言)」の力が備わっているのではないか。その証左として、あのパフォーマンスのラストでカイトが斃れ、暗転で消えたのちもカゲロウだけは舞台(花道)上に残っているのだ(そして、この悪い予知を見てしまったがゆえに、次の場で一人出てくるカゲロウはやけに弱々しく、心細そうに、落ち込んでいるように見える)
 カゲロウはこの後、戦闘の中でカイトを庇って命を落とす。
 物語冒頭での朱雀の意味深なつぶやき「預言(予言)は変わるもの」……これは伏線であり、「カゲロウがカイトを庇って命を助けることで、予知された運命を変えようとした(そして実際に変わった)」ことをも示しているのだ。
 
 

それでもなぁーちょっとなーーというところ

 昨年にひき続きなんだけど、カゲロウつよつよ設定、活きてない。
 登場した瞬間はめっちゃ強くて畏れられてて、ハヤブサも舐め腐っては他影虎たちにたしなめられるほどなんだが、ストーリーの都合上どーーーにも正体明かした後の弱体化が激しすぎて、これまで悪のヘッドやれてたの何で? という疑問が出てきてしまう。後半のやられっぱなしは見ててしんどいまである。ただ「女の武器」がどうとかいう昨年の最悪シーンが消えてたのでかなりマシになってはいる。カゲロウは「恐るべき大悪党」であり「(廃嫡された)娘」であるが、「女」という扱いは終始、されていないのだ。襲撃を受け、捕らえられ、殺されるのはノエルも同じである(生きてたけど)。
 その辺にいちおう気を気を遣ってるっぽいのは、ハヤブサが「闇の帝王」を襲名し、調子づいた影虎たちが「子どもを泣かす!」「ジジイババアも!」とイキり散らかしているくだりでも見られる。悪玉の悪辣ムーブとして、「子ども」に次いで並ぶのは「女」が順当と思われるところを、ふわっと避けたな、と思った。この舞台の観客が99.5%くらい女性であることを忘れていなかったんだな~と。
 
 その他、細かい矛盾はさておいて、それなりに話としてはまとまってきた『虎者』において、まだ足りていないもの、それは悪党の悪行に怯え暮らしているはずの、戦士ではない世の人々の姿である。
 恐らくだが『虎者』は「未デビュー」であるトラジャというグループを役柄に反映させていて、作中の虎者たちは実戦を積んだ戦士ではなく、修行期間が明けてすぐ……いわば初陣でボス戦に突撃しているためだ。(そして昨年に引き続き、トラジャたちはこれからも世界で活躍する予定なので、虎者たちの戦いにもエンドマークを付けられないがゆえの、ラストの打ち切りEND演出である)
 初陣であるらしい虎者からは、どこかにいるらしい虐げられている人々との関わり合いが感じられない。「平和を願う人々の力だ!」と勇ましく語っていても、その背景が薄くて、いまいち説得力に欠けるのだ。
(「空から落ちてきた雫」から現れ、実は黒幕である朱雀のもとで「光の戦士」になるべく修行をしてきたという虎者たちは、外界と関わりを断たれた状態で生きてきたのではないか。なんつーかカルト宗教とその中の子どもっぽいんだよな今回の朱雀と虎者の関係って。)
 これが年間通して放映される日曜朝のTVシリーズならば、初陣でいきなりボス戦なんてことはなく、襲撃を受けて町を逃げ惑う様子や、ヒーローの活躍で助けられた市井の人々との交友なんかも画として入れられる。様々な制限下にある舞台においてそれらを再現することは不可能であるから、実際にキャラクターとして登場はしなくてもいい。それらは物語の背景であり、世界設定のディティールとして、台詞の上に出せばよいのだ。「このあいだ襲われてたあそこの村、その後の様子はどう?」とか「あっちの村の子が不安がっていた。なんとかしてあげたい」とか、いくらでもやりようはあるのだ。
 なんなら、ヒーローショーらしく、「平和を願う一般人民」としての役割を我々「観客」が担ってもいい(影虎担たちのことはいったん置いておく)「みんなー! オラに力を分けてくれ!」のアレだ。観客に向かって、「力を貸してくれ! 人々の平和を祈り願う力が、俺たち虎者の力になるんだ!」とかやってみればいい。どのみち声は出せんし、祈ったことすればいいので。
 
 改めて考えると、この辺のひっかかりがあってのことだろうな~。ラスボス戦を終えたあとの「本日の総評」パートでの彼らの結論に対する「けっこうな被害が出てるのにそんな『雨降って地固まる』みたいな話にさらっとまとめてええの?」という疑念は。
 まぁ、初年度よりはだいぶ「父なるもの」から距離をおけてるとはいえ、あのように結論できるってことが、平和とか未来とか言いつつ社会との繋がりが希薄そうに見えるところで、まるでこの世に自分たちしかいないみたいだよ。
 そういう意味で、『虎者』は「セカイ系」なのかもしれない。

そのほか細かいネタ、ツッコミどころ

・「悠久の時を超え」て、「天空から降りてくる雫」が虎者。もし今作に近未来設定が生きているなら、虎者はおれらの知ってるトラジャが転生した姿なのかもしれない。
・「雫」と表現していること、召喚の儀式からOPテーマ『Namida~』に入ることから、「Namidaの結晶」は「虎者」なんじゃないか説出てきた(3年目の新解釈)
・「修行を終えて一人前の戦士になった(もうカゲロウと戦いに行ってもいいぞ)」という言が朱雀から出たわけだが、『2019』時点では虎者たちは「修行中」だったことを思うと……?
・戦隊でいう司令官ポジなら「朱雀様」でもええ気がするけどそれだと最後の締めくくりのカイトの発言がやや奇妙だから「朱雀殿」でいいのかな。
・「でもぉ……」ってもしょもしょしているマツダちゃんはちょっとSHOCKの最年少・カイトっぽさがあった
・理屈で攻めるぞノエルさん。
・「戦いだけがすべてではない」交渉・説得ができれば戦闘は必要ないという考え方をする人。
・「どちらが良いでしょうか?」「自分たちで決めんしゃい」のとこの朱雀、それまで荘厳風なのにいきなり全てが面倒くさくなったみたいな適当なこと言うのがちょっと面白い。虎者たちも客席も「えっ、えぇ〜~……」って微妙な空気になってるよねあそこ。
・カゲロウの周りで団子になってゴロゴロ転がってるモブショッカーのみなさん、じゃれてる猫ちゃんみたいだね。
・赤忍者はPerfumeで青忍者はBLACKPINK(伝われ)
・一新された赤青パフォーマンス、どっちの曲もかなりイイので、旧曲とあわせてサントラCD出すか少クラでフル尺披露してほしい。
・『虎者』のサントラCD出たら、幻の初年度曲「闇の世界で恋とかしちゃダメダメよのテーマ by朱雀&カゲロウ」も収録されるんだろうか。
・ナカムラちゃんは自分のせいでノエルが捕らえられてしまったから自責の念に駆られているし死の報せに対するショックも大きい。
・カイトも同じく、二手に分かれることを最終決定したのはリーダーである自分なので、コンテパートでは思い悩む表現が多いような。
・ダンスの中で担がれて攫われていくノエルが、抵抗からガクッと力抜くのが2日目の2階席からよく見えました。
・このシーンが幼少のみぎりにポンキッキコンサートで見た「わるいやつに歌のおねえさんが連れ去られるシーン」と激似で、むかしはあんなに怖かったのに今はとても楽しいんだなと己の成長を感じた。
・さらわれた後の部分から過去のイメージも挟まってくるんだけど、ノエルが戻ってきちゃったみたいに見えるんがアレだな。
・子どもの笑い声、怖ッ。
・背中合わせの虎者と影虎をみると、影虎たちの存在も朱雀によるお膳立てに思えてくるし、そうなると己の作った手駒がまったくいうこと聞かない朱雀は指導者としてちょっとどうなん。
・私的ボーナスタイムが続きニヤケを抑えるのに必死になっていたこの辺。
・ノエルを谷底に落としたあとの影虎たちが「落ちてる落ちてる~~ww」みたな感じで覗き込んだり遠くの旋回するハゲタカを眺めるくだりがしっかり演劇っぽくて良かった。地獄谷の空間があの場にちゃんと広がってた。特に好きなシーン。
・谷底に落ちて生死不明の人間は生きてるセオリーなんですよ。シャーロックホームズしかりギンガブラックしかり。
・「地獄谷」なのでノエルが落ちたのはワンチャン温泉だった可能性がある。おさるさんと一緒に傷を癒して生還できたのかもしれない。
・しかしカゲロウ派のように見えたオオワシもあっさり見捨てちまうんだな。
・やけにしおらしくてあっさり連行されるカゲロウに初見では混乱する。ここまでの情報だと「朱雀とカゲロウが内通している?」ように感じられる情報の出し方なので。
・攻撃対象にまたがるの、親譲りだったんだねカゲロウさん。
・朱雀がネタばらししとる間、後ろのほうでマツとマツが威嚇してくるショッカーに威嚇しかえしていた。
・ノエル、崖を地道によじ登ってきたんかなと思うとちょっとおもしろい。
・「足手まといになってしまうかもしれないが……(ヨロヨロ)」だがしかしその後の戦闘でも一番つよい動きしてるノエル。
・ノエルはツンプルに生還したのか、実際死んでてなんらかの奇跡で生き返ったのか、魂が一時的に肉体に留まっていてコトが片付いたら消失する(ブチャラティもしくはコウイチ)のか。コウイチだとしたら最後にカイトがお姫様抱っこで大桜の下に運ぶか、落ちてる白い羽根を拾って切なげに見つめるエンドがいいと思います。
・カゲロウと朱雀が過去の因縁について話しとるとき朱雀のそばのハヤブサが超~~~どうでもよさげな態度でしゃがんでるの好きですね。
・カゲロウは虎者が自分と戦わせて倒させるために父が鍛えている存在と知っていて、いつか共謀してクソ親父倒したるぞと思っていた? ハヤブサはカゲロウの父が朱雀a.k.a.闇の帝王と知って、カゲロウがノエルを殺さなかったことチクって自分のほうが後継者に相応しいですよと売り込みに行った?
・闇の帝王が悪党軍にすら正体を隠していたらしいところはジョジョ五部のボスっぽい。
・ボスとその娘と集団Aと集団Bという『虎者』のキャラ配置自体をちょっといじったらジョジョ五部になることに気づいてしまった。五部だ! 五部を参考にしろ! 滝Pはやく五部読んで!
・ノエルの光魔法オーバーヘッドキックはまさに虎者固有技って感じでいい。
・今年は「鳥」モチーフが完全に「悪」のものになったんだな。
・ノエルの激昂台詞が、そこに至るまで抑えて抑えて抑えて爆発! って感じでとてもよかった。
・パワー(王位)を「渡す」ことを可視化するアイテム杖、「奪われる」ことを可視化するアイテム首飾り、非常にいいチョイス。
・去年消化不良のまま途中退場だったハヤブサがちゃんと回収されたのもよかった。
・もうちょい尺の長い話だったら、朱雀の装備品を奪って装着したハヤブサは朱雀のパワーを制御しきれず鳥型怪獣に巨大化暴走して、それを究極合体した虎者ロボが最終奥義で沈めてるところだったよね。
・虎者ロボはギンガマンとかガオレンみたいに全メカじゃなくて半分生き物みたいなロボがいいし操縦席も機械のコクピットじゃなくて謎空間であってほしい(なんの話)(虎者がニチアサだったときの話)
・高笑いしながら逝く悪役好きだなぁ。
・「とんだ災難だったな。」虎者くんたちの「本日の総評」これ?
・「これからどうする、カイト」の「カイト」が想定の100倍甘くてぼくはどうしようかと思いました。
・ヨシザワ氏、雑誌情報でリーダーカイトはやや微妙みたいな立場らしんだけど、ラストの一段落したとこでイイ感じの話をしたのに「いや……」てカイトに遮られてスン…ってなってたの見て、「こいつのこと嫌いじゃないけど、こういうときちょいちょいイラっと来る」くらいの関係性が見えて面白かった。今年は虎者たちに自我があるなぁ。
・未来の希望を表現しているであろう子供の笑い声……だからちょっと怖いんじゃ!
・繰り返し語られる「虎者は7人でなければ」は、欠員が出まくった過去のトラジャを踏まえての「こっちの都合でこの7人から動かすことはもう無いと思ってていいよ」というメッセージだろうな~。
 
 

総評

「蝶まではいかずとも、脱皮の傾向が見られた。」
 できれば初年度からこれくらいあってほしかった。

 先日12月12日に全79公演を終え、大千穐楽を迎えたが、来年以降の告知はなかった模様。
 快方に向かってはいるので、シリーズ続行ならこのままのペースでアップデートしていってほしいものだ。