それは我が推しTravis Japanの川島如恵留さまと、マチュこと松倉海斗のW主演舞台が発表された数日後のことである。
まさかまさかの同グループからW主演作第二段、しかも鉄板コンビのひとつである七五三掛・吉澤通称「しめしず」ときた。その他出演者も『A BETTER TMORROWー男たちの挽歌』同様に手堅い布陣。同時期に大型舞台が連投され、嬉しさと懐の冷え込みからTravis Japanのオタクたちが悲鳴をあげたことは皆様の想像にやすいだろう。
本作はもとはストレートプレイの戯曲で、かなり前から演じられてきたもの。前回2015年の主演はトラジャとしても度々お世話になっている俳優・佐藤隆太さんというふしぎな縁のある作品である。今回はそれを演出家ウォーリー木下の手で初めてミュージカル化するという、なかなかチャレンジングな企画だ。
北米での留学期間、語学やダンスのみならずボーカルトレーニングも続けていたトラジャのメンバー、なかでもぐっと安定感の増したしめしずであるから不安はあまりなかった。共演者の伊原六花さんもアツい。アイルランド・ケルトといえば舞踏の音楽。歌だけでなくダンスも映える舞台になるであろうことへの期待は高まる一方だった。雰囲気だけでいえば正直、推しの出ている挽歌よりこちらのほうが好みである。
なんとかチケットを入手したいと試みたが、『挽歌』のほうで運気を使い果たしたかFC枠では惨敗し、一般でやっと1枚確保できたのみだった。9月に海外ツアーも控えている身で無理はできぬ、とここは潔く諦め、たった1回きりの観劇で作品のすべてを吸収せんと、全集中で挑む覚悟を決めた。
結果、ものすごくテーマがわかりやすく、強度のあるエンタメだったため一発でほぼ全部のことが伝わったと感じられた。非常に満足できたので1回でまったく問題なかった。
「物語り」の責任
ストーリーは破局寸前の旅行者カップル、聡(サトル)と真奈美(マナミ)が霧深い森の洋館に迷い込んだところから始まる。館のあるじはかつてこの地を治めていた市長を名乗る老人で、二人(主にマナミ)はこの地にあった街と、霧の向こうから聞こえてきた歌と鐘の音、そして伝説の剣にまつわる伝承を語るようにせがむ。――そう、この舞台の主たる部分はあくまで市長を名乗る老人が「語り部」となって旅人ふたりに聞かせている「物語」であって、いま目の前に起きていることをそのまま事実として受け止めるタイプの作品ではない、二重構造のメタフィクションである。この構造をフル活用した舞台ならでは、メタフィクションならではの仕掛けがそこここにあって面白かった。ただ物語を再現したような演出としてかつてのダブリンの街並みやそこに暮らす人々が現れたかと思えば、老人の語りに引き込まれた旅人たちはいつの間にかその中に紛れこんで、物語の登場人物のように振る舞い始め、物語へ干渉していく。旅行者たちの没入感がそのまま我々観客の作品への没入感と呼応していくというわけだ。
また、リアル舞台が20分の休憩に入る際にはスッと現実に立ち返り、老人が「話し疲れたから、き っ か り 20 分 休もう」と宣うて、旅行者たちに「こんな休憩の入り方ある~~~?!」とツッコまれるというメタな笑いの演出もある。
むろん、この構造はけして愉快なだけではない。この物語は中盤から結末にかけて、悲劇の急勾配を転がり落ちていく。凄惨な現場でどうすることもできず「こんなことになるなんて」「もうやめさせてくれ。語るのをやめてくれ」と嘆く旅行者たちに「語り部」の老人=市長は言う「君たちがこの話の続きを聞きたがっていたから話したのだ」と。そうです、観客が見に行かなければあの悲劇は上演されずキャラクターたちも悲惨な目には遭わないのです。私たちが悲劇を観たくて観に行っているから舞台上の人物は死ぬのです。口だけでツラ~イシンド~イと言っていても、我々こそが彼らのツラいシンドい死を望んでいるのです。
物語りの責任は我々、観客にある。だからこそ、その最期をしっかりと見届けねばならぬのです。
と、いうような構造の話はメタフィクションやりたがり人間が必ず通る道で、そこをしっかり踏んでくれているのでメタフィクション大好き人間は終盤ブチアガりっぱななしだった。うーん、つらい!! おかわり!!!!(元気)
同意を得るということ
奇病におかされたダブリンの住民たち。そのなかでヒロインのおさえが発症したのは、他の住民のように目に見えて病とわかるものではなく、「発する言葉が真意とは真逆の言葉になる」という症状だった。そんな彼女とカビ人間は、住民たちによる残酷ないたずらによって教会に二人きり閉じ込められてしまう。彼らはそこで作中2度目の対面をし、おさえの奇病がゆえにカビ人間は「自分が受け入れられた」と誤解する。この物語の真の始まりはこの場面であると言ってもいい重要シーンだ。
ここ、観客の大半はまぁしめちゃん(としずや)を観に来てるオタクであり、主役たるカビ人間の独り語りを聞いたあとで、彼への憐れみをもって物語を見ているので、あの場のパワーバランスは「差別されているかわいそうなカビ人間と無理解な住民たち」であるのだけれど、少女の側からすると、たとえ異形でなくても怖い場面であることは変わらんと思うのですよ。(推定)成人男性と未成年女子で密室に二人っきりなわけですから、相手がカビ人間だろうが親衛隊長だろうがナカムラさんだろうが怖い。
覚えがある人もいるんじゃあないか。「イヤです」と言っても「ちょっとくらい構わないだろうと思って」とか「恥ずかしがってるだけで、本当はそうされたいのだろうと思っていた」とかで訴えが無効になること。おさえちゃんは病の症状として本当に「はい」と口に出してはいるのだけれど、ちゃんと「イヤです」と伝えていたところで結局強要される、みたいな場面はわりとある。さらに権力差――パワーバランスが違うならば、本当はイヤであっても「はい」と言わざるを得ない場面もある。香港マフィアのマークに二丁拳銃突きつけられながら「お金貸〜して♥」と言われたら、おれらは嫌でも「はい」と言ってカネを出すしかないわけです。圧倒的「力」の差があるとき、力の弱い者は「いいえ」のときでも「はい」と言わざるをえないことがある、と。
カビ人間がクズ人間だったとき、十中八九この「同意」の権力差を行使したことがあると思うんですよね。脅しつけながら「同意」をとって「嫌だったの? なんでよ、あの時はいいって言ったじゃん。ヒドいなぁ嘘ついたの? そんでボクのこと悪者にするんだ? 卑怯じゃない? 嫌ならあのときちゃんとイヤって言えばよかったのに!」くらいのことは言ったでしょうね。ね、本当にイヤだったなら法に訴えているはずだって、警察に行ってるはずだって、そうでないなら被害の告白は全部嘘だって、ね?(おや、もしかしてあなた自身もコレを言った覚え、おありですかな?)
あのシーンといい、マナミとサトルの関係といい、全体的に「人とひととが意志疎通に失敗しすれ違っていく(けどそれでも諦めずにコミュっていくのが尊い人間性というものだよね)」というのがテーマのひとつだろうか。『挽歌』も同じく善意が余計なお世話になる(よかれと思って、がことごとく失敗する)話だったし、人生の普遍のテーマではある――「愛はいつも間違う」ということだろう。
本作パンフによると、戯曲作者の後藤ひろひと氏は各登場人物のバックグラウンドはあえて固めずにおいて、その時々の役者の解釈で詰めていくスタイルをとっているとのこと。そのなかでも最初からカビ人間に理解を示しているほぼ唯一の人物であるおさえ父が元々教育者で、幼少期からカビ人間となった青年と関わりがあったという中村梅雀さんの設定は面白いと思った。歪んでいく青年をどうすることもできず、カビ人間となってからのみじめな様子さえただ見ていることしかできなかった後悔……なのか。終始一貫してカビ人間に寄り添い、ラストシーンで慟哭するおさえ父の姿にはぐっと来た。クズ人間の頃からずっと気にかけていたのは唯一彼だけだったんですものね(おさえや我々観衆が愛したのはカビ人間であって、病に冒される前のクズ人間ではないのである)
カビ人間の感想文色々読んだけども、みんなおさえ父とカビ人間の過去が気になって仕方ない模様。番外編とかで戯曲本出版の際にでも添えられませんかね?? ね? どうですかね関係各所様がた。
箇条書きエモ感想・細かいメモ
・マナミの歌と、霧の奥から聞こえてた歌の歌詞が違う? と混乱してたらちゃんと伏線でしたね。
・サトルのキャラクターがふつーにいつもの(メンバーに振り回されているときの)しずやっぽくて、でもズヤにぃは旅人でも5年目の倦怠期カップルでもないので、ふしぎな感触である。平熱の自分のまま他人を演じるって逆にムズくないか?
・「まぁ~なぁ~みぃ~!!」の台詞がトラジャ内で流行るのもわかるというか、絶妙な情けなボイスがいいんだよな。へちょ可愛い。
・登場人物が一気にワッサー出てくる場面なのに、カビ人間が鐘楼の上に登場した瞬間に視線がぎゅんとそこに吸いつけられて爆エモに襲われた。というか全編通してもエモのピークはここだった(一番涙腺にキた。始まったばっかなのに)身体表現のワザマエなのか、しめちゃんのもつ生命力みたいなもんが爆風みたいにブワアと来たのですよ。
・「あのダブリンとは違う」“あの“ダブリンてどのダブリンだよ。
・奇病の症状と当人の生来の気質は因果があるようなないような(ヒザとか)よくわからないところ。
・ヤギ市長も奇病の一種で終始ヤギなのかと思ってたけど全然そんなことはなかったぜ。逆に登場時のヤギは何だったんだ……?(昔の演出の名残……?)
・親衛隊長(潔癖性)、少々キャラデザがきわどい気がするが……。
・イケイケドンドンのマナミと今すぐ帰りたいサトル、旅人とその下男として聖剣探しに参戦(スマブラカットイン)
・カビ人間は正午の10分前にお昼のお知らせとして教会の鐘をつくことを仕事にしている。このお知らせのときの口上は作中何度も繰り返される印象的なフレーズなので、1回の観劇で暗記できた人も多そう。
・カビ人間はかつて美貌と悪知恵で他人を騙すクズホストのような人物であった。奇病にかかってからはカビで見た目が醜く、逆に心は美しく純粋になった(というが、「美しい」というかなんというか、幼児退行しているように見える。過去の記憶も徐々に薄れているらしい)
・カビ人間の様子を気にしてちょいちょい見に行くサトル。臆病そうでいて、意外と他人を気にかけて自発的に行動している。
・「おさえ」という名前だけど、イントネーション的にはサエに丁寧語「お」をつけた「おサエさん」に聞こえたな。
・おさえのフィアンセ・戦士(センシ)はいかにも脳筋。そして背中に剣生やした成りも別に奇病ではなく(彼の奇病の症状は「知らない日本名の苗字を呼びかけてしまう」というもの)そのまま様子がおかしい人だった。あと声がいい、さすがのハク様である。
・う、馬ーーーーーーーー!! 馬がウマすぎる!!
・挽歌のお笑いは銀魂だったけどカビ人間のお笑いはなんつーか、ボーボボのような気がする(諸説あり)
・住民やウマのデザインをみるに、某森の妖精さんもこちらの世界ならきっと馴染んだだろうに……としみじみおもいを馳せてしまった。
・うーわカネと政治と宗教!! 献金と増税!! この世の悪を煮詰めてる!!(このダブリンではないとある国をチラチラと見ながら)
・初演は1996年、前回のストレートプレイ公演さえ2015年ということだが、「2020年」を越えてきた今これが演じられることで新たな批評の視点が生まれてるんじゃないか?! すごい作品をすごいタイミングで見られたんだな……。
・市長と神父が群馬水産高校出の同窓生、ってことはもしや“この“ダブリン、群馬にあるのでは……?
・「海は無くとも水産学ぶ」のフレーズがキャッチーすぎて群馬水産高等学校校歌がまっさきに記憶にインプットされてしまった。なんてこったい。
・奇病が流行りだしてから熱心に信心しはじめた者たちばかり~的な台詞に、まぁ生臭神父でも思うところあるんだな……と察されるところ。
・梅雀さんベース弾けるの?!?! めっちゃかっこええ!!!!
・ミズノの金属バットを持った係員のいる募金箱(怖)
・カビ人間てとっくに町からおん出されててもおかしくなかったろうに、教会に住まわせて「仕事(生き甲斐)」を与えてるのは神父の中にわずかでも残ってた宗教家の矜持ゆえだろうか。(献金目当てとしてもあの様子じゃたいして絞れないだろうし、やろうと思えば財産全没収して追い出せたと思われるため)
・人間の悪意の煮こごりみたいなシーンが続く。
・ここ、一緒に閉じ込められた相手がカビ人間じゃなくても怖くね??
・おさえちゃん、「わたしは思ってることと発言とが逆さまになってしまう奇病にかかっています」とか書かれたTシャツとかキャップとか身に付けとくべきだったんでは(小声)
・おさえちゃんの台詞、もしかして稀に本心からの言葉をちゃんと言ってる瞬間もあるのか? と注視していたんだけど、その後の展開からみて徹頭徹尾「さかさ言葉」のままだと理解した。雨の日の和解までガチでカビ無理ぽ~だったんだな。
・センシと森の賢者の謎かけのくだりはあんまし意味ない転換の時間稼ぎ(時計だけに)ように見えて(パンフによると昔の演出の名残りだそう)実はセンシが脳筋だけじゃないことを示唆してたのかな。
・親衛隊長、同じご町内(?)にいて親の状況も知らない女に求婚しようとしてたんかこの人……いやまぁ中近世みたいだし……そういう時代か……そうか……?
・上記の件に加えて盗み聴きのキモさが相俟ってる上にこの展開なんで、マジでなにやってくれてんだという感じで隊長にはあまりいい印象がなかったな。
・カビ人間は親衛隊長撃墜の罪を被るが、市民の噂話のなかで「植木鉢を持ち出したのは……」の台詞があり、実際あの植木鉢を持ち出してそこら辺をほっつき歩いていたのはカビ人間なので、名乗り出るまでもなく犯人はカビ人間とされていたのでは? と思わなくもない。
・植木鉢で頭をパァンされた隊長。パァンと同時に何故か奇病のほうも発症してしまう。この様子が正直この舞台でいっとう怖かったナ……。
・ここで一幕終了。物語から現実へとシームレスに移行していくすごい構成。
・「こんな休憩の入り方あるぅ~~~?!」→幕 のくだり、「もう懲り懲りだよ~~!」と叫ぶキャラの顔に丸窓がフォーカスして暗転する昔のアニメのオチっぽくて好きだったな。
・休憩明け、カビを恐れる人々のおかげでなんとか釈放されたカビ人間、痛め付けられている(かわいそう)
・どうやらおさえ父が盲目なのはカビ人間(クズ期)のせいであるらしい。センシだか誰だか忘れたが「あなたの目もアイツのせいで……」のような台詞があったよな。
・これ、クズ人間はおさパパを本心から助けようとしていたのに、別のワルに騙されて偽の薬をつかまされてたとかだったら悲しいなぁ。悪く生きてるとさ、もっと強い悪に利用されてしまうことがあるからね。
・「となりの牢屋の人」はおさえちゃんの症状を知っていたそうだが、どうやってそれを知ったんだろう(しかも囚人である)ほとんどの住民がおさえちゃんの症状を全く知らないという状況でないと、後半の展開は成立しないんだけれども。
・カビ人間がおさえちゃんの症状を知ったことで一連の誤解は解けるが、それによってようやく本心からの交流が始まる。唯一の心暖まるシーン。
・カビ人間とおさえちゃんがコミュれるのって、カビ人間が普段暴言を言われなれていて、逆さ言葉に怯まないことも要因じゃないかなとふと思った。
・奇病の症状は病人の生来の気質に関わりがあるのかどうか、その辺は曖昧にされているけど、おさえちゃんのような「気立てのよい優しい娘さん」から想像するのは、「その場を円く収めようと本心ではないことも言えてしまう」気質。
・例えば赤いお人形と青いお人形があって、おさえちゃんは赤い人形が欲しいのだけど、おともだちが先に「赤い人形がいい」と言ったら、「じゃあわたしは青がいいな!」と言ってしまうような感じ。誰も嫌な気分にはならないけど、おさえちゃんは自分に嘘をついて逆さの発言をしている、みたいな。
・たぶんこれから笑い事じゃなくなるんだろうなぁとうっすら思いつつ、あっけらかんとものっそい暴言を吐くおさえちゃんには笑ってしまう。とんだ不条理ギャグである。
・一方その頃教会では、病にかからなかった市長が予言で突然死の宣告を受けていた。
・セントスティーブンズデーというのは実在するキリスト教の祝日(一般には聖ステファノの祝日)で、12月26日にあたる。この話ってクリスマスシーズンの出来事だったのか。そんな様子はいっこも無いんだけども。
・変な人形! 妙な笛!
・結局なんだったんだ……変な人形……妙な笛……。
・こういう「正午10分前の鐘の音を聞くと死ぬ」みたいな予言、「だいたいその時分に死ぬ(鐘云々は単なる時刻を示す)」という意味として捉えるべきじゃね? と私なんかは思っちゃうんだが、寓話の世界って「鐘さえ撞かれなければ死なない」という解決をみようとするんだよな。
・つまり「お昼の鐘を聞かないと12時が来なくて、みんなが”お昼”をやり損ねてしまう」というカビ人間の理屈と、それに呆れている市長たちの「正午前の鐘さえ聞かなきゃ死なない」の理屈は同じシステムで動いているのである。
・とにかくポジティブなマナミととにかくネガティブなサトル、正反対なのによう5年半も付き合ってたな。正反対だからいいのかもしれないけど。
・神父に旅人を出し抜いて伝説の剣を手にいれるよう差し向けられられていたセンシと旅人たちのバトル勃発。サトルはかっこいい姿になれるよう念じたが、なぜかザリガニのようなものになってしまう(マジで何故)
・センシVSマナミ/ウマVSザリガニのバトルをみて「やっぱこれボーボボじゃない?」と思うわたし。
・一騎討ちでセンシに勝利したマナミが「美容師以外には首に刃物をあてさせないと決めている……」とかっこいい台詞をいうが、その前にウマがザリガニに手なずけられ鬣をカットしてもらっているシーンがあるの、芸コマ(?)だったな。
・センシ、神父に騙されていたことを知り怒り心頭。ただ脳筋なだけじゃない、謎の直感というかセンスが冴えている人物である。センシだけに。
・一方そのころ教会では、「鐘さえ聞かなきゃ死なない」という解決のために神父たちが自ら教会に火を放っていた。しかもその罪をカビ人間に着せようと画策していた。な、なんてことするだァー!!
・くわえ煙草の天使(売れないミュージシャン)の激ワルムーブ、うっかりグッときちゃった人も多いのでは。
・天使は神の伝令役なので、風説の流布を任されるのは設定がきちんとしてるなぁ。
・ところで劇場のロビーで「この舞台は演出上煙草を吸うシーンがありますが健康上影響のない煙草ですご安心を」みたいな掲示を見たんですけど、逆説的にこの掲示のなかった『挽歌』や『La Mère母』はふつーの煙草だったんだな。
・なんか今年やたら煙草とリアルファイヤの出てくる舞台見てるな俺。
・売れないミュージシャン唯一のヒット作で扇動されていく民衆。居ても立っても居られず飛び出したおさえちゃんの口から出るのは逆しまの言葉「カビ人間は悪魔だ! 殺せ!」である。
・市長の「人々を団結させるのは、よい音楽と強いリーダーの存在」というような台詞、おっかなかったですね……ものすごくよくわかる……。
・あと、おさえちゃんは普段から住民に信頼されてるんですね。ジャンヌダルクのように人を束ねられる少女。
・『カビ人間』における一番のヤバシーン、「森のなかで急に東京フレンドパーク的バラエティー番組」
・おめでとう! ザリガニはプレスリーに進化した!!(なんで??)
・往年の名司会的な梅雀さんによる往年のチャレンジ系バラエティー(バニーガールつき)をクリアすると伝説の剣と海外旅行と折り畳み自転車がもらえるらしい(なんで??)
・不可視のでっかいモンスターと戦うという設定、張りぼてのモンスターを出したとてどのみちパントマイムするしかないんだから見えない設定にしちゃえという演出が上手かった。なんというか、これがこうだからこうした、という理屈がちゃんとわかる造りなんだよな。プレスリーと東京フレンドパークがなんでなのかは全然わかんないんだけど。
・プレスリーのラヴミーテンダーで大人しくなってる間にぬっころされるモンスター。
・こう、口で説明しても「なんて??」になるの、やっぱりあれだよ、ボーボボだよカビ人間の笑いは。
・第二ステージは「黒ひげ危機一髪の樽に刺さっている剣の中から正解のポーグマホーンを選んで抜くこと」
・ポーグマホーンなんて見たことないからわかんない! と慌てる勇者一行。……でも賢明な観客諸君は覚えていたはず、旅人たちは物語の外の世界、老人の家で本物のポーグマホーンに触れたことがあると。
・ちゃんと思い出せたサトル、見事ポーグマホーンを引っこ抜く。
・聖剣入手の流れはサトルがMVPだったな。
・ついに手に入れた剣を携え、センシは街へと急ぐ。ここから一気に展開は血なまぐさくなります。
・おさえちゃんはカビ人間の説得を試みるも、カビ人間は「自分の役割」を完遂することにこだわり、正午を控えた教会へ向かってしまう。カビ人間のアイデンティティはそれだけなのか……この辺りは宗教的な手触りを感じるところ。
・センシ、好いた女のために己の手を汚せる覚悟のキマッたやつだった。ちょっと見直した。
・伝説の剣の発動条件(1000人の血を流す)がダークファンタジーのダーク部分を一手に担ってるよな。
・神父の配下と神父を倒してカウント999人目を達成したのち、センシはおさえちゃんに剣を持っていかれてしまう。「最後の一人」は果たして誰なのか。物語が加速し、どんどん引き込まれるくだり。
・カビ人間は鐘楼に上りながら住民たちに攻撃される。階段落ちも。ジャポネスクでコウイチが落ちる階段よりずいぶん狭くみえる階段なので大変そうだ……。
・ここまであんまり状況をよくわかってなかったぽいセンシが、剣を構えたおさえちゃんとカビ人間の様子をみて住民を抑えようとするところ。あんたも満身創痍だろうにセンシ……とムネアツの瞬間。
・二幕で好感度爆上げだったなセンシは。一幕まではカビ人間人気投票の5位はナカムラさん(馬)だと思ってたけどセンシかもしれん。
・おさえちゃんからカビ人間への台詞、全部逆さ語に翻訳するとものすごい愛のかたまりなので、しみじみと辛い。
・途中、カビ人間を褒め称える(住民の評価とは真逆の)くだりが入っているので、住民も「なに言ってんだこいつ?」と異変を感じていたりしたんだろうか。
・「最後の一人」はおさえちゃん自身だったんだなぁ。
・ポーグマホーンの奇跡によって住民の奇病は治る。奇病が治ったあとのカビ人間はおさえちゃんの愛したカビ人間ではなくなってしまうので、おさえちゃん的には、もうどうしようもなかったんだな。
・親衛隊長、求婚するほどだったおさえちゃんが死んでるのに一切気にせず喜んでるん……おまえ……。
・カビ人間を抱いたおさパパの慟哭。おさえちゃんを抱きかかえて静かに去るセンシ。いっとう辛い場面だ。
・死んでようやく触れ合うことができた二人……。
・天への階段を登るカビ人間とおさえちゃん。その後、サトルとマナミも本心を伝え合い、お互いをちゃんと向き合い見つめ合って、階段を登っていく……。
・ここでえっ!? となるわけです。だって「天への階段」なんですよ。死んだ二人の「後を追うように」サトルとマナミは階段を登っていくの。
・かーらーの、あのオチだったので、あたいブチあがってしまったわ。この舞台ほんとによく出来てる!!
・市長はおさえちゃんの願いについて「混乱を抑えることで解決しようと、みなの幸せ(病の治癒)を願った」というようなことを言うが、彼は信頼できる語り手ではないと思うので、その結論にはやや疑問がある。
・なんかもっとやけっぱちに見えたんだよな……街とか病とかもうどうでもよかったんじゃないかな……と。
・市長の死の予言はポーグマホーンの奇跡によって跳ね返され、不死となってしまったということか。永遠の命を生きることを疎み、ちゃんと死ぬために霧の洋館で迷い込んだ旅人を手にかけている様子。このオチがちゃんっとダークなファンタジーとしての幕だった。
・市長の次の獲物として訪ねてきた旅人の声がサトルとマナミのものなので、「無限ループってこわくね?」の雰囲気もあり、怖ろしさを増している。
・劇中では旅人たちは乱入者のようになっているが、かつて実際に起きた一連の事件の際、伝説の剣探しを買って出た旅人がいたんだろうな。で、たぶんその人たちも死んじゃったんだろうな。
・このキャスティングでありながら本編中はほとんどダンスシーンがなかったので、カーテンコールで四人のフォークダンスが見られてよかったな。生演奏の音楽隊も最高によかった。サントラほしい。
・カビ人間が醜いという設定、あんまり本編中では感じなかったけど、カテコ中に帽子を脱いでいるところをまじまじ見て、生え際のあたりとかが結構ウッとなる怖いデザインだと思った。帽子をかぶることでこれが隠れ、グロさを緩和しているんだな。
・ラストのナンバー中に旅人ふたりの言う「奇跡なんてクソくらえ」は、逆ではなく正の言葉のような気がする。たとえ奇跡が起きてもああいう結末を迎えたなら、彼らにとってはクソくらえでしょう。
・総評「脚本演出演技音楽どれも良かった。再演と円盤化熱烈希望」
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