王と道化とその周辺

ちっぽけ嘘世界へウインクしておくれよBaby

真空ホロウという3ピースロックバンドがいた

2012年6月2日 ◎「事件はそのとき起こった。」

 その頃の私といえば、『TIGER&BUNNY』の結末によって心に受けた傷が癒えず、バニーちゃんの幸せと不幸のことばかりを考えて日々を過ごしていた。あの作品においてバニーちゃんはどこまでも搾取される概念上の「少女」なのだ、という結論に達し、絶望した私は、駆け込み寺へ逃げ入るようにして、『不在の“少女”』表象を唄うバンド、アーバンギャルドのライヴに飛び込んだ。当時だいぶ情緒が不安定だったため、行ってどうするとかそういうことは念頭に無かった。
「病めるアイドルを探せ! ツアー」名古屋ell.fits all公演。3マンの対バンライブで、共演者の欄へ南波志保とともに名を連ねていたのが「真空ホロウ」だった。初めて見る名前だった。バンドなのかソロアーティストなのかもわからなかった。というか、開演直前まで対バン相手の存在すら忘れていたというのが正しい。
 真空ホロウの出番は2組目だった。照明の落とされたステージ。1組目の南波さんが退場し、セットを次の組のものへと転換する。事件はそのとき起こった。何者かが下手側のマイクスタンドにネックレスのようなものを、アクセサリースタンドへ飾るようにそっとかけていくところが見えたのだ。客席上手サイドから対角線に捉えたそのシーンは、異様に儀式めいた、非日常のものに感じられた。思えばこの瞬間から私は「真空ホロウ」の世界――異界へと引き込まれていたのだと思う。
 物々しいSEとともにそのバンドは登場した。奥にドラム。下手にギター。上手にベースが立つ、あまり見ない陣形だ。出囃子のBGMが止まり、一曲目が始まる。
 セットリスト一曲目『サイレン』のイントロが始まった瞬間に、「これはただ事ではない」と思った。早回しのビデオが映す夜明けのような、薄闇に強い光が射すような、まさに開幕というようなイントロからいきなりサビで始まるその曲で、あっという間に世界が切り替わったのだ。
 演奏がいい。曲がいい。ボーカルの歌声がすこぶるいい。ていうかめちゃくちゃ歌が上手い。なんだこれは。なにが起きているんだ。
 ただただ圧倒される中、一曲目を終えたあとのボーカルが、畳みかけるようにこう言った。
「“真空ホロウ”へようこそ。」
 
 この日から、彼らを追いかけるためにライブハウス通いを始めることになるわけだが、あの時ほどの鮮烈な「出会い」の感覚はただの一度を除いて、得られることはなかった。

「かわいい」バンド

 真空ホロウはすごかった。キャッチーな王道ロックを開幕で披露したあと、2曲目はいっそおどおどろしいほど淫靡で妖艶な表情を見せた。肌をヒリつかせるような社会的メッセージ性の強い楽曲もあった。皮肉めいた言葉回しの、都会を感じさせるポップな曲調のものも。総じてメロがいいし、それを歌いあげるボーカルが圧倒的に上手い。ベース、ドラムスを合わせたバンドとしての音もかっちりとキマっている。なにより私は下手サイドで歌っているギターボーカル・松本明人の佇まいに――その姿がまとう空気感、キャラクターに、釘付けになっていた。マイクスタンドにぶら下げた謎のアイテム(のちに懐中時計であると知る)、歌っているときの表情、身振り、足運び。どれをとっても私を惹きつけてやまない魔術的な魅力をもっていた。喩えるならば、そう、百年の眠りから覚めた吸血鬼みたいに。
 
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 さらにもう一点、外せないポイントが、曲間のMC――もとい、MC担当のベーシスト、村田智史の存在である。彼はとても訛っていた。初見時にはなんとなく北関東のほうの訛りであることしかわからなかったが、とにかくものすごく訛っていた。訛り全開で、気さくな魚屋の兄ちゃんのようにわーっと客席へ語りかける。作り込まれた楽曲の空気が、彼の先導するMCに入った瞬間、色んな意味でブチ壊されるのだ。その強烈なギャップに、おそらくその殆どがアーバンギャルドのファンで構成されていたであろうフロアからはどよめきとゆるい笑いが巻き起こった。
 彼はそのとき、スタジオジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』の黒猫ジジの顔型ポシェットを腰に提げ、客席に向かって「これ、かわいいっぺ?」と得意げに話し、女性「かわいい~~!」とレスポンスしてもらって満足そうにしていた。さらに彼は背後に積み上げたアンプ等の機材の上にジジのぬいぐるみを置いていた。ライブの際は常に置いているらしい。この種類の「かわいい」を明確に、意識的に打ち出して、売りにしているということがわかる。それが「女子にウケる」ということを知っているのだ。そんなMC中のやりとりの間も、ボーカルの彼はずっと腕を組み顎に手を当てたポーズで静かに佇んでいた。
 
 すべての演奏を終えて真空ホロウがステージから去ったあと、私は興奮を抑えられずすぐさまケータイを開いて(ガラケーの時代である)インターネッツで情報を検索した。
 2006年、茨城県で、ギターボーカルの松本明人を中心に結成。ボーカルの地元鹿島と水戸のライブハウスを中心に活動し、2009年のRock'n Japan 主催のコンテスト RO69 Jackで入賞。全国流通のミニアルバム『Contradicthion of green forest』をリリースした。翌2010年には結成当初からのメンバーであるドラマー山本ワタルが脱退。入れ替わりに同郷・水戸のドラマー大貫朋也を迎えて、ディズニーのコンピレーションアルバム『ロック・スティッチ』に参加し、2ndミニアルバム『ストレンジャー』をリリース。2012年時点での最新盤はタワレコ限定発売の『Slow and steady』……――。
 物販で買えるだけの音源とグッズを購入し、その翌日タワレコに駆け込んで限定音源を手に入れたのは言うまでもない。

「歌が上手いんだから、ちゃんと歌いなさい」

 インターネッツは情報の宝庫だ。衝撃の出会いからしばらく、Webで情報を漁る日々が続いた。メンバーのブログに、ロッキン主催コンテストの映像、旧譜のMVなどを次々に見ていき、やがてひとつのコンテンツにたどり着く。現在は別サービスとなった(初期の形式は完全にサービス終了した)ライブ配信プラットフォーム「Ustream」で、現在活動休止中の先輩バンドJeeptaが行っていた定期配信番組「Jeeptaism(ジプタイズム)」である。
 2010年、この配信番組にゲストとして登場した真空ホロウメンバーの村田・松本両名は、登場した瞬間から退場までずっと様子がおかしかった。ライヴのMC時と変わらず、勢いまかせで訛ったまんましゃべり倒す村田氏に、言葉数少なく、話すときも一言ひとこと入念に吟味しているのか、独特の間をもうけながらぽつぽつと語る松本氏。二人の自由なふるまいはJeeptaのメンバーをおおいに困惑させ、同時に笑わせていた。告知をするときは松本氏が村田氏により正確な日程などの情報を耳打ちし、村田氏は松本氏の足りない声量と言葉を補って伝えなおす。松本氏は村田氏の「カンニングペーパー」であり、村田氏は松本氏が外界と接するための「通訳」の役割を果たしていたのだ。
 完璧だ、と思った。通訳とカンペの関係。お互いの不足を補い合いながら存在している。それは完璧な循環であり、たった二人だけに通じている世界であった。いびつでありながら、美しい世界だ、と思った。
 この二人組への特別な感慨は、あるインタビュー記事を読んで完成形となる。

――結成当初と今とやってる音楽は違ったりする?
松本「最初のメンバーチェンジで一気に変わりましたね。その時に、それまでの曲は全て捨てました
――え、どうして?
松本「よく人から言われるんですけど、何でもやり過ぎてしまうところがあって。例えば、何かの達成のために願掛けみたいにやろうと思ったら、物を食べないとか寝ないとか、達成するまで突き詰めてしまう習性があって。今はメンバーが注意してくれますけどね。それで、その時は心機一転だと思って全部捨てました」
――“昔の彼女のものは全部捨てる!”みたいな感覚ですね。
松本「そうですね。それから新しく作っていったんですけど、それはベースの彼の一声がキッカケにもなってます
――どんな一声だった?
村田智史(Ba.)「『歌が上手いんだから、なんで歌わないの?』って。僕がバンドに入る前に、ライブで彼(松本)を見たことがあったんですけど、例えば30分で5、6曲やるとしたら2曲も見れないステージで。なんか“ワーギャー”とか“ワキャー”とか『何を言ってるんだお前は?』って音楽だった(笑)。でもいい部分もあったから『もったいねえな、ははぁーん』ってその時は思って、後ろの方でお酒を飲んでましたね(笑)。まさか一緒にやるなんてその時は一瞬たりとも思わなかったけど、やることになった時に、『 歌をうたいなさい!』って言ったんですよ
 
『TANK! the WEB 真空ホロウ インタビュー!』(2023年現在削除済)より。※強調部は筆者によるもの

 ベースの村田氏はいわゆる「オリジナルメンバー」ではない。最初期のベーシストがごく短期で脱退したのち、次が決まるまでの穴埋めとしてしばらくの間サポートを務めるも、なんやかんやでなし崩し的にそのまま正式メンバーに、という経緯で加入している。そんな彼が影響力を持ったのはひとえに、大人しい気質のオリジナルメンバーを引っ張れる年上の兄貴的存在であった点、そして上記のインタビューに現れているように、バンドの方向性を定めるプロデュース力の確かさゆえだろう。村田氏の指摘によって松本氏は表現方法をがらっと変え、彼の音楽のルーツにより近い、シンプルな(誤魔化しの効かない)歌唱力がものをいう歌謡ロックへと方向転換した。それが今現在の我々が知る「真空ホロウ・松本明人の歌」なのである。
 ――真空ホロウの歴史上の大きな転換といえば2015年を挙げることが多いだろう。筆者自身も直感に従えばその年の夏を境に「新体制/旧体制」と分類する。しかし、「真空ホロウの音楽性」に限って言うならば、本来の区切りはさきのインタビューで「それまでの曲は全て捨てました」と語られた前後、つまり「Ba.村田智史の加入後/前」なのだ。2008年~2015年の楽曲は、その後も継続して歌われ続けていたのだから。

 話を戻そう。
 購入した音源を聴き込み、バンドについての情報を仕入れる中で、私はひとつの結論に達していた。「このバンドをもう一度ライヴ会場で観たい――否、観なければならない」
 幸いにも、8月の地元名古屋開催のライヴイベント「TREASURE 05X」への参加が告知された。もともとその日に予定されていたゼミ友との飲みの約束を振り替えてもらうという暴挙に出てまで(その節は真に申し訳ありませんでした)、私は真空ホロウのライヴに再び足を運ぶことを決めたのだった。
「TREASURE 05X」の前週、彼らの故郷・茨城で行われた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2012」にて、真空ホロウはSONY系レーベル・エピックレコードジャパンからメジャーデビューすることを発表した。つまり、本当に勢いのあるときに、私は彼らに出会うことができたのだ。得難い僥倖であった。
 デビュー発表直後の現場だったトレジャー。名古屋ell.fits allは凄まじい熱気に包まれていた。2カ月前の初対面時には挨拶以外ただの一言も発さず無口無表情キャラの権化のようだった松本氏が、ふつーにMCで喋っていて衝撃を受けたこともまざまざと覚えている。同じ会場で出番が前後だったあのJeeptaとの愉快なやりとりも。
 そして、私のもとには妖精が舞い降りてきた。
 

 夢見心地で帰路につき、「次も絶対行こう」と思った。
 

メジャー活動期を駆け抜ける

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 10月、メジャー1stミニアルバム『小さな世界』がリリースされた。ジャケット・アートワークには写真家・青山裕企氏の作品が起用され、アーティスト写真も氏による撮影となった。青山氏の仕事への個人的な好みはともかくとして、「お金がかかっている!」と思った。きちんとお金をかけてプロデュースされていることがわかって嬉しかったのだ。MVも良かった。デビュー曲MVでぬっ殺されるバンドマン、縁起でもなさすぎて最高だろ。
 リリースに合わせるように、Ba.村田氏は九州地方のラジオ番組を開始し、翌2013年からはなんと我が地元である東海地方のラジオ局ZIP-FMでレギュラー番組を持つこととなった。そのおかげなのか、真空ホロウは関東拠点のバンドでありながらかなり頻繁に(多いときは月に3回も!)我が地元名古屋でライヴするようになった。毎週水曜23:30。週の真ん中、折り返し地点におかれたラジオ番組が、2015年夏までの私の生活のリズムを作っていた。
 2013年リリースの2ndミニアルバム『少年A』も作品として大変おもしろかった。収録曲群を「ある少年の物語」としてひとつのストーリーになるよう構成し、そのストーリーをとあるフリーペーパー上で小説『少年Aの物語り』(※原文ママ)として連載したのだ。世界観をより深く感じられるように、音楽以外の媒体でも作品を展開し始めたのである(この多角的メディア展開は、2015年以降さらに広がっていく)
 

この写真は「撮影・SNS拡散可」となっていた『少年A』リリース記念ラジオ公開収録の際に撮影したいちばんいい写真です

 2014年リリースの1stシングル『虹』は初の大型タイアップで、TVアニメ『NARUTO~疾風伝~』のEDになった。発売後にはタワレコだけでなくアニメイトへ赴き、二次元オタクとしての自分が過ごす場で推しバンドの音源が買えることを実感して密かにニヤついたし、NARUTO好きな従姉妹にアニメジャケット盤をプレゼントした。同年1月から開始したcross fmのラジオ番組「RADIO◎CONNECTER」内のワンコーナー「眉唾マテリアル」は、松本氏の頭の中を覗き見るような独特のノリが面白く、果ては公開イベントにまで発展し、同番組別コーナーを担当する元椿屋四重奏中田裕二、そしてあの及川光博と共演するに至った。あんなカオス企画は人生がこの先30年続いてもなかなかお目にかかれないだろう。最高だった。
 そんな感じで、真空ホロウは地上波TVに出演することはほぼなかったものの、ニコニコ生放送の音楽番組「ロック兄弟」へはリリースのたびに出演していたし、毎週水曜のラジオとゲストラジオ、バンドと松本氏ソロの現場とで、私は本当に充実していた。北は仙台、南は博多まで出かけて行った。真空ホロウと松本氏は何度見ても面白さが変わらず、楽しく、美しかった。きっとこのまま10年、20年、飽くことはないだろうと思った。
(余談だが、オタクメンタル全開時の私が松本氏のことを「様」と尊称(愛称)するのは、ラジオ番組「R◎C」にて、番組ディレクターの相越氏から「明人様」と呼び親しまれていたことに由来している)

 2015年、待望のフルアルバム発売の報せが入った。これまで発売してきたのは5~6曲入りのミニアルバムかシングルで、フルアルバムは初めてのリリースだったのだ。短編小説のような、少ないページでカミソリのような切れ味を誇る作品も好きだが、重厚な長編小説も読んでみたい。そんな気持ちでリリース情報を楽しみにしていた。ところが、収録内容が発表されると、全12曲中に新曲は6曲、7曲が既出という構成になっていた。うち1曲はDr.大貫氏が加入する前のインディーズ盤『Contradiction of green forest』収録の『被害妄想〜』を大貫氏Drumsで新録したものなので納得できるが、他はこれまでのメジャー盤から2曲ずつの再録。アルバムタイトルがバンド名『真空ホロウ』であることもあいまって、1stにして「ベストアルバム」の様相であった。既出盤からの再録はあっても1曲ずつ、を想定していた私は、おや? と思うも、その時差し込めた違和感について深く考えることはしなかった。
 4月のアルバムリリースに先駆けて、3月に新曲を初演奏する「先行お披露目会」を称するライブが、まさかの地元名古屋で開催されることになった。「新曲は予習せずライヴ会場で初めて聴くのが一番いい」と思っている私は、あえてレーベルのWEBページで公開されていた試聴音源等は一切聞かずに、まっさらな状態でライヴ当日を迎えた。
 初めて『こどものくに』という曲を聴いたときのことは今でも鮮明に思い出せる。セットリスト中盤、深遠から響くディストーションのギターリフに、靄がかった加工のボーカル、ぐっと抑えたリズム隊と地を這うようなメロディーで焦らしに焦らしたのちサビで一気に開放されて突き抜ける。APOLLO BASEの柱の横でぽかんと口をあいて棒立ちで轟音に揺さぶられながら、「私はずっとこれが見たかったのだ」と思った。初めて真空ホロウと出会った2012年6月と同じだけの衝撃と、それを凌駕する高揚がそこにはあった。3年近く追ってきて、今日のこの日にこの曲を聴けた自分は、世界で一番幸せな人間なのだと、心の底から思った。そして同時に恐ろしくなった。これ以上のエモ(当時はまだそんなスラングはなかった)を今後わたしは得られるのだろうか? ――これは真空ホロウを追ってきて初めての感慨だった。「最高」に達してしまったら、そのあとはどうなる? 
 しかし、6月からのアルバムひっさげワンマンツアーはもちろん、2014年頃から増えてきた松本氏ソロ名義の対バン公演に、毎年出演の夏フェスや、恒例となったメンバー村田氏の誕生日企画も控えている。お楽しみはまだまだ沢山あった。彼らならきっとこの「最高」をも越えてくるはずだ、とその時はまだ信じていた。
 

2015年7月1日 ●「昨日には戻れないから」

 その日は東京遠征だった。真空ホロウが上京当初から世話になっているという渋谷のライブハウス「乙(キノト)」で、松本氏と友人のcinema staff飯田瑞規氏によるソロ弾き語り企画だ。私は仕事を早引けして新幹線に乗り、開演ギリギリで会場入りする予定だった。
 ちょうど昼休みに入ったときだ。ケータイを開くと、母親から「知ってたの?」というメールが届いていた。なんのこっちゃ、と思ったが、そのひとつ前の受信欄をみて「大切なお知らせ」のメールが真空FCから届いていたことに気づいた。ツアー最終日をもってリズム隊の2人が脱退し、「真空ホロウ」が松本氏個人プロジェクトになる、という報せだった。ようするに――脱退を称する事実上の「解散」である。
 急。というのが最初の感想だった。しかし、なんとなく思い当たる節はあった。「お知らせ」の数日前に、8月のBa.村田氏誕生日企画のチケット当落発表が遅れるというメールが入っていたのだ。こんなことは前例がなかった。加えて1stフルアルバム『真空ホロウ』の完全新規曲の少なさである。あのときの違和感は、つまり‟こういうこと”だったのではないか、と。
 なぜか母のほうが慌てていたため逆に冷静になれたのか、「‟ボーカル以外全員脱退”(日本以外全部沈没)の歴史に新たな1ページが刻まれた」などとぼんやり考えながら午後の仕事を淡々と終えた記憶がある。
 これまでの経験から「バンドは急に解散するもの、ゲーム会社の社員は急に退職するもの、推しCPは別れるもの」と思っていたし、「生きてさえいれば、カップルはごく稀にヨリを戻すし、退職後の社員もたまに曲提供してくれるし、バンドは10年後くらいに再結成するかもしれない」そんな諦念と楽観が人生のクセのようなものになっていた。
 そうして迎えたキノト公演、松本氏はセットリスト1曲目に『開戦前夜』を歌った。

昨日には戻れないから
  (中略)
僕ひとりだけになって 手も繋げない この絶望に
今日の僕はなんて言うんだろう
真空ホロウ「開戦前夜」の歌詞 / 歌詞検索サービス「歌ネット」

「流石」の一言であった。この曲が最新にして待望のフルアルバム(ほとんどベストアルバム)である『真空ホロウ』収録の1曲目であり、2015年7月1日に歌われたこと。旅立ちの不安とそれでも歩き出す希望を歌った(松本氏が17歳の頃、故郷の町の市町村合併の式典に際し制作したという)真空にしては珍しいただただ爽やかなタイプの楽曲が、「6月30日には戻れない7月1日」の曲へと姿を変えたのだ。このあまりにも鮮やかな演出で私は「納得」して――させられてしまった。昨日には戻れないのだ。そして、それは決してマイナスではないのだ。
 私は予定になかった大阪公演のチケットをその場で手配した。客として東名阪ツアーを敢行するのは初めてだった。7月5日から18日までの2週間は怒涛の勢いで過ぎて行った。どの公演もいつも通りに楽しかった。
 7月18日、ツアーファイナルはやはり雨だった。当時の真空ホロウは「雨バンド」を自称するほど現場に雨を呼んでいて、台風の季節でもないのに記録的豪雨となることもしばしばであった。ライブ会場である東京キネマ倶楽部前には傘をさしたファンが列をなした。
 キネマ倶楽部はキャバレークラブを居抜きしたライブハウスで、独特の装飾がステージに残っており、当時の真空ホロウにすこぶる似合っていた。メンバーは下手側の赤い幕のある入口から登場し、階段を降りてメインステージに立った。上手にBa.村田氏、中央奥のDr.大貫氏、下手側の松本氏という構図を見るのも最後である。開演前は純粋に楽しみだったが、このときは流石にエモの雨に打たれていた。
 ライブはいつも通り楽しく、いつも以上に温かかった。
 公演の終わり、村田氏と大貫氏は、出てきたときと同じように階段を使い赤い幕の裏へと去っていった。松本氏は改めて挨拶したのち、階段ではない下手の出入口から退場した。二手に分かれた道がそこには明示されているように思えた。
 そして私はあの日、折り畳み傘を失くした。出入り口から客席まで2周して、スタッフにも問い合わせたが見つからなかった。終演後に雨はあがっていたから、濡れずに帰ることができた。何もかもが象徴的にすぎて我が記憶を疑いそうになるが、事実、そうなのだった。
「宇宙一好きなバンド」はその日なくなった、が、「宇宙一好きなシンガーソングライター」は、歌い続けることが約束されている。
 もう、それだけで良かった。
 
 

ソロプロジェクト、そして

 2015年夏、「真空ホロウ」は松本氏のソロプロジェクトとして活動を始めた。メンバー脱退の翌8月、当初より予定されていた「ロッキン」こと「ROCK IN JAPAN FES2015」には、Bass、Drums、Guiterに知り合いの先輩・後輩バンド(a flood og circle、Pepple in the Box、指先ノハク)からサポートメンバーを呼んでの出演となった。その選出には多分に、それぞれのバンドのファンからの集客も見込まれていただろう。(同8月に予定され、チケットの当落発表を‟延期”していた村田氏の誕生日公演はもちろん中止であった。概ねのことを受け入れ体勢だった私だが、これだけは未だに引きずる禍根である。)
 ロッキン運営は、8月1日のWOWOWでの生中継プログラムのゲストトーク枠に真空ホロウの出番を組み込んでいた。ソロプロジェクトになったばかりの彼に、そのことについてファン以外にも広く報告・説明する場を設けてくれたのだ。
 この年をもって「育ての親」であるロッキンから巣立ったのだろう。2009年のロッキン主催オーディション「RO69JACK」以降ずっとフェスに出続けていた真空ホロウは、2015年末から今日に至るまで「RIJF」にも年末の「COUNT DOWN JAPAN」にも出演していない。
 
 夏以降も真空ホロウは動きを止めなかった。とはいえ、主な活動はアコースティックギターの弾き語り公演となり、さらに私は8月中に確保している現場がもともとなかったため、ソロプロジェクト最初期のサポート入りバンド体制はほとんど知らない。9月は地元の友人でもある石崎ひゅーいとの弾き語り対バンツアー、10月は初のファンクラブイベント、11月も弾き語り公演ときて、バンドセットでの公演は12月まで間を置くこととなる。ドラム、ベースはその時々でサポートメンバーを変え、ときにはキーボードのメンバーも加わって、次に進むべき方向を模索しているようだった。
 ソロプロジェクト期の最初のリリースは、11月の自主企画「真空歩廊展」で発売した弾き語りシングル『Torch.』だった。このシリーズは2021年の『Torch.7』までナンバリングのリリースが続くことになる。
 さて、この『Torch.』なのだが、ジャケットがめちゃくちゃ可愛い。マジで可愛い。ほんまに可愛い。これまでありそうでなかった、松本氏その人がどどんと表に出たジャケットである(フルアルバム『真空ホロウ』のジャケにもいるっちゃいるが、ものすごくモザイクでジャキジャキいている) アコースティックギターを松明(Torch)のように掲げる表面も楽曲の演奏に使われた楽器類(“本人”からおはじきの袋まで)並べた裏面も全部イイ。しかもこの最高アートワークが松本氏自身の手によるものなのだというからたまらなかった。作詞作曲演奏もしてジャケデザインまで完璧にやっちゃう推し、すごくね? 『Torch.』の話するとき音楽の話だってしたいのにジャケが最高すぎてマジでめちゃくちゃ興奮したことしか語れないんだけどジャケについて他で語るタイミングも逃しているのでここで書き散らかさせてほしい。最高なんですよトーチのジャケは。現場で出会った初対面のブラスタ民にオススメ紹介するとき「ここでしか買えないしジャケが可愛いので!!」しか言えなかったくらいには。今からでも遅くないからでかく印刷したレコード盤も出してほしい。でかい『Torch.』のジャケ欲しい。私は本気です。
 満足したので音楽の話します。
『Torch.』収録1曲目、真空歩廊展でもセットリストの一番目に演奏された「矯正視力」で、松本氏はループボックスを駆使していくつもの音を重ね合わせ、複数種のパーカッション、ベース、ギター、ボーカルパートをこなしていた。たった一人でいったい何処までやれるのか、人体ひとつで奏でられる音楽の限界を見せつけるように。久しぶりのワンマン公演で、まずその気迫に圧倒された。曲自体も、爽やかなアコースティック弾き語り曲でありながら、一筋縄ではいかないテーマ(自身が視力を失ったとしたらどう生きるか)を持っていて、真空ホロウという世界の確かさを感じた。『Highway~』しかり『開戦前夜』しかり、門出の曲はいつもこのようにある。『ゲシュタルト』はドラマチックなバラードで、特に2コーラス目のサビの歌詞がいい。
 そしてもう1曲『ひかりのうた』。旧体制最後のツアー中に新曲としてソロ弾き語りver.で歌われ、どんどん歌詞がかたちを変えていった楽曲だ。あのツアーには、長いながいサブタイトルがついていた。「回想列車で全国へ ~嘘です本当は機材車です~」という。「嘘」――夢であるところの「回想列車」と「本当」――現実であるところの「機材車」の対比。この『Torch.』リリース版の歌詞に登場する「信号待ちの四角い空」は、機材車の車窓からの風景であろうことが窺える。我々は機材車という現実に乗ってソロプロジェクトの真空ホロウを見ているが、並んだレールの違う夢(うそ)の世界――回想列車に乗ったままいることも許されている、そう感じた。それが彼らのやさしさだったのだ、と。
 ソロプロジェクトとしての「真空ホロウ=松本明人」期は、私の中でそんな風に始まった。
 
 この頃は先にあげた石崎ひゅーい氏を始めとし、Rhythmic Toy Wolrdの内田氏や、共作することになるCIVILIANのコヤマ氏、ユニット「健康」を結成するlynch.の悠介氏など、後々も深く関わることになるバンド仲間との交友関係を強く意識する期間だった。ツイキャスLINE LIVEでの定期的な生配信もこの頃から始まった。PC画面上の編集ソフトの波形だけを映した作業配信に始まって、やがて雑談やリクエストソング企画も開催される癒しの時間となった。
 そしてこの時期といえば、松本氏の「儚さ」が尋常でない期間でもあった。RTWの内田氏もMCで「ほっておけない」「ひとりで居たら消えちゃいそう」という風に語っていて「俺みたいにこじれたオタクならともかく親しいバンド仲間でもそう思うんですか?!」と動揺した。桜の季節に鶴舞公園で開催された野外フリーライブの思い出も鮮烈だ。春の空気の中にそのままほろほろと融けていくような存在感だった。現場を共にした旧友には「桜に攫われるというよりは、樹齢1000年の桜の木に棲んでて人を攫う怪異のほう」と評され、「それはそれでめっちゃわかる」と思ったけども。
 ……これは今となっては笑い話というか、自分でも気が確かでない状態だったとは思うのだが――この頃のわたしはといえば「松本氏が28歳を無事に終えられるか問題」をわりと結構まじめに本気で心配していた。とある二次元の推しが28歳で没していたことと「ロックスター27歳死亡説」のハイブリッドで、そのように思い込んでいたのだと思う。
 まぁ、そんな謎の心配をよそに、2016年の誕生日を過ぎても松本氏は桜に攫われるどころかピンピンしていた。私は心底安堵したのだった。
 

「結局」の話

 ソロ期の記憶の中でとくに印象的なエピソードがある。氏が28歳を乗り越えた2016年10月18日、前年の初開催以降ほぼ恒例となった松本氏の誕生日企画公演、終盤のMCで語られたものだ。
 真空のマネージャー氏が、新曲『復讐』を事務所のスタッフに聞かせたとき、スタッフさんから「新曲、いつもと雰囲気違ったね」と感想をもらい、それに「タイトルは『復讐』です」と返したところ、「結局?!」と驚かれたのだという。
「結局」には「成れの果て」「とどのつまり」などの意味もあり、あまりポジティブではない用法が多い。だが、私はこの「結局」の話を聞いたときひどく感心した。「全くその通りだ」と思ったのだ。『復讐』は、確かにこれまでの真空らしいギターロックテイストと違い、シンセ音源もふんだんに用いられたポップでアッパーな印象を受けるデジタルサウンドの楽曲になっている。しかし、どんなに曲調が変わり、サウンドの雰囲気が変わっても、作中に描かれるシーンやモチーフが「悪魔の森」から近所のコンビニのような日常的なものになっても、根底にあるのは人間のほの暗い感情や一筋縄ではいかないこじれた関係性、「愛」のすぐ隣に「死」が置かれること、そして社会への投げかけである。地元の大先輩バンドMUCCにも「出身バンドはだいたい暗い」と言われている、アレである。
『復讐』というタイトルは後述のアルバムで『「夜明け、君は」』へと改題されるが、大筋のテーマは変わらず、リライトされた歌詞も新旧ともに「復讐を誓うよ」の一文で結ばれる。ソロプロジェクトになる前も、思いのほか短かったソロ期もその後も、真空ホロウは一貫して、ぶれない芯を保ち続けていた。「結局」という言葉は、それを端的に表していた。
 
 どこまでいってもこの「‟結局”のところ」が変わらなければ、私は真空ホロウを愛することになるだろう。そう確信できた瞬間だった。
 
 

「“女性向け”ロックバンド」

 2017年3月、1年ほどサポートをしてくれていた高原未奈先生(ベース講師をしていたため「先生」と呼ばれていた)を正式にメンバーとして迎え、「真空ホロウ」はソロプロジェクトから再びバンドとなった。そして5月にはアルバム『いっそやみさえうけいれて』がリリースされた。
 
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 このアルバムは、上記MVのように友人バンドマン・コヤマヒデカズ(CIVILIAN)との完全共作曲や、アーバンギャルド松永天馬が作詞しゲストボーカルにUCARY&VALENTINEを迎え、イトヲカシの伊藤歌詞太郎は1曲まるごと提供という形で参加している。ほぼバンドだけで完結していたこれまでの真空からすると異色のアルバムだ。真空ホロウの世界が横に拡がり、これまでになかった「幅」を持ったのだ。このリリースに合わせフリーペーパー上で楽曲を補間する小説も連載された。『少年A』の時と同じ、多角的メディアでより作品を深める試みだ。馴染みの手法と新しい試みが並行して展開され、わたしは素直にそれらを楽しんだ。高原先生は「明るすぎず、暗すぎない」と松本氏に評された性格そのままに、落ち着いたフラットな態度と抜群の技術で真空ホロウを支えてくれていた。待望のLIVE DVDも制作された。(あんなにもヴィジュアルで訴えかける力を持っていながら、旧体制時には公演の映像を一度も販売しなかったのだ。遺憾である)当面はこの2人でやっていくのだろうと思った。
 が、この「2人体制」はソロ期よりもっと短かった。同年10月、真空ホロウはこれまで何度もサポートメンバーとして参加していたドラマーのMIZUKI氏の正式加入を発表し、それに合わせて新曲のリリックビデオをアップする。
 
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 [2018年の買ってよかった音源記事]でも書いたが、この2017年が(私の知る)真空ホロウ第二の転換期であった。ロゴやヴィジュアルイメージを一新し、松本明人はTwitterInstagramのアカウントIDを「よりわかりやすいもの」に変えた。バンドのプロフィールに添えられるコピーも「日常の違和感~」や「鬱と狂気とロックンロール」から「女性リスナーの共感を呼ぶ〜」のようなテイストに変わった。そして、3人体制になったことを広報する2018年を挟んで翌々年の2019年には、Instagram等で活動する漫画家のごめん氏がイラストワークを手掛け、作詞家の矢作綾香氏が全曲の作詞をしたアルバム『たやすくハッピーエンドなんかにするな』をリリースする。
 再び3ピースロックバンドとなった真空ホロウは、2015年夏までの3ピースロックバンド・真空ホロウとまったく違うかたちだったのだ。
 
 ヴィジュアル・コンセプト面の変化だけではない、もうひとつ特筆すべきは「女性向けロックバンド」を真っ向から名乗ったことだ。
 真空ホロウが「女性向け」に舵を切ったのは、第一にファン層がほぼ女性で占められていたことが大きいだろう、と私は見ている。自主企画やワンマンの会場を見回してみれば、フロアの過半数を女性が占め、物販に並んでいるのもほぼ女性。また、これはソロプロジェクトになってから可視化されたことだが、FCイベントの参加者も目視できる範囲9割9分が女性であった。「公平に厳正なる抽選が行われた」という前提で考えるなら、イベントに応募するほどのファンはほぼ女性だったということだ。
 しかし、それが意味するのは「これまでの真空ホロウ」でも女性客が付いていたのであり、むしろ「これまでの真空」にこそ、彼女らは惹きつけられていたのであり、つまり真空ホロウが「女性向け」であることは、2015年より前から変わらず、ずっと、継続している状態だった、ということなのである。
 大きな方針転換に、拒否反応を起こすファンはもちろん居た。直截に「きもちわるい」という呟きもツイッターランドで見た。
 そんな中で、私はとあるブログ記事を思い出した(現在非公開のため引用できず)。その記事ではロックバンドのファンがアイドルの現場に行って受けた衝撃のことが語られていた。ロックの現場では「正当な客として歓迎されている」と思えなかったブログ主が、韓流アイドルの現場――女性客でほぼ占められていて、パフォーマンスする側もそれを当然としている現場で、「歓迎されている/消費者として認められている」と安堵する。
 ロックバンドとジャニーズタレント(とその他色々)のオタクを掛け持ちしている私にもこの感覚は非常にわかるものだった。様々なフェスやサーキットイベント、対バン企画などに参加して、真空以外のバンドを見るときに感じる「あーうちらは客じゃねえやつだなここは」という感覚だ。
 その時期、とあるバンドが抽選参加式イベントで女性客のみを抽選から弾くという不正を行っていたことが発覚した件も話題になっていた。イベントの抽選から女性客を「弾かざるえなくなった」大元の要因についても、「女は本来の客ではない」「男のみが真にバンドとその音楽を理解するファンである」というバンドの考え方が浮き彫りになっている事例だった。
 もちろん旧真空にしたって「男の人が(ライヴ動員に)増えてうれしい」というような主旨の発言をしていたし、その都度わたしは「チッ」と思っていた。それがたとえ「夫婦で楽しんでくれているみたいでうれしい」や「親子連れが来てくれてうれしい」と同列のものだったとしても、「女子供は客じゃない」というある種の文化が抱えがちなマッチョイズムを幻視してしまう。そしてげんなりする。
 これはロックの世界だけでなく、特撮や、映画や、漫画アニメなどのサブカルコンテンツのみにとどまらず、社会全体を取り巻いている女性蔑視的価値感がもつ問題だ。
 真空ホロウはそんな中で、「女性向けロックバンド」として打って出たのだ。私はそれを面白く感じた。まずコラボ相手も、作詞面のプロデュースも、バンドメンバーも女性で固めたことは正解だと思った。アートワークも、メジャー期の青山氏による制服少女を被写体としたサブでカルな写真から一転、コラボした女性漫画家による、意志をもった大人の女性のイラストレーションを用いている。どれも「やる」と決めたコンセプトから外していない、「わかっている」采配だった。
 2019年のアルバム『たやすく~』は「バンド外とのコラボ」「ストーリーを前提としている」という点で、前作『いっそ~』や、メジャー期の作品『少年A』の延長線上にある。コラボ対象を1人に絞ったことでより濃密に、真空ホロウとごめん氏の世界観を表現できているし、それは作詞家を矢作氏に統一したことも一因だ。これまでずっと真空の作詞をしていた松本氏の筆致には、――私はそれも含めてひとつの「作家性」として認識しているのだが――どうしても作品ごとに大きくムラが出てしまうところがあった。(『TOKYO BULE BUG』と『バタフライスクールエフェクト』が同じ人の手で書かれているのか?!)そこにライティングのプロである矢作氏の手が加わることで、作品のトーンがすっきりまとまって、聴きやすいアルバムになっていた。
 
 私は確かこれらの変化を驚いたが、同時にとても面白いと思った。以前と似たようなスタイルで同じことをするなら、実質解散した意味がない。ソロで同じことを続けていても意味がない。
 ここまで新しいアプローチができるなら、この路線でどこまでイケけるのかに私は興味があった。――そして「結局のところ」は変わらないだろう、という信頼があった。前述したように真空ホロウ最大の方針転換は「それまでの曲は全て捨てました」と語られたタイミングである。『たやすく~』にはごめんコラボ曲のほかに各メンバーの誕生日企画公演に合わせてグッズ特典となった3曲も収録されていた。そのうちの1曲『ドリップ』はソロ期から演奏されてきた楽曲で、『ストレンジャー』(2010年発売のミニアルバム)頃にはすでに存在していたという。つまり、音楽性は途切れてはおらず、ずっと続いているのだ。(この連続性を保ったまま「女性向け」のコピーを打って出すからにはもう二度と「男性客が増えて嬉しい」なんて言わさねえぞ、くらいのファイティンポーズな気持ちがなかったかというと嘘になるが)(そしてステージ上に女性メンバーが増えたことで逆に客席の男性率は上がっていたのだが)(このことについて記憶する限りではほぼ言及されなかった)
 
 ここで話は少し戻る。3人体制になった翌年、3人それぞれをフィーチャーした誕生日記念企画「真空パックvol.13-黄・赤・青 -真空ホロウ3ピースになったんで対バンしませんか2018-」が開催されることとなった。特別企画として各回でメンバー考案のオリジナルグッズを発売し、そのグッズに特典CDをつける(順序が逆だ小僧!)(4年ぶり3度目のツッコミ)という企画である。初回である黄色回、MIZUKI氏が北海道出身であるご縁から、北海道のゆるキャラジンギスカンのジンくん」と真空のコラボグッズが発売されることになったのだ。


 めちゃくちゃ可愛い。マジで可愛い。ほんまに可愛い。 この、サン○オコラボに匹敵する可愛さのグッズが推し盤のために発売されたのだ。これを最高と言わずになんと言う。(この6月の公演にはなんとジンくんのファンも参加していた。チケットもぎりの際「お目当てのバンドは?」に彼の人が「ジンくん」と答えたのか否かが今もずっと気になっている)
 どの公演も大事だが、やはりメンバーの誕生日記念公演はちょっと特別になるものだ。世界一可愛いグッズが生まれた黄色回も、待望の『ドリップ』音源発売があった8月の赤回もアツかったが、10月の青回はとりわけであった。セットリスト1曲目『The Small World』で幕を開けた時点でエモはピークに達していた。松本氏は「いつかこの歌を笑って歌えても」という歌詞を、ほんとうに笑みながら歌ったのだ。
 旧ホロウ時代に、印象的だったエピソートがある。松本氏と村田氏がゲスト出演したラジオ番組「モザイクナイト」で、「お互いを色に喩えたら何色になるか?」とリスナーに問われたときの会話だ。
 村田氏は松本氏をして「カメレオンカラー」と喩えた。「色々なことに興味を持ち、どんどん色が変わっていくから。彼が一つの色に定まったときは、次のステップに進んだとき」なのだという。
『TSW』を聞きながら、私はこのエピソードを思い出していた。そして「青色に定まったのだ」と思った。
 アイドルグループみたいにガチガチの設定で担当カラー別の衣装があるとか、そういうレベルでは無論ない。だが、「黄色が好き」というMIZUKI氏の加入でもって、真空ホロウに彩りが生まれた。その結果として世界一可愛いグッズと、グッズでも使われたそれぞれのカラーがテーマの公演が企画され、松本氏は「青」になった。青の名を冠した企画で「青い記憶」の唄を「笑って歌え」たのだ。
 変わっていくもの、変わらないもの、どちらも等しく、美しいと思った。
 いつの間にか旧体制を追っていた期間よりもソロ期~新体制期のほうが長くなっていた2018年は、そのようにして暮れていった。
 

脱退と疫病と配信と

 2017年からの新体制での活動を順調に進め、新たなテーマ性でもって手堅く仕上げたアルバムもリリースした2019年は、意外な結末を迎えた。高原先生の年内脱退が11月に告知されたのだ。
『たやすく~』は1枚目にして3Pロックバンドとしての新ホロウの「集大成」の作品となってしまった。サポート期から数えれば2019年から4年間。先生のベースはまさしく堅実な土台(ベース)として、新ホロウのサウンドを支えてくれていた。松本氏も率直に先生を惜しんでいたが、家庭の事情となればもうどうしようもないことだった。真空ホロウは(私の知り得る限りにおいて)通算5度目のメンバーチェンジを経て、ボーカルギター、ドラムスという2人編成のバンドとなった。
 もちろん、2人抜けても活動していた真空がここで歩みを止めるはずもなかった。翌年の年始から早速ツアーを開催。久々に披露する旧ホロウ時代からの楽曲を事前に募り、くじ引き形式でセットリストをライブ当日その場で決めるというなかなか過酷企画を敢行した。ツアーファイナルは2月末――ギリギリのタイミングだった。
 2020年春、疫病の影響下で次々とライブハウスの公演が延期になり、やがて中止になっていった。「あけおめツアー」まではかろうじてやりきった真空だったが、その他の予定されていた自主企画も、RTW内田氏とのユニット「シナプス」のツアーも、松本氏ソロの東京23区弾き語りツアーも、みんな幻に終わった。バンドのみならず舞台・コンサート・エンタメにかかわる誰もが苦しい状況だったはずだ。
 ライブ会場での公演ができない閉塞感の中、アーティストたちは次々とWEB配信公演を導入し始めた。インターネットでの商業展開に出遅れていたジャニーズ事務所でさえも、Youtubeや独自の動画配信サービスでもってライブ配信を開始したのだ。
 あの夏、真空はすべての工程を自宅で制作した初のデジタルシングル『KINDER ep』をリリースし、『おうちでたのしむ「真空ホロウ」』と題した配信ライブ(通称「おうちライブ」)を開催した。
 音源のマスタリングも松本氏が学び直して己の手で完成させたというシングル『KINDER ep』はナンバリングで4作目までリリースされる長期シリーズとなる。ソロ期から歌われていた、『マイムマイム』『満天の星』に加え、現代社会を生きる人々の生活に焦点を当てた『プリーズアップデート』はアルバム『たやすく~』をさらに発展させた作品だ。オール宅録ということもあってか、デジタルサウンドの色がより強くなっていて、翌年リリースのEPにもこの作風は続くことになる。
 また、松本氏は地元茨城のホームグラウンドであるライブ会場・水戸ライトハウスの支援活動である「ヒカリノハコ」プロジェクトに参加した。地元の先輩後輩が集い、力を合わせて作り上げた楽曲『命の灯』はただただ圧巻であった。(夏のリリース記念配信イベントでは、司会として参加した旧ホロウメンバーの村田氏と脱退後初の共演もあり、全俺をドギマギさせた)(「別に共演NGってわけじゃないんだけども笑」と後に語られていたが、本当に共演の場はこれくらいしか設けられなかった。謎である。)
 他にも、CIVILIANコヤマ氏、元キマグレンISEKI氏とのディスタンスを設けながらの実験的公演など、あの状況下でも趣向を凝らして、真空ホロウは音楽を続けた。先の見えない中でも、世界を愛せなくても進むこと、生きるということを、否応なしに考える期間になったのだろう。
 
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 掛け持ち中のアイドルの推しは、この期間中を留学先の海外で過ごし、帰国後にはグループ脱退の決意をゆるぎないものにしていた。家の中で、一人で、己を見つめ直す時間があるということは、つまり、そういうことなのだった。
 
 

2021年12月24日○「最終回かと思った。」

 2020年を越えて、バンドの15周年である2021年は怒涛の一言だった。3月から8月には毎月の配信リリースがあり、加えてスマホゲーム「ブラスタ」への参加、秋には新ユニット「健康」の発足もあった。キンダーとトーチが交互に毎月リリースされた期間は嬉しい反面、毎月来る燃料で情緒が忙しかった。『森に還る』『ホーム』の正規音源化はソロ期から待ち続けていた宿願であったし、ZIP-FMのイベントでただ一度だけ聴いた幻の楽曲『その光、手の中で』の新録リリースもあった。『もしもし』や『知らんけど』等の“今”だから出せた令和時代のニューアンセムも外せないし、どこか遠い場所の話をしていた松本氏が自分事として話しはじめたように思える『IKIRU』などの名曲も良かった。これらの楽曲についての詳細は当ブログの「今年買って良かった音源」記事でもとりあげているので、ここでは割愛する。
 とにかくこの年の真空は働き詰めだったのだ。上記の仕事をこなしながらYoutubeでの「おうちライブ」を定期的に開催し、下半期からはライブハウスでの公演にも戻り始めた。何よりの僥倖はライブハウスでの有観客公演のときでも同時にWEB配信をしてくれたことだ。諸般の事情で行動に制限のあった身としては「配信あり」の一文がなによりありがたいものだった。WEB配信をカウントするならば、最も多くの「現場」に参加したのが2021年~2022年の期間であった。
 そんな年の暮れ、松本氏は「KANZEN PLUGLESS LIVE」という、会場ではマイク等収音機材を一切通さない、生歌・生音のみの弾き語りライブを開催した。毎週木曜の定例LINE LIVEのEX公演ということで、この公演もWEB配信ありだった。小規模会場での生歌の迫力は並外れていて、その「圧倒的」な歌唱力を思う存分味わえる現場だった。そして、何だか異様にエモーショナルな現場だった。これまでの歩みに想いを馳せるようなセットリストに加えて、アンコールで披露された新曲『無限回廊――この曲が持つ尋常でないエモさがあまりにも「最終回」だった。それほどまでに迫真のライブだったのだ。
 しかし、この時の私は「タイトル回収回」(連載ものマンガや連続ドラマ・アニメでサブタイトルや作中キーワードに作品名そのものが登場すること)だと解釈した。この先の予定はまだまだあったからだ。しかし、改めて振り返るに、「タイトル回収回」は物語の折り返し~やや終盤戦に訪れることがほとんどである。無意識のうちに防衛本能が働いたのか、単なる思慮の浅さか、今となっては謎だが、この直観はやはり、当たってしまうのだった。
 
 翌2022年。真空ホロウは15周年という記念の年だった前年に疫病下で十分に活動できなかったことをして、15周年のやりなおしも込めて「15th Anniversary +1」という企画を発表した。2月から毎月、自主企画の「真空歩廊展」を開催するという、2021年のリリースラッシュに続くライブラッシュである。
 「15+1」はライブ会場での有観客開催だったが、すべての公演を前年と同じくツイキャス等で配信してくれた。金銭的にも物理的にも毎月の東京通いなんて不可能な地方民としては、やはりこの上ない有難さであった。
 この自主企画は基本的にはゲストを1名迎え、対バン形式で行われた。呼ばれるゲストはこれまで何度も世話になった馴染みのバンド仲間や先輩、後輩ばかりで、公演中に次回のゲストが発表されることもお楽しみのひとつになっていた。そして、これは完全に個人的な感慨であるのだが、2月の初回時からなんとなく「今日は2013年の頃っぽい」「今回は2014年だった」のように、選曲や歌うときの松本氏のまとう雰囲気に、(直接知っているのは2012年からだが)この15年あまりの氏の歩みのようなものが感じられたのだ。
 7月には「15+1」のラストを飾る公演として12月の東京キネマ倶楽部でのワンマンライブが発表された。キネマ倶楽部といえば2015年のツアーファイナルにして、旧体制ホロウのファイナルの地でもあった。おまけに、FC限定の来場特典は2012年リリースの『Slow and steady』の再録盤だという。10年前、私が真空を見知った年の盤だ。周年企画の締めくくりに相応しいエモの舞台が着々と整えられ、公演への期待は否応なしに高まっていた。
 また、これらの活動の裏でMIZUKI氏は新たに「Lonesome Blue」メンバーとしての活動を開始し、松本氏は昨年に引き続き「健康」やブラスタの現場でも精力的に活動していた。実験的でディープな音楽性の「健康」と、まったくの別界隈で新たな表現を見せてくれたブラスタ(まさか様がステージでダンサーと踊るなんて!)どちらもそれぞれ面白かったし、松本氏の中の世界がますます広がっていくのを感じていた。
 そんなある日、松本氏個人のYoutubeチャンネルにある動画が突然投稿された。
 
youtu.be 『水彩』はメジャーデビューよりも、RO69入賞よりも前、2007年に発売されたデモ音源『黒鏡』に収録された、いわゆる最初期の超レア音源である。
 この投稿を皮切りに、『終幕のパレード』に始まるCD音源化された楽曲や、リリースに至らないまでもライブで度々演奏されてきた楽曲、外部への提供曲、歌唱担当曲も含めた「ほぼ全曲」の動画が毎日ひとつずつ投稿されていった。また、動画投稿と同日に、松本氏はその楽曲のセルフライナーノーツのようなテキストを真空ホロウ公式WEBページのFCコンテンツで更新していった。長年のファンにも新規のファンにも嬉しい企画であったが、「急にどうした?」感は否めなかった。ただ15周年の記念の、単なる振り返りの企画として当時は処理したように思う。「ほぼ全曲」を通して、バンドでもバンド外でも、松本氏の仕事の「幅」の拡がりを如実に感じられたし、その曲を聴いた時々を思い出させて感慨に浸るに良い企画だった――。
 
 11月25日。「真空ホロウ活動終了」が通達された。
 私は「あぁ、あれ、本当に“最終回”だったんだなぁ」と思った。
 
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2023年2月18日○ 終幕。

 記念すべきワンマン公演の1週間前に告知された「活動終了」。「休止」でも「解散」でもない、バンドの「終了」である。
 思い出したのは2008年に活動終了した倉橋ヨエコの「廃業」だった。休止でも引退でもなく、業務としての「倉橋ヨエコ」の活動をすべて終えるということだ。幕引きの理由にも近しいものがあった。「これですべてを出し切ることができた」「最高傑作を作ってしまったから」――松本氏が活動終了を決めたのも「バンドとして表現できることをすべて全うした」からだという。メンバーそれぞれの音楽活動は継続する点では違っていたが「バンド・真空ホロウ」という「物語」が終了する、そのように受け止められた。(倉橋ヨエコのラストツアーのファイナルもキネマ倶楽部だったそうで、何かの縁を感じずにはいられない。)
 年始(年始ではない)恒例の音楽記事にも書いたように、「そりゃないぜベイベー!」とわずかにでも思っていたなら、落胆、悲しみ、怒り、その他あらゆる感情が噴き出していたところだろう。しかし、この10年間真空の音楽を傍らに生きて、沢山のものを貰ってきたと自覚する者としての率直な感慨は「それはそうかもしれんわな。」だった。バンド結成、ライヴ、コンテスト出場、入賞、リリース、メジャーデビュー、ラジオ、雑誌、TV、アニメ主題歌のタイアップ、脱退、ソロ、再始動、曲提供、配信リリース、別プロジェクト開始……その総てではないが、概ね全部を目の当たりにしてきた。叶わなかった目標も、想定外に舞い込んできたものもあっただろう。2021年からのリリースラッシュも2022年の企画ラッシュも、その間中ずっと平行していたバンド外活動を見ても、彼らの表現はより多彩に、広く、深くなっているのがわかった。「成熟した」と言い換えてもいい。「君みたいに・君のようになりたい」と歌い続けていた真空はいつからか「君は僕じゃない/僕は君じゃない」と歌いだし、「あなたと話したい」「あなたと生きていたい」と歌うようになった。「思春期を終える」と松本氏のメッセージにもあったように、少年は「こどものくに」を胸に抱きながら、しっかりと大人になっていたのだ。
 
 12月2日のキネマ倶楽部は晴れていた。
 
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 セットリスト1曲目は『回想列車』。あの日の列車が再びキネマの地に停車したのだ。私は2015年に夢想上の路線を走ることを許され、魂の半分をここに置いてきた、と長らく思っていた。真空ホロウのために再びキネマ倶楽部を訪れ、あの時分かたれた魂と再会したかのような気分であった。
 みんなだいすきライブの定番曲も、現場で披露する機会の少なかった配信リリース曲、新旧さまざまに織り交ぜたた公演だった。古くからの友人も、最近の仕事で新たに関係を築いた仲間もゲスト参加していて、彼の世界がぐっと広がったことも伝わる公演だった。私は満足していた。真空ホロウの現場で満足しないことは一度もなかったのだけども。
 
 ここ数年、私個人の中で、ほぼ同世代である松本氏のことを一種のロールモデルのように捉える感覚が育っていた。柔軟さと頑固さ(「結局」のところ)のバランス、未知の世界へも果敢に挑戦していく度胸への敬意。そして近年の作品群から「百年の眠りから覚めた吸血鬼」ではなく「同じ時代を共に生きている隣人」として見るような気持ちが強くなっていったのだ。「君のようになりたい」とはついぞ思わなかった、が、「あなたと生きていたい」という気持ちは確かにあった。より正確に言うならば「松本氏の歌が、私の人生の中に末永く在ってほしい」だろうか。そのためには、おたがいが健やかに、身を持ち崩さず在ることが必要だった。そこへ「健康」なる新ユニットが登場するのだから、松本氏は本当に「わかって」いるのだなぁと思うし、実際、彼自身がこの10年であからさまに健康になっていっているように、私には感じられていた。魔の28歳も乗り越えて、消え入りそうな瞬間なんてないくらいに。
 最終公演の直前、旧ホロウメンバー村田氏がパーソナリティを務めるラジオ番組に松本氏がゲスト出演した。「ヒカリノハコ」イベントから約3年、ラジオ番組に絞れば、実に7年ぶりの共演である。二人は今だから語れる、と2015年当時の話や、活動終了についての話をしてくれた。「だんだん人間になっていった。昔は蛇みたいだった。」「(バンドが)大切だからこそ、なあなあにしたくなかった」という松本氏の言葉、村田氏の「(真空に)少しでも影響を残せてたら」への「大きいですよ」という松本氏の答えで、私は胸がいっぱいになってしまった。「結局」私にとってそれがすべてだった。
 
 2月18日の最終公演のタイトルは「真空ホロウへようこそ。」だった。これぞまさしく、まさしく「タイトル回収」である。
 

(歴代メンバーより贈られし‟松”の盆栽)
 
 代官山UNITの地下会場に降り行く階段には、これまでの真空ホロウの写真が所狭しと展示された。「何もない回廊に絵を掛けていく」――バンド名の意味として語られていたそれを想起させる企画だった。壁一面に敷きつめられた写真。空っぽの回廊は真空の記憶でいっぱいになっていた。
 開演前の薄闇のステージにセッティングされたマイクスタンドには、あの懐中時計があった。思いのほか短かったソロ期の中、いつの間にか見なくなっていた光景、すべての始まりだった光景に、最後またまみえることができた。「わかっているなぁ」と思った。「特別な日」の演出を、彼らは間違えたことがなかった。
 
 個人的には、12月2日の「15+1」ファイナルこそが最終回で、この最終公演はそれ自体がファンサービスというか、「最終回後の後日譚」のように感じられた。真空ホロウを好きな人だけが集まった、アットホームな現場だった。松本氏にとって17年あまりの、私にとっては約10年の、人生のような公演だった。でも、思い出に浸るばかりと思いきや、ここへ来てまったく新しい音が鳴らされて、耳慣れたはずの曲がまったく新鮮に響いてきたり、手抜かりは一切ない公演だった。
 最後の曲『虹』の演奏を終え、ドラムセットに突っ伏したMIZUKI氏をみて、私が関わる中では一番長く務めてくれていたのが彼女だったことに思い当たった。とにかく明るい声で笑い、ときに鋭く松本氏の発言を斬ってくれる、なんとも頼りになるメンバーだった。
 松本氏は「終幕」の一言であっさりと幕を降ろした。すっきりした表情だったように思う。
 いつもの現場のように、私は満足していた。ただ、アンコールがなかったこと。アンコールでいつも新曲を披露していた真空ホロウのアンコールがなかったことだけは、やっぱり、ほんのすこし、寂しいと思った。
 真空の現場で宇宙初披露の最新曲を聴く瞬間が、この10年における私の、最も幸せな瞬間だったのだから。
 

「結局」のところ、

 この10年あまり、私にとって「真空ホロウ」は常に最高におもしろいコンテンツであり続けたのだった。
 私は毎週水曜の「ZIP ROCK RADIO」も、毎週金曜の「眉唾マテリアル」も毎週木曜のLINE LIVEも忘れないし、2012年の渋谷WWWがソールドからの無料全編配信してくれたことも、そのアンコールで様が歌った弾き語りの『回想列車』をずっとライブ帰りに聞いていたことも、夏コミとTREASUREが被って熟慮の結果、友人とビッグサイトから大須ELLにハシゴしたことも、初めて水戸ライトハウスで彼らを観て「このバンドが世界一かっこいい」と素面で思ったことも、なんか急に「JUNON」で連載が始まったときの驚きも、まっっっじで雨の現場が多かったことも、未だに1コーラスそらで歌える『茨城県民の歌』も、出演するたびに編成が変わっていた鬱フェスも、健康になる前のキキララ(闇)も、観客一同でメンバーをぐるっと取り囲んだ360°ライブも、グリーンバックに巻き込まれて消えたパクチーサラダも、恒例になったCD袋詰めするだけの内職配信も、ガンギマリの達磨も、
 土砂降りの久屋大通公園で歌った『その光~』も、鶴舞公園で花見しながら聴いた『サクラ・テンダー』も、歩廊展第一回の『ラビットホール』と誰もいない部屋も、笑いながら歌えた「青の日」の『The Small World』も、はなわのバックバンドとして立ったダイホのリハ時間にしれっとぶちかました『アナフィラ』も、クリスマスイブに聴いた最初で最後の生歌『無限回廊』も忘れない。
 真空ホロウという最高のバンドがいたことも、真空ホロウという最強のバンドがいたことも、忘れない。
 忘れられようがないのだ。
 
 なので、

(めっちゃ仏間だけど仏間しか置くとこなかったんだよな)
 
 
 このたび、まことに勝手ながら「真空館」を引き継ぐことと相成りました。嘘です。いや半分は本当です。貰ったから・・・館のシンボル・・・。
 つきましては、「真空ホロウ」の活動を出来る限りアーカイブすべく立ち上げた非公式・私設ファンサイト『真空保存』を本格始動いたします。
 過去コンテンツ、WEB記事、セットリスト、初期の配布デモ音源等の情報を募集しています。ご協力いただけますと幸いです。
 
(なぜか当たる気しかしなかった)(でも本当に当たったときは膝がカクついた)(こういう運命もあるのだなぁと思いつつ放置してた情報まとめtumblerが脳裏を過ったので運命の流れに従うことにしましたよ。何卒よろしくお願いいたします。)
 
 

2022年買って良かった音源 ~推しドルがデビューして推し盤がサ終宣言したSP~

前略、推しドルが留学したと思ったら全世界デビューしました。

 どうも、2019年春の合同魂で「如恵留推し」を認めてから約3年、年度末に北米留学を宣言しあれよあれよという間に海を渡っていったTravis Japanが、あれよあれよという間に現地のダンス大会で好成績を修めたりおさめなかったり、北米のオーディション番組に出演して好評を得たり得なかったりし、秋の口にはデビュー宣言が成され、あっという間すぎて正直よくわかんねーけどすごいことはわかるくらいの感じで推しのデビューとやらを見届けました、オタクです。
 この留学は「北米のダンススクールで技術を磨き、海外で結果を残してくる」修行の旅であると語られていた。彼らにとって国内での成果は、小目標である「デビュー」に結び付くほどのものではなく、そこに至るまでの「箔」なるものを付けなければならないのだ、と私は受け取っていた。推しのデビュー実績の有無にまったくこだわりはないし、デビューするしないに関わらず、修行とやらも真に彼らの身となるなら是非行ってきてほしい。世界基準とやらに触れていくのは善きことだ。あと、どうにもこの頃の本邦はキナくさすぎるのでなるべく年内には帰らないでほしいというノリでいたので、如恵留さまが渡米前に宣言した「最速の帰国」をそのものずばり「レコード会社との契約=デビュー」で成し遂げてしまったことにビビりつつ、この「只者ではなさ」に途方もない魅力を感じているのだと再認識させられた。北米での活動に、如恵留さまの英会話力は不可欠なものだった。

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 鬼気迫る――しかし彼らの本分「観客を驚かせ、かつ楽しい気分にさせるエンターテイメント」は維持されたこのパフォーマンス、そしてその前後で彼らが見せた「人となり」、それが審査員や3000人のオーディエンスを沸かせた。トラジャの表す「アイドルらしさ」がシンプルにお出しされている。二次審査の結果は芳しくなかったが、それでも知名度を上げることはできた。そして2回のAGT登場の間に、「World of Dance」というダンスの世界大会で全米4位・世界9位のランカーとなって、ハリウッドに本社を置く北米のレコード会社の目にとまり、デビューした。全世界「配信」デビューである。
「CDの発売」ではない。音楽配信サービス・サブスクリプションサービスでの購入やストリーミングで、世界中どこにいても(ネット環境さえあれば)彼らの音源をきくことができるのだ。日本でも、L.A.でも、インドネシアのトラジャ村からでも!
 というわけで、わたくしついにサブスク導入いたしました。(地味にめちゃくちゃでかい変化)

JUST DANCETravis Japan

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 その名をもらった時から、「ダンスを武器とすること」を宿命つけられた彼らのデビュー曲は、高難度でスキルをバチバチに見せつけるクールなナンバーではなく、軽快なダンスチューンだった。
 そのティザーが公開された当初、レトロなイントロやロゴが80年代回帰で流行を押さえていることはわかる程度だったが、サビから入る歌いだしで一転、今風の音にぐっと寄っていく。もっと嵐の『Turning Up』くらいに行き切ってもいいのではと思ったが、WOD予選で初公開だったJr.期最後の新曲『Party up crazy』がそっち寄りなので趣向を変えたのだろう。
 私が何より「世界デビューしたこと」を痛切に感じたのは音の良さだ。ベースやばない? 現在ワタクシの環境で一番いい音が出るのはPC用大型モニターと化したSONYBRAVIA(テレビ)なんですけど、これでMV再生したらめっちゃええ低音聞こえてきてびびった。やっぱこう、本場は「音が芳醇」だなと、わざわざL.A.まで出かけて行ってレコーディングするアーティストが多いわけだわと。リリース当日にはtofu beatsとyaffleのremixも同時配信された。突然の告知が音楽好きに衝撃を走らせたことは言うまでもない。
JUST DANCE」は、彼らがL.A.で学んだ「Millennium Dance Complex」の掲げる「NO RACISM, NO SEXISM, Just Dance」を思わせる。歌詞もその言葉通り、「あなたがどこの誰でもかまわない、踊ろう!」と誘う。夢ハリのタップダンスにまで「みんな一緒に!」とファンを巻き込もうとするトラジャらしい世界観だ。MVにちりばめられたこれまでのトラジャの歩みの欠片や、おなじみの円陣コール「賛成!」の採用もエモい。全員留学からの海外フェス・ダンス大会出場だとか、SNSでデビュー告知だとかレーベルが海外企業で配信しかないだとか、様々な「異例」を更新しつつ、ジャニーズのアイドルTravis Japanがこれまで見せてきた精神性はひとつも変わってはいないのだ。
 何はともあれ、デビューおめでとう。
 

『まわりまわる』ササノマリイ

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 2020年、水面下でがっつりハマっていたとある中国発のアニメ『羅小黒戦記』(映画を2回見に行き、Blu-rayを購入した)の、同制作スタジオによる新シリーズ『万聖街』日本語吹き替え版が昨年ついにTV放映された、その際のEDテーマである。
 この音の手触り……聞き覚えがある!! と調べたところ、アーティストのササノマリイとは『戯言スピーカー』等で有名なボカロPのねこぼーろ氏であった。道理であの頃のボカロのにおいがするわけだ、と腑落ちした。
 あの頃のボカロ、というと早口でまくし立てるような超高速デジポップ・ロックのイメージが強い。その一方で、抑えた音数とBPMで繊細な感傷と鬱屈を表現する流派(?)もあり、インターネッツの片隅の思春期どもは、そんな楽曲で傷ついきやすい心を慰撫しながらコメントを右から左へ流したのだ。
 この曲はアニメの雰囲気そのままに、キラキラしたプラスチックビーズを散りばめたようなサウンドと柔らかくやさしい歌唱が印象的な作品だが、うっすらと漂う繊細な感傷の空気が、やはり当時の楽曲群にあったそれを思い起こさせ、「おおきな思春期ども」として聴いていた僕にある種実家のような安心感をおぼえさせたのである。  

『AMBUSH』DAgames

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 DAgamesとの初邂逅は確か某動画に投稿されてた某漫画の手書きMADだったかな。
 同人音楽というと「東方アレンジ」のような、原作楽曲のアレンジだったりインストへのボーカル追加だったりを想起するところ、こちらはゲームをモチーフにイチから作曲するというスタイルで活動されている方。こういう方向での二次創作だってないわけがないのに、彼の活動を知ったときはなんだが新鮮な気持ちになった。扱うジャンルはハードなラウドロックから高速ピアノのエレクトロサウンド、時にジャズもこなす多彩さだ。『Get Out』『BENDY and INK MACHINE』なども有名。これまではYouTubeで見聞きしていましたがサブスク導入によりようやく手元に置くことになりました。
 この楽曲はMVを見てわかる通り、みんなだいすき宇宙人狼こと『AMONG US』を題材にしている。踊るクルーたちがもちもちしてて可愛い。おばけになっても可愛い。
 

『健音 #1 -未来-』健康

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 2021年に発足しほぼ同時にプレ音源を配信リリースした、松本明人と悠介からなる音楽ユニット「健康」。検索性の悪さでは「3」の上を行くと名高い彼らの1stフルアルバムがこの『健音 #1』である。発足時の特別配信公演で披露されたうちの6曲に加えて、新曲6曲(うちインスト4曲)とボリュームたっぷりで、端から端まで隙なくみっちりと健康の仕事が詰め込まれた盤になった。正統派ロックサウンドからEDM、演奏がつらいことで有名なプログレ的超展開楽曲、ミラー構成の楽曲などジャンルや表現は多岐に渡り、水音のSEなど細部にもこだわりを感じる逸品である。(「バケツの水に物を落とす音を収録するだけのインスタライブ」も懐かしい)『針金』に唄われる「俺/お前」はモチーフとなった映画の主人公たちのようでいて「健康」のお二人のようでもあり、エモがにじむ。
 2022年には東名阪ツアーを行い、さらに秋には、1st版と同じ映画『アカルイミライ』を元ネタにした新曲5曲を加えた「ディレクターズカット版」のような公演を行った。この新曲群がまた、「正規配給版にR指定がかからないようカットしたバイオレンス描写」と「やや冗長になりそうなのでカットした長回しのシーン」みたいな様相でそれぞれめっちゃくちゃ良かったので、関係各所、どうか頼みますよ(圧)(サポ麺のユナイト莎奈さんからの「圧をかけると盤が出る」との言葉に従いました)

 ちゃっかりライブツアーの円盤も出ているぞ。ヴィジュアル表現にも凝りまくっているユニットなのでこちらも是非。

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『BLACKSTARⅢ』ブラックスター ーTheater Starlessー

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 どうも、2021年最推し盤麺がいきなりソシャゲの中の人となってステージ歌ったり踊ったりしました、オタクです。
 アイドルや役者をモチーフにしたスマホ媒体リズムゲーであふれるこの時代、かつ舞台・ステージ化が当たり前になったこの時代に、キャラクターボイスとしての声優とキャラの歌唱楽曲のシンガーをほぼ完全に分離したコンテンツで売り出しているブラスタこと『BLACK STAR』。このプロジェクトがなかなか面白いことをやっているとちゃんと気づいたのは2022年開催のライブツアー「BLACK TOURⅡ」に丸腰参戦をかましたときだ。いやぁ、おったまげたね。
 KONAMIアーケードゲームBEMANI」シリーズで音楽のいろはを叩きこまれたワタクシが思うに、いわゆる音ゲーの音楽の良さは「ゲームとして幅を出すためのバラエティ力」と「ゲームであるがゆえのポップさ」だ。ひとつのパッケージに色々なジャンルが揃い、ジャンルがバラバラであるからこそ各ジャンルの特色が最大限に引き出され、かつゲームというポップ文化にあるためのキャッチーさは絶対に忘れない、それが音ゲー楽曲なのだ。
 ブラスタのそれも勿論それらの要素を備え、各チームが担当する各ジャンルの音楽の、一番ポップでキャッチーなところをバシッと当ててくる感じがたまらん美味さで、それが一挙に味わえるのが音ゲーのサントラ。要するに「パスタと中華とカレーと寿司とデザートのいっちゃんおいしいとこを食える最高のビュッフェ」なのである。
 購入したのはゲーム内チーム『K』の特典盤つきのver. なぜかKとしては新参の夜光くんがジャケのセンターをぶち抜いていて驚きの仕様。我が最推しである夜光シンガー・松本氏歌唱の楽曲『沈まぬ月』はエモ100%のミディアムバラードで、抑えて抑えて抑えて抑えて終盤に爆発するのがすさまじい。(ライブパフォーマンスではさらに大大大爆発する)あと、やはりショーテイスト・ミュージカルが好きなので、特典盤収録の『ひらひらり』がイチオシですね。完全に『Endless SHOCK』のデドアラシェイクスピアの悪夢のくだりですよこれ。チームKってかブラスタ好きな人ぜったいSHOCK見た方が良いよ(なんの話)
 

『Make Your Choice(side EVEN)』内『MASTERMIND』 晶&夜光

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 なんか投票で上位だったシンガーのシングルが出る企画だったらしいが投票とかもう色々なアレアレが散々で懲りごりだったからいっこも情報いれてなくてなんもわからんのだけどやこくんに投票してくれた人ありがとうめっっちゃありがとう「太郎さんと特撮の主題歌唄ってるときの明人さまください」って言ったときに貰えるやつでめっっちゃ嬉しいありがとう。太郎さんもありがとうコラボライブ超よかったありがとう夜光るピックは買えへんかったけど!!!!(通販!!!!)  
 

2022年冬、10年来の推しバンド、真空ホロウが「活動終了」宣言をした。

「バンドとしてやることはやりきった」との由であった。
「やることをやりきった」と言われて思い当たるフシがまったくなければ、「ちょっとちょっとそりゃあないぜ」とツッコミ裏手パンチを食らわせてしまうところだが、どっこい2021年上半期のリリースラッシュとバンド外活動を鑑みれば、「それはそうかもしれんなぁ」と頷くよりほかはなかった。2022年頭からの月例企画「15+1」がバンドの歴史を遡っていくような、総決算のような公演だったことも明かされてしまえば合点がいく――そして、なによりの論拠は2021年末のクリスマスに開催された「KANZEN PLUGLESS LIVE」公演ラストで新曲『無限回廊』を聴いたときだった。わたしの感想は率直に「最終回かと思った」だった。ただ、そのときは先にいくつも予定が控えていたから「“最終回”ではなく、“タイトル回収”回である」と結論づけたのだが――タイトル回収回は概ね物語の折り返し~やや終盤戦に訪れるものだ。改めて振り返ると、その通りにことは運んだのだった。
 翌2022年中は完全新規リリースがなかった。その代わりのように毎月1度の弾き語り公演があり、そしてこのep.が、リブートされて戻ってきた。

『真約・Slow and steady』真空ホロウ

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 10年と半年ほど前、私が真空ホロウにハマったそのときの最新作だった『Slow and steady』の「真約」版である。2012年当時発売したそれは、タワレコのみの数量限定販売で現在は中古品でしか流通していない。(※YouTubeMusicで聴くことは可能)「ヤフオクでプレ値がついててムカついたから」がリブートの理由だと12月のワンマン公演では冗談半分本気半分に語っていたが、再流通が公演当日のみの会場限定無料配布という、さらなるプレミアを呼ぶ仕様だったのはちょっとどうなんだと思わなくもない(笑)とまれ、入手困難でありながらライブで人気を誇る3曲がここ最近(「おなご」・ブラスタ以降)のファンも手元に置けるかたちになったのは良かった。
 さて、具体的にどう「真約」されたのかというと、まず現体制では不在であるベースパートにここ数年ライヴでサポートを務めている是永亮祐氏、盟友CIVILIANの愉快なベーシスト純市氏、元Sazagiの雲丹亀卓人氏が1曲ずつゲスト参加し、それに伴ってかなりアレンジも変えられている。MVも公開されたシンデレラコンプレックスはオリジナル版にはなかったスラッシュメタルのような趣き(MIZUKIさん曰く「斧を振りまわすようなベース」?)で暴れっぷりがより凶悪度が高まっている。10年かけて醸成された乙女の執念がそうさせているのか? あと、10年前から上手かったのにもっとずっとさらに輪をかけて歌が上手くなっとる松本氏のすごさよ。旧版の音源自体はいちおうYouTube Musicで聴けるので、未所持の方も聴き比べてみてほしい。

 
 
 ――ところで、お気づきの方も多いだろうが、この毎年の音楽記事は「買ったイケてる音源を紹介したい」というタテマエで「真空ホロウと松本明人の仕事を語りたい」欲求を満たすための場所でもあった。来年、再来年もこのシリーズ記事を書くのかどうかは、松本氏の今後の活動次第なのである。
 願わくば、来年も再来年もその次もその次も、記事を書けたらいいなぁと、思っておりますですよ。

(とはいえ、歌唱曲3曲入り! のブラスタの4thアルバムが確定しているので、いちおう来年も更新することは決まっている。おそらく「真空ホロウ」の名がクレジットされた最後の盤になる。ありがとうブラスタ。ありがとう夜光くん。きみが様の一部としてあってくれてよかった。いくら感謝してもし足りないよ。本当に本当に、ありがとうね。)

幻想を抱いて死ね!!!!~ウインクあいち『M.バタフライ』~

 あけてましたおめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 このタイミングであげる記事といえば恒例の買って良かった記事――だと思ったか?! そうは問屋が卸しませんよ!
 一年のまとめを年内どころか翌年1月中にも書ききらないのがここの主なので、この記事は当然「昨年中にあげるべきだったのが年中ちょっとかなり色々なことがありすぎて先送り先送りになっていた内容を年末年始休暇のうちにやっと書き終えて校正してお出しする回」である。長いね。
 本っっっ当に2022年は色々あって、当記事はその色々のうちのひとつで、書ききらずに遅れた理由も記事中に記しています。 
 以上、前置き(言い訳)以下本文。ちゃんと真面目な感想文です。

動転の春

 2022年春、推しグループが突然の留学を発表をした。その件についてはまったく落ち着き払っていたワタクシであるが、ちょうど翌週に飛び込んできたニュースには動転せざるを得なかった。
 まず飛び込んできたプレスの、ヴィジュアルがこうである。

 待て待て待て待て、ステイステイステイ。

 ヴィジュアルに動転したうえで記事本文を読んでツッコミどころが108個くらい思い浮かんだ。推しが? 京劇の? 女装の? スパイで? 男とバレずに? 男とねんごろになる? 役ですか?(6個だったね)
 ボーイズのラブをテーマにした作品と文化を愛好して生きてきたオタクたちの脳裏に「そうはならんやろBL」が過っていたであろうことは想像に難くない。たまに見るアレだ。「双子の姉だか妹だかの身代わりになって敵国のいけすかない王子に嫁ぎ、当前バレるが何故か受け入れられる双子の兄だか弟」みたいなやつだ。
そんなわけがあるか。バレた瞬間に一族郎党粛清の憂き目に遭うだろ。
 と思わずツッコミたくなるが、そんなわけがあるかという設定をこそ愉しむ文化でもあり、一定の需要があって存在している、アレだ。
 もちろん、この作品は狭義の「BL」(BL専門レーベルから出版される著作物)ではないし、解釈としてもBLと見なす愛好者は少ない気がする。前情報からは、主人公は相手を女だと勘違いしたまま最後までいくし、スパイは仕事のためにターゲットである主人公に接近していることしかわからないからだ。私はボーイズラブラブだけでなくボーイズギスギスもボーイズドロドロもボーイズ憎み合いもボーイズ殺し合いもこよなく(むしろラブラブに輪をかけて)愛しているので、その点で楽しめるのでは、とも思ったが、しかし真面目な話、多方面にセンシティブな題材であることは間違いない。
 その点も気になっていたし、推しも事前予習を勧めてくれていることだし、と私としては珍しく、映画版で「予習」をすることにした(ネット回線とBS放送に入会する際、抱き合わせで会員登録されたU-NEXTにたまたま映画版があったことも大きい)根っからの引き延ばし癖のせいで観たのは前日深夜という体たらくだったが。
 そうしてわたくしは映画版を見、その結末に「BLじゃないと思うじゃ~~ん? 嫌いじゃないほうの最悪胸糞BLだったわ……」「これ推しが演るんか……ほんまにか……??」と頭を抱えて、観劇に挑むこととなったのである。

時空・演技の多重構造

 舞台は主人公ルネ・ガリマールがひとり刑務所の個室にいるところから始まる。独房に持ち込んだラジカセでオペラ『蝶々夫人』を聴いているガリマール。そこから、すべてのことが終わった後のガリマールの一人語りで舞台は進行されていく。一見して「過去回想」なのかと思うが、これは純粋な回想ではない。(そもそも一人称による「回想」はすべて回想者の主観であり、当人にとって真実であっても「事実」の再現には絶対になり得ないのだが)今回の舞台において観客が語り聞かされるのは、ガリマールが独房でくり返しなぞってきた幻想――妄想と言っていいものなのだ。彼はその妄想の中で、この物語の下地であるプッチーニのオペラ『蝶々夫人』を説明するための劇中劇を始めたり、そこに想像上の旧友を共演者として召喚したり、青年期から少年期まで思い出を遡ったりする。これは時間も空間を自在に操ることのできる舞台だからこその表現方法で、三人称カメラで時系列順に展開する映画版では描ききれなかった要素だ。
 この語りの構造によって、ガリマール以外の登場人物たちの言動はにわかに疑わしいものになってくる。妄想の中で何度も姿を変えるソン・リリンはもちろん、夢の中にしか出てこない旧友マルクも実在したのか怪しくなってくるし、上司も裁判長も、本当にあのように振る舞っていたのか、あのような発言をしたのか定かではない。ガリマールは己の理想とする結末になるようくり返し脳内で演じ、そして実際に自分の都合のいいよう改変したストーリーを我々に語ろうと試みているためだ。(それは想像の中のリリンによって阻止されるのだが)
 そして、この構造により、ガリマールが恋し、愛人となって20年あまり生活をしたソン・リリン(扮する岡本圭人)には、何重もの演技・演出フィルターがかかっていることになる。まず、「ガリマールの理想・妄想内の登場人物として」次いで「中国共産党のスパイとして」、「女形を演じる京劇俳優として」……それを「俳優・岡本」が演じるのだからえらいこっちゃである(さらに俳優・岡本の内側には真なる個人の岡本がいる)。オペラ『蝶々夫人』の概念を纏う理想的な東洋人女性としてのリリン、妄想の中でガリマールを痛めつけるドS女王様のリリン、激動の時代にある中国で生き残るためにスパイ活動をやり遂げる素のリリンとバリエーションがあり、それに伴って衣装のお召し替え(京劇の衣装・和装・チャイナドレス・洋装のイブニングドレス・人民服・アルマーニのスーツまで!)がアイドルのコンサートばりに多く、オタクであるワタクシはひじょ~~に楽しめた、わけ、だが、楽しめちまったがゆえに、ガリマールと同期してしまっていることが自覚され、観劇後はしみじみと項垂れることとなってしまったのである。

 そう、これは我らオタクの話なのだ。
 『M.バタフライ』上演会場に、‟あの”ぬいぐるみマスコットを握りしめて行ったオタクたちはきっと皆、“彼女”のことを知っていたはずなのだから。

或る“少女”の記憶

Hey! Say! JUMP LIVE TOUR 2016 DEAR.』通称「親愛コン」、演出として踊らないキッズJr.しかバックにつけなかったあの公演において、9人のメンバーのほかにもう1人だけ登場した人物がいる。“彼女”は「ジュリエット(JUMP担いにしえの呼称)」として、WアンコールでJUMPのメンバーがステージに再登場したとき姿を現し、ファンの代表としてステージ上方のバルコニーを模したセットで、メンバーと軽くやりとりしてから、『Romeo & Juliet』というアンコール定番曲へのフリをする。‟彼女”の名を「ケイティ」という。

 昔の話をしよう。
 ある日のこと、ツイッターランドのTLに流れてきた一枚の写真に、私はくぎ付けになった。それはいわゆる公式写真ではない「闇写」で、ケイティとして出てきた岡本さんが金髪のウィッグをかなぐり捨てたあとの、「女子っぽいメイク」だけを残した姿を写し取ったものだった。あの頃の彼はボブほどの長さの髪をうなじのあたりでひとつに結っていて、雑誌のライヴレポ等にもなかったそれを見た私は「最高」になってしまった。最高であったからだ。その写真はインターネッツの波に乗って闇から闇へと流れて行ったが、私はいまだにその姿を瞼の裏にありありと思い浮かべることができる。最高であったからだ。
 オタクは推しの「女装」が好きである。アイドル雑誌やバラエティー番組、YouTubeで女装企画が披露されない年はないし、オタクはそれを見て「普通に可愛い」「女子ドルにしか見えない」「女として負けた」などとコメントする。しかし、それはあくまで企画や舞台上の演出・役柄によるものとしての「女装」であり、推しドルが日常的に、「(ユニセックスファッションとしてのレディースアイテムのポイント使用の範疇を越えた)女性装」をして生活していると明かした場合の反応は変わってくるだろう。
 そのことへの是非を語る場はここではないので割愛する。ただ、全てではないが概ねのオタクには、たよーせい自己表現諸々の文脈ではなく、バラエティの演出として推しのの異性装を愛でる習慣があるということ、それだけを覚えていてくれればいい。告解タイムは次の次のセクションに回し、いったん本篇に戻ろう。
 

西洋と東洋、見る者と見られる者、現実と夢、男と女

 この作品は様々なトピックを二項対立で語っている。
 中でもいちばん概念としてでかい要素が「西洋と東洋」だ。この関係については冒頭も冒頭、ガリマールとソン・リリン初対面のシーンでほぼ全部語られている。裁判中にメンズスーツ姿のリリンが長々語るシーンはぶっちゃけ蛇足やろというくらいド頭で全部言い切ってる、と思う(スーツ姿で「ン~~これは信じて欲しいなァ~……」とか言って「俳優らしい芝居がかった仕草と台詞で裁判官をおちょくる演技」をするリリンは大層ツボだったんですけども)
 ド頭でからくりを全部つまびらかにしてしまうのか、と映画版を見たときにも思ったが、この「西洋的帝国主義オリエンタリズム」へのエクスキューズを出会い頭の鼻っ面にグーで叩きこんでおかないと、観客の大多数が理解できないと考えてのことなのかもしれない。今回はおそらく「女性客やや多め」といったところだが、ブロードウェイでの公演時にはどうだったのだろうな(なお、おおいなるへんけんのもとに理解できるのは女性で、できないのは男性という前提でワタクシは書いております)
「見る(主体)/見られる(客体)」の関係性としてはまず、1幕序盤のガリマールの自己紹介である過去回想パート。子ども時代の彼が叔父の家でエロ本を読んで妄想を爆発させるくだりだ。あちらのエロ本の定番シチュエーションは(本邦の実写ビニ本も)ようは知らんが、エロ本のピンナップガールは手出しできない遠くの窓から読者を誘うという設定で、12歳のガリマールは誌面の女に「あなたに見せている」と名指しされ、畏怖のようなものを感じながらも「見られたがっているのだ」と歪んだ認知を得ていく。(創作物に影響を受ける受けないみたいな話は昨今しきりに言われているけど、影響、受けるよなァ~??
 エロ本の女はどんなに奔放に積極的に振る舞っていても、編集者によって意図的にそう演出されているだけであって、完全に客体である。ここで、見る側の姿を認知されず「一方的に見られるだけの存在(女)」を畏れながらもエロ消費するという様式が彼の中に完成し、それは(一般的に)イケてない青年期を過ごすことで塗り替えられることもなく、中年期まで保存されている。その後、運命の夜を経て、北京の劇場でガリマールはソン・リリンに「あなたを見ているの」と名指しされる。京劇の姫(おそらく『覇王別姫』の虞美人)を演じるリリンは客体であっただろうが、認知されない側であったはずのガリマールを舞台上から「見て」、舞台から降りてきて話しかけさえする。これは『蝶々夫人』を観たあとの会話で正論グーパンを食らったときと同等の衝撃だったに違いない。そしてここから決定的に、見る側と見られる側の境界がぐにゃぐにゃと歪み始める。2幕以降には語りの主導権すらリリンに渡してしまうシーンが度々出てくる(観客にリリンの状況を説明する必要があるというのも要因ではある)(また、全体の構造が「ガリマールの妄想」であるゆえ、ガリマールに都合の悪い妄想もガリマール自身の描いたものであるといえる)その結実が、リリンの正体がフランスで明かされたあとの形勢逆転だ。リリンは最後、現実の肉体をもってガリマールに己を「見せつける」が、ただ見せつけるのではなくガリマールを見ている。ガリマールはリリンを直視できないので、あとはもう「見られる」だけである。

 この「形勢逆転」は別の場面でも起きている。ガリマールやリリンがこれまでさんざん語ってきた「東洋の女」――「幻想の女性」ではない「現実の女」であるところの中国共産党員・チン同志と、スパイとしてこき使われるリリンの間でである。文革が激化する中、当局に働きを認められたというチン同志はガリマールがフランスに帰国して役立たずになったリリンに自己批判を迫り、これまで「東洋の男」たるリリンが己を見下してきたことへも言及する。男が女に対して、まるで女をわかったような口を利いていたら(しかもそれが的外れなら)そりゃあイラっとくるだろうし、おまけに都会で豪遊してきたインテリ芸能人、「農民なら一生続けるはずの仕事」に4年で音を上げるヘタレである。
 彼女は以前リリンから「なぜ京劇では男が女役をやるのか? 女がどう振る舞うべきかわかるのは男だから」というようなことを何度も言われ、この場面では「あなたには男心がわからない」とも言われる。どっちやねんというか、「男心がわからない」のは「“男”ではないから」なのか「“理想の女らしく振る舞わない女”だから」なのか、ここだけピックアップしても明言はできないが、前段の「どう振る舞うべきかわかる~」に呼応しているなら後者だろう。つまり「あなたは“女らしくない”から“男心”がわからない」ということだ。チン同志はそれに「私は結婚しているし、男と暮らしているが?」と反論する。「“本当の”“ただしい”女はこっちだ」と。実際、同志に命じられてフランスに行かされたのち、リリンは受け入れられないと思っていたものの、ガリマールは彼を受け入れて、そのまま十数年スパイの共犯者となってくれたわけだから、「男心」とやらへの理解度はチン同志のほうが上だったということになる。
 ちなみに、『京劇への招待』(魯大鳴 著/2002年 小学館)の「京劇の歴史」の章によると、京劇は現在の日本の歌舞伎と同じく男のみが演じるものだったが、1894年には女性役者のみの劇団が登場して、北京で人気を博し、大戦後の1950年代には男女混合で舞台に立つようになっていたという。1960年に花形俳優だったリリンのデビューがいつ頃かはわからないが、修行中にさまざまな改革があり、男女混成劇団が主流となっていく中で、女形としてのアイデンティティがゆらいでいた(その中で彼の仕事を奪うかたちになった女性俳優――女性に、いくばくかの敵愾心があった)のかもしれない。とまれ、彼が持ち出してきた「なぜ京劇では男が女役をやるのか?」の問いかけ自体、すでに古い時代のものだったことは確かである。
 
「見る/見られる」の構図は、もちろん我ら観客と演じ手(ひいては舞台そのもの)にも適用される。ガリマールの性の目覚めとして描かれたエロ本は「ストリップ」と「窃視」のフェティシズムに訴えかけていたが、それは後半のリリンが蝶々夫人からメンズスーツに着替える小休憩とも呼応している。リリンは観客に向かって「楽にしてください」と休憩を促すが、「わたしはずっとここにいます」という。観客はステージ上にあるものを観に来ているわけだから(そして、我々はオタクであるのだから)「それ」を観ずにはいられないのだ。その後の、メンズスーツを脱いで生身を晒すくだりは露骨にストリップショーの再演であるが、「見せる」対象はガリマールひとりだから、こちらのほうがより一層「窃視」に近い。作中で滑稽に戯画化された欲望に観客も巻き込んでいく演出だ(まんまと巻き込まれたワタクシは観劇中に4回くらい意識が遠のきましたね。これも後段で語っているよ)

「西洋と東洋」「男と女」「見るものと見られるもの」とトピックを並べてきたが、これらは同じ概念の語り直しである。本作の演出家・日野雄介はパンフレットで「支配する・支配される」という言葉で提示している。
 舞台上で交わされる視線のやりとりは「支配/被支配」を如実に表している。「サディズムマゾヒズム」と言い換えてもいい。エロ本を手にした少年ルネの「見られたがっているのだ」から始まり「支配されたがっているのだ」「無下にされても耐え忍ぶのが“彼女ら”の美徳であり、それを望んでいるのだ」へと移っていくガリマールの歪んだ認知が、ラストの形勢逆転により、己に返ってくる。「ひどい男に、ひどいことをされた」自身こそ「あの蝶々夫人」であると自認してしまう。ゆえに最期はみずから蝶々夫人に扮し、蝶々夫人のように自刃しなければならない。己の幻想を守るには、幻想と心中するしか道は残されていないのだ。
 ところで――限界視力と限界記憶力ゆえ、舞台版がではどうだった定かでないのだが、映画版においてラストに「蝶々夫人」メイクをするガリマールは、和装メイクと京劇メイクを混同しているように見える。無論ガリマールにとっての蝶々夫人=リリンであることも一因だろうが、舞台版で「京劇のことを周りの誰も知らない」とセリフにあるように、彼が結局、「男と女の違い」はもちろん、日本と中国の見分けもつかない、東洋の文化(=女性)にリスペクトがない、「傲慢な西洋の白人男性」のまま、最後までいったことを示しているように思えてならないのである。
 
 ところで、女性性にマゾヒズムを紐づけ、「女装をすることでマゾヒズムの欲求を満たす男性」についての解説は『美とミソジニー』(シーラ・ジェフリーズ著/2022年 慶応義塾大学出版)に詳しい。
 その嗜好は「オートガイネフィリア(自己女性化性愛)」と呼ばれている。「男女の区分をただ染色体の違いによって顕れる肉体のタイプ」であるとせず、肉体のタイプに基づいて付加された社会的な役割こそを「男・女」として解釈しているから、「女らしい」振る舞い――つまり「見られる」「支配される」「ひどいことをされる」側に自分を置きたい(マゾヒズム的欲求を満たしたい)と男が思うとき「自分は男ではない=“女”である」という解釈に至り、女性装をすることでマゾヒズム的性欲を満たすのだという。
 当然ながら、性別が女であるというだけで「ひどいことをされる」いわれもなければ、「ひどいことをしたい」側の要求を受け入れてやる義務もなく、女はみんな「恒常的・定期的にひどいことをされたい」でもない。改めて言うまでもなく、当たり前にそうである。
 フィクションである『蝶々夫人』――それが描かれた背景にある保守的な、旧来の・架空の東洋人女性像をなぞる西洋の男のグロさ。『M.バタフライ』も史実をもとにしたフィクションだが、そのグロテスクは現実に、複雑に表現・演出方法を変えながら再演され続けているのだ。
 

オタク、死すべし(エモ感想もとい告解タイム)

 さて――ここからが本番、エモ感想ならびに告解タイムです。アップまで約5カ月もの時間を要したのは己の罪に向き合うためです。
 一番グッときたのはなんやかんやで、初めて京劇を観に行ったあと、衣装から着替えたあとの白いワイドパンツですかね。下手側から階段状の台へ昇っていくシーン、パンツの裾がひらひらひらひら……ひらひらひらひら……最高でしたね。
 ……序盤も序盤でこれだったので「お、おれは死ぬのか……この現場でしぬのか……??」と命の危機を感じた次第です。同じ衣装で、最初に電話をかけるところの横顔! あれもたまらんかった。一日目はやや上手寄りの席だったのでちょうど真ん前に電話台があってよーく見えたのですよ。最高でしたね。そして極めつけみたいな紺チャイナでの見下し座り、上から睥睨。おれの背を思いっきり踏んでくれ!!!! 先っちょだけでいいから!!!!(?)と錯乱するのを抑えることに必死でしたよ。いや~~最高でしたね。
 スーツに着替えてからはね~~JUMPの山田さんがANNプレミアムで岡本さんを評して「服が似合う体をしている」と語った通りの、高すぎず低すぎない背丈! 肩幅とウエストの絶妙なコントラスト! 「既製服がいちばん似合うスタイルである」というあの言葉の意味するところを存分に味わえる時間だった。最高でしたね。
 まぁうちらはそもそもオタクだからリリンたそにモエモエしちゃうわけで、(便宜上)同担のルネっちがメロメロになっちゃうのもよーく解るんですよ、ちょいちょい解釈違いだけどさ~~。
 
 で、
 そういう表現を着々と積み上げられてきたうえでのストリップからの素っ裸、スケベのルネっちにとってさえ全然嬉しくなかったあの素っ裸は、きらびやかな装飾をはぎ取ったあとに残る「不都合な事実」つまり、「an・anに載ってるセクシーなソロショット」ではなく「フライデーされたときの女と寝てる素っ裸」であるわけです。「演劇やダンスを学ぶために渡米したいと急に言い出す」や「今のままじゃやりたいことやれないからグループ抜けます/事務所辞めます」、ああ、「コンサート中に結婚報告」「クリスマスに結婚報告」……「五輪や万博の広報任命」「右翼の要人と会食」なんてのもありますね。オタクの見たくないもの、耳を塞ぎたい事実――推しが己に都合のいい偶像ではなく、ただその仕事で飯を食って生きている人間であること、それがあの赤裸に表れているように思えました。やってくれたなぁ!(感心)
 ルネっちにとっての不都合な事実は、「スパイに騙されて同性と知らず男を愛した」ことだけじゃなくて、イケてなかった青年期とか、真面目にやってるのにそのせいで職場の同僚に嫌われてるとか、愛のない結婚からの男性不妊発覚だとか(映画版ではカットされてた設定だったので舞台みて「容赦ねぇー」と思った)、彼の人生のあらゆる局面にあって、それらから逃避するために縋ったのが仕事ぶりを褒めてちぎってくれるし妊娠出産まで(!)してくれ、左遷されて帰国しても子連れで追っかけてきてくれる最高の女子ドル・リリンたそだったわけじゃないすか。
 そういうとこまで全部ひっくるめて、彼の現実逃避の幻想であって、「おまえは20年間まぼろしだけ見ていたね」ということを象徴してるのがマダム・バタフライではない、ムッシュ・ソンのヌードなんだよなぁ。
 推しの舞台、前作も大概な内容だったが、今作もいわゆる職業アイドルの人にようやらせたな(逆説的にドンピシャな配役であるともいえる)という内容で、俺としてはどちらも最高だったけど、わりと無事じゃなかった人も多いんじゃあないかと思う。
 こじらせたオタクはルネっちのように、幻想を抱いて死ぬしかないんですよ。俺らは幻想とうまく付き合って、現実と折り合いつけて生きていこうな!!
 

映画との比較ほか細かいメモ

・映画と舞台の最大の違いはリリンの衣装。映画版は「性別を隠す」ために、首元が露になるような服を着ていない。チャイナ服は襟詰まってるからバレなかったわけだ! と早々に納得した。
・着衣時でも見える(盛ったり潰したりが難しい)範囲で一番性差が出るのは首周り(あの「背が低くて華奢で可愛いしめちゃん」にも「BIGな喉仏」があるのだ)だから異性装をする際はデコルテ~首を隠すようなアイテムが必須なわけ。
・舞台は異性役とか特に何の意味もなくふつーにあるのと、接写のカメラじゃないからか、あんまし気にせずデコルテ出るような夜会用ドレスとか脚モロ見えのスリット入りのチャイナとかバンバン着ている。バレちゃわない?! 大丈夫?! って心配しちゃったよ。
・リリンの衣装はとにかくよく着替えるし布が多いので、脱いだ京劇の装飾がなかなか椅子に掛からなかったり、床に置いてた着物ガウンが椅子に踏まれちゃってたりとプチアクシデントに見舞われていて、それでもしっかり演技は続けていて流石であった。SMGOだね。
・若かりし頃の回想シーンでマルクが捌け際に「可愛い子いた! 〇列〇番の……男だったわ」って客席いじり、奴がクソ野郎だというエクスキューズはあっても良い気しねぇな。このテーマの舞台でそれやってええんかなという疑問は残る。
・京劇の劇場で初めて京劇俳優としてのリリンを観るシーンの演目、二刀流の剣舞のある京劇を調べたところ、覇王別姫』の虞美人の舞いが近いと思うのだが、えー、つまりこれもまた「男のために都合よく死んでくれる女」のバリエーションのひとつってことすか……徹底してんなオイ……。
・参考https://t.co/tjHjctPeA4 衣装からしてもたぶん正解では? どっかで公式に演目でてたっけ?
・レポによると梅田公演のアフタートークで演出家の方から言及があったらしい。うーん、そういうのはちゃんとパンフの解説コーナーとかに入れてほしいな!
・この衣装の動物の顔に見える部分が僕の限界視力では可愛いヒヨコちゃんにしか見えなくてちょっと戸惑った。
・2日目の大楽は母と観に行ったんですが、「京劇のシーンのあとに観客は拍手せんの? 内野さんはしてたじゃん。客もすればいいのに。」と言われた。確かにミュージカルとかだとソロナンバーやダンスがキまったあとに観客の拍手あるなぁ。でもなんかそういう感じじゃあないよねこの話は。
・あと母の感想ででかかったのは「農民は一生農業やるんだよ~って。そうだよねぇ!」と。農家出身としては思うとこあるよなぁアレ。
・リリンはチン同志という「当時の中国のリアルな女」を「当時の中国のリアルな男」として見下しておったので、あそこで盛大にしっぺ返しを食らうわけだ。
・「一生いじわるさればいい」と不倫に不倫を重ねたクソ夫を呪うヘルガといい、現実の女性は現実の女性として描かれておるよね。
・ヘルガは『蝶々夫人』について「美しい音楽として楽しめば」的なことを言い、シナリオについてはノーコメントを通す。てかガリマール以外に話やキャラを褒めてる人ひとりもおらんのが「答え」では。
・『蝶々夫人』をヘルガも一緒に観に行ってたら、
 「あの女優、綺麗だったな……」
 「えっ、あれ男でしょどう見ても」
 「えっ」
 「えっ」
 >『M.バタフライ』完<
 だった気がする。
ガリマールの男性不妊症エピは映画版ではカットされていたので、映画版のほうは「こいつバカで助かったーーー!(by リリン)」的な、ちょっと都合よすぎる展開になっておった。舞台版はより「男性性に挫けてるから都合のいい嘘に縋ってしまう」という流れができていて判りやすかったし、間一髪で妊娠カードを切ってくるリリンの勝負強さが見えた。
・「赤ん坊を用意して!」のくだりに、おっこれが噂の『SPY×FAMILY』ってやつ~? と謎に盛り上がってしまった。
「なぜ今『Mバタフライ』なのか」 への回答……もしかして「『SPY×FAMILY』が流行ってるから」なのか?(急な気づき)
・ガチで「闇のスパイファミリー」ないし「スパイファミリーの現実」として打ち出すのもアリだったんじゃないなと思ったが、スパイファミリー自体も別に光のほのぼのファミリードラマじゃあないよな。母役は純然たる人殺しだし。
・フランスではこの「用意した子ども」とも暮らしてたようだけど、裁判のあとその子はどうなったんすかね……可哀想なことになってなきゃいいが。
自己批判させられるリリンのシーン見て、「スパイとして男に男けしかけといて同性愛を罵るのは無茶やん」と疑問に思ったが、映画版の台詞みるに、まずリリンはゲイの役者ということで当局に目をつけられていて、スパイとして使われたってことなのか。この辺は小説版を読めばわかるんだろうか。
・脚本の下敷きになった史実のエピはパンフレットで確認したが、外交官に「同性の恋人」がおったいうことは、役者、性別偽る必要なかったんじゃね??
・「お、男だったんか~い!?」「バイだったんか~い!?」「言ってよ~~~~!!」みたいな……そんなわけわからんすれ違いあるゥ?
・「そうはならんやろBL」どころじゃない「なっとるやないか」が現実にあったと思うと事実は小説より奇なりってことだな。想像力、現実には勝てんかった、と思わさるるね。
・逆に「なっとるやないか」をBLオタクの希望として胸に留めておくべきなのか。
・にしても、自身に起きた出来事をこんな風に脚色した舞台を許容して興行に同行までするってのもすごい話だな。
・なぜ人類は胸糞ダメ恋愛ストーリーを求めるのか、は紫式部の悲劇のヒロイン・夕顔に入れ込んだ藤原孝標女あたりまで遡って考えちまうよね。
・そういえば初対面時に「『蝶々夫人』の洋の東西が逆だったら?」思考実験がありましたが、すでにそういう作品はあるんですよね。森鴎外の『舞姫』です。
最近の学生によると「本田豊太郎はサイテー」らしいよ。未来は明るいね!

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