※開催中のツアーの演出バレを含みます。アシカラズ※
1月17日水曜日、夜
Travis Japan コンサートツアー2024「Road to Authenticity」横アリに続いて名古屋は帰ってきたおれたちの日本ガイシホール、2日間3公演の初日である。地元平日公演のさがである退勤ダッシュの果てになんとか同席する方と落ち合い(当初は本当に開演ギリギリの予定だった。JRの臨時便運行に感謝である)、チケットを発券して席についた。目前に広い通路のあるスタンド中腹、最上手ブロック。すぐ脇の階段をみてふと、「ここスタトロのときにメンバーが登ってくるのでは?」と思い立つも、いやまさか私がそんな大接近チャンスのレア席だなんて笑笑笑という謎の遠慮(?)が先に立ったので、同行の方と頷きあってそこは一旦落ち着かせ、大人しく開演を待った。
最上手ブロックゆえにメインステージはほぼ真横から眺めるかたちになる。これはこれで面白い構図だし、如恵留さまの横顔はミケランジェロの作と名高いし、と呑気にしていたら上手側の超巨大モニターに超大写しになる推しのご尊顔(グラサン装備)。奈良の大仏さまに迫るスケール感であった。あんなに大きな推しの面(おもて)は拝んだことがなかった。これはいよいよ景気がよい。今宵はこの場こそ神席であるとこのとき確信したのであった。
……であったのだが、
事件はそれだけでは終わらなかった
ライヴは愉快に進んでいった。昨年のデビューツアーに負けじと頭から踊り狂っているトラジャたち。全体の装飾はシンプルながら、レーザー照明や会場を縦断する大型ステージなどの機構に趣向を凝らし、外周花道なしのアリーナ中を駆け巡る新開発の乗り物「トラッコ」もお召し換えしてより豪華になっていた。彼らにもちゃんと台詞(?)があるのだからトラジャは面白い。
そんな風にほほえましく眺めていたら、急に目の前がスタッフTシャツの背に遮られた。何事かと思えば、目の前の通路にいそいそと運び込まれ、設置されていくスタンド用のトロッコ通称スタトロ。
は? と隣を見れば同じく「えらいことになった」とこちらを見る同席者。目の前の通路はスタトロのレーンであり、最上手のそこはまさに搭乗口であった。脇の階段登ってくなんてレベルの話じゃなかった。我々の目の前で、彼らが、これに、乗るのだ。
あれよあれよという間にメインステージの両サイドからスタンドめがけて二手に分かれたメンバーたちがやってくる。大慌てでうちわの準備をし始める近隣住人にハッとして私もうちわを取り出した。以前つくったものの文字が壊れていたことに2日間の晩ようやく気づき、急遽素材をあつめて作り直した突貫工事品である。細部の作りは荒いが、それでも作っておいてよかった。
上手サイドから搭乗し、通りすぎていくメンバーを見送って(思うに、スターなるものものは全体的に造りが小さい。背丈どうこうではなくて、からだのあらゆる部分が0.75倍縮小をかけたくらいに小造りで、きゅっと引き締まっているのである)下手から上手へとやってくる推し――如恵留さまを待った。一瞬のようでいて、永遠のようでもある時間が流れた。
~謁見~
近くにいらしたからといって、何かしらが起きるという期待は特にしていなかった。如恵留さまはピンポイントにリアクションなさることもあれば、広範囲に等しく大きな愛を振りまいてくださることもある。スタトロはスタンドの中腹を通るゆえ、対岸に目を向けていればこちら側は後頭部を拝むのみだ。それでも間近にその御姿を確められることには違いない。一瞬でもお目に止まれば、此処に貴方のファン在り、と伝わるならばそれでよい。そんな気持ちでうちわを構えるのが私の流儀だった。と、そのとき同席の方が「もし(如恵留さまが)来たら、一緒にハート作りませんか?」と誘ってくださった(可愛い)こちらからもエンタメを提供しようという心意気に胸を打たれ、「やりましょう!」と応じた。ていうか発想が可愛すぎた。とても気持ちがいい感じの方で、開演前のコールも曲中のコーレスも積極的でよく声が通る、素晴らしい才能の持ち主であった。私は飲食店で注文をするにも声が通らな過ぎてものすごい挙手でアピらなければならない上、冬場は乾燥で喉がガッサガサになってしまう人種であるので、今回、彼女の存在にかなり助けられたと思う。
果たして、如恵留さまはその優美なる佇まいでもって我々の眼前に降り立った。メインステージ側の照明を背負い、まばゆい光のなかにシルエットが浮かび上がる、一服の絵画である。まさにミケランジェロ、否フェルメールの作だったかもしれない。そんな感慨に浸るなか、ついに彼がこちら側に目を向けた。同行の方と並んで白ペンラ2連でいたので、その場では目立っていたのかもしれない。次いで彼はわたくしの着ていたツアーグッズのスウェットに目をとめ、自身の纏うゴールドの衣装の襟元をちょいと摘まんで嬉しそうに微笑んでくださった。「グッズのアパレルを着ていると如恵留さまはたいへん喜ばれる」との噂はまことであったか! 私の全身を電流がほとばしった。返さねば。目と目が合っているうちに。何か、なにか、なにかを、何を?
目まぐるしく回転する脳内で、いつか来るそのときのために準備していた「言葉」があったことを、私はようやく思い出していた。幾度もの脳内シミュレーションがあり、幾度かの現場があって、しかしそのチャンスはついぞ来なかった――今の今までは。
私は右手の親指と人差し指でL字を作り、己が顎にもっていって、絞るようにして斜め下に引く、という動きをしてみせた。
「好き」という手話である。
咄嗟に出たのはただそれだけ。今にして思えば拙いにもほどがあるのだが――恥も外聞もない生身の「好きです」だけがぽろっと漏れた。そんな感じだ。
如恵留さまは少し目を見張った。そして頷くと、流れるように両の手を動かし始めた。
「いつも」
「見てくれて」
「ありがとう」
「みなさんを」
「愛しています」 と。
如恵留さまの細く長く美しい手指で素早く紡ぎ出されるそれをなんとか読み取った。如何せんひどくテンパっていたし、本当に手の動きが早かったので(マジで)正確ではないかもしれない。でも、そのときわたくしは、そう読み取った。読み取って、2度目の衝撃に襲われた。返ってきた! レスポンスが! 如恵留さまから!
かくかくと壊れた赤べこのように成り果てたわたくしに再度微笑むと、如恵留さまをはじめとした上手出発組は我々の前を過ぎ去っていった。さながら初夏に吹き抜ける爽やかな一陣の風であった(中村さんスタイル良すぎんか?)
それをなかば放心しながら見送ってのち、MCタイムへの移行とともに、色めき立っていた最上手ブロックにようやく平穏が戻った。「如恵留さんと手話で会話してしまった……」と漏らす私に同行の方は「見てました!!」と元気よく応じてくださった(可愛い)。本当に気持ちのよい方だった(「一緒にハートつくる」の件は完全に頭から飛んでいたのでそこは本当にすみませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます)
初めてその存在を強く意識した2019年春、ついに肉眼でその御姿を拝んだ秋、それから3年と幾ばくか。わたくしはついに、如恵留さまと「対話」するという偉業を、成し遂げてしまったのである。
如恵留さまと手話とわたくし
如恵留さまが手話に興味をもって表現に取り入れるようになったのは、2020の自粛期間から――ではない。早くは2019年のトラジャ単独公演、如恵留さまのソロ演目『僕だけのプリンセス』で手話を取り入れたパフォーマンスを披露している。それから2020年の疫病下におけるエンタメ自粛期間に、今はなき事務所独自の動画配信サービス「ISLAND TV」にて自身で企画・収録・編集を行った「如恵留と一緒に手話を学ぼう」シリーズ全50回の動画を47日間毎日更新し続け、夏のソロ配信公演ではそれらの動画で題材にした楽曲をセットリストに組み込んだ手話コーナーを披露した。
全50回に及ぶ動画は昨年末の「ISLAND」サ終によってもう視聴すること叶わなくなってしまったが、普段より少し畏まったジャケットスタイルで動画シリーズにかける想いやこだわりを語った最終回の動画は、如恵留さまの「語り」のコンテンツとして最高に良いものだった。けして「川島如恵留がみなを教え導く」ではなく、「双方ともに同じ歩みでもって学んでいく」スタイルであること。毎日のように動画の収録・編集作業を続けることの難しさと達成感。情報を発信し、それにレスポンスが返ってくることへの喜び。沢山の人と繋がるためには知識や経験が大切だということ。自身の芸能活動は、ファンであるわたくしたちが様々な世界に繋がるような刺激となるためにあるということ。(また、如恵留さまが手話を「言語」として捉え、取り入れていることにも。歌唱しながらのパフォーマンスに手話を用いているけれども、それらがけして「歌」の代用にはならないことも知っているはずで、如恵留さまは英詞曲で英単語を覚えるがごとく、飽くまで歌詞に登場する「単語」と様々な表現を覚えるために、我々の馴染み深い事務所の楽曲を題材にしていたのだ。そして楽曲にのせる「振り付け」にも組み込むことで、ダンスパフォーマンスを得意とする彼らは覚えやすく、忘れないでいられる、そのような意図をも含んでいるのだと思う。)
この動画だけでなく、宅建士などの資格をとることについても如恵留さまは「皆さんが自分でもできるかも、やってみよう、と思えるような”きっかけ”になれば」と度々語っている。そしてその言葉通りに、ファンの間ではこれらの動画をきっかけに手話の勉強をしはじめ、検定取得を目指す方も多くいる。宅地建物取引士試験の結果発表日のツイッターランドでは如恵留さまに合格報告をする方々が散見されるし(すごい)、最近あらたに国内旅行取扱管理者の資格も取得されたので、そちらを受験する方もいずれ現れることだろう。よい循環が生まれているのだ。
私はといえば、学生時代の教養課程で半期15回ぶんの授業として「手話・点字」を履修していた(科目名でこの二つが並列されていることからもわかるように、授業の内容は聞こえるし見える教員が聞こえるし見える学生に講義し実践する科目である)つまり、如恵留さまが始めるよりも前に、単位認定で「可」を貰う程度には修めていたわけだ。ただもう十年近く前のことだし、実践の機会が日常的にあるわけでもなく(自ら作ることさえもなく)、基本の挨拶と簡易な自己紹介くらいしかできないレベルまで落ちてしまっていた。彼の動画は復習の機会を与えてくれ、わたくしはジッカに眠っていた教本を掘り起こしたわけである、が。
ひとつ、後悔していることがあった。今回の現場のほんの数日前、週末に3回目のゲ謎を観に行った帰りの出来事である。
ナナちゃんのいる駅前の通りに洋菓子屋の露店が出ていた。よく利用するお店の支店であることが宣伝のぼりから判ったので、せっかくだしひとつ購入するかと近づいたのだが、よく見ると、販売スタッフの方々はみな手元のボードや手話でやりとりをしている。どうやら手話話者の常駐しているバリアフリー対応の店舗を新規オープンし、そこから出張で来ているとのことだった。「本店のほうでよく買います」と対応してくださった方の筆談ボードに書き込みつつ、こちらからも手話で応答できればと思ったのだが、いざ目の前にするとまぁー「ありがとう」さえするっと出てこねえ出てこねえ。スタッフさんの挨拶に同じ挨拶をやっと返すくらいでその日は終いになった。一単位ぶんの講義を修め、如恵留さまの動画やライヴ現場であれだけ見てきたにも関わらず、まったくもって不甲斐ない。実践経験の足りなさを痛感した瞬間であった。
この苦い経験があったから。「この味が好きです」くらい伝えられていたら、と思っていたから。だからこそライヴ会場で、如恵留さまと向き合った瞬間に咄嗟の一言が出せたのかもしれない。脳内シミュレーションよりもずっと痛烈に、切実に「必要」だと思ったし、実際に現場でメッセージを伝え、それに対するレスポンスがあったことによってより強くなった。「もっともっと勉強が必要だ」と。
「好き」に対して「愛している」をファンサとして返すことそれ自体と同時に、「学び続ける姿勢を見せること」もまた如恵留さまの愛である。それによって我々は刺激を受け、より良い人生のための指針をたてることができるからだ。左手で握り拳をつくり、右手のひらでそれを撫でる、やさしげな手付き。そのときの、切ないような眩しいようなあの独特の様子で目を細めた、真摯な表情が、我が目蓋にずっと焼き付いている。そして美しさとは「姿勢」であると、如恵留さまを想うだに実感する。
以上が、わたくしが如恵留さまとの「対話」によって得た感慨の総てである。ってことで、手話、勉強しなおしま~す。