王と道化とその周辺

ちっぽけ嘘世界へウインクしておくれよBaby

この頃のこと vol.3

 盆の連休を控えた週の初日、通勤電車は空いていた。珍しく座ることができたので、このテキストを書き始めた。

 一時間あまりの通勤には自転車と私鉄と地下鉄を使う。住宅地から街中に向かう私鉄は、朝の時間帯には典型的な通勤通学ラッシュで、最寄り駅に来た時点でほぼ満員状態のところへ、扉の縁に手をかけて力を込め、おしくらまんじゅうのごとくに乗り込むのが常だった。2020年初頭までの話だ。

 この半月あまりで、首都圏の感染者数はこれまでに無い大台に乗った。毎日のように「過去最多」というニュースが入ってくる。ここしばらくの間「まんぼう」とかいう気の抜けたお題目を唱えていた地元も、状況は回復するどころか悪くなっていくばかりなのに何故か途中から規制が緩くなる(名古屋市だけの措置から県全土の対応に変更されたら20時までだった時短営業規制が21時までになった、というアホのようなマジの話である)などのを経て、とうとう緊急事態宣言発令となる見込みらしい。

 去年の今頃わたしは、週の半分の勤務を「在宅」とするよう決められていた。(半分、というのは、どうしても紙や物理媒体で、生身の人間相手にやりとりしなければならない仕事を進めるためである。)今年はフルで、平時通り出勤した。べつに何も良くはなっていないのに、だ。「テレワークや時差出勤を推奨しています」などと車内アナウンスが流れるが、鉄道会社がいくら乗客に推奨したところで、いまそこに乗っている人間にはその権限はない。権限のある人間は自家用車で出勤していることだろう。大丈夫だったときにもそうだろうし、大丈夫じゃなくなってからは余計に、そうするだろう。  

  連休が明けて、この通勤電車はまた、容易には座れなくなるほどの客を乗せて走りはじめる。

 

 我々がそのように生活しているということは、ステージに立つことを生業としている人々も、当然そのように生活している。仕事であり、飯のタネであり、飯が食えなくては死ぬからだ。

 推しているバンドは地方公演を再開した。地元のライブハウスにも来たが、いつもの半分ほどの動員すらなかった。そして、3回あった公演すべてがアーカイブ付きで有料配信された。どれくらいの収益をあげられたのかはわからない。超小規模のバンドやライブハウスがここまでしてくれることがありがたくて、生でも見たが配信も買った。実公演の伴わない配信ライブでも、そのつど「配信があって嬉しい。助かる。」と伝えている。

 配信はかならず買うから、地方まで来なくてもいいのにと思う。あなたもわたしも大丈夫じゃないから。

 ひとつのロックフェスが中止になった。ここ数年の出演はないが、推しバンドの生みの親ともいえるフェスだ。動員、それ以外の人手、会場までの交通手段など思えば、当然だと思った。しかし、もうひとつのフェスは、その是非に大きな議論を呼びながらも開催された。今年のYouTube中継は見なかった。ぜんぜん大丈夫でない様子がツイッターランドには次々と流れてきた。

 でも、彼らはステージに立つことが仕事だからそうなるのだ。休業時の補償がないならば、仕事は続けなければならない。飯のタネであり、飯が食えなくては死ぬからだ。どうしても出勤せねばならず、毎平日通勤電車に乗っているわたしがそうであるように。 

 アイドル事務所のほうの推しグループはといえば、四月の終わりに(現時点で)事務所内最大規模の集団陽性を起こして公演の当日中止、延期などをしながら、半年かけて全国ツアーを終えた。春の時点では決まっていなかったネット配信も行われた。完成度の高い公演だった。

 そして、それらを見るためにオタクたちは推しのあとをついて全国を飛び回り、各地からレポをお伝えしてくれた。どう考えても正当な手段で全公演のチケットをせしめることは不可能だと思うが、どういうわけか、それは当然のこととして行われ、受け入れられているようだった。

 先日、彼らのYouTubeで更新された内容は、ツアー公演を行った仙台から、メンバーが運転するバンでドライブ旅をしながら東京を目指す、というものだった。彼らは車で観光地を巡り、フードコートでご当地グルメを食べ、宿泊先でレジャーを楽しむらしい。大丈夫か? と思った。しかし、これが大丈夫でないのなら、そもそも全国ツアーで地方公演なんてしないし、他地域オタクたちを公演に来させるなんてこともしない。その会場にいるものは開催地の地元民か、せいぜい隣県程度でなければならないが、もちろんそんな規制はかけられていない。全公演に参加した者が、全会場からコンサートレポを書いてくるものものが、それを証明している。

 大丈夫だと判断したから、TVの旅番組ももはや平常通りにロケをしているし、コンサートツアーはそのまま開催され、タレントは移動し、それに合わせてオタクたちも移動している。もしくは、大丈夫でなかったとしても、休業補償がない以上は、どうしても仕事をしなければならない。彼らの仕事は地方でコンサートを行い、観光地を巡り、土産物やグルメを紹介し、レジャーにいそしむことだから。仕事をしていることで定期的に検査を受けられるから。それで飯を食っているから。飯を食わなければ死ぬからだ。

 どうしても出勤せねばならず、毎平日通勤電車に乗っているわたしがそうであるように。

 

 で、この大丈夫じゃない期間に、いちばん大丈夫じゃない大規模イベントはふつーに開催されていた。わたしは開幕の式典から閉幕まで一秒たりともその模様を目視しなかったので、本当に開催されたなんて今もって信じられないのだが、どうやらそういうことらしかった。  

 始まる前も、直前までも、最中にも色々なことがあった。本大会は見なくとも、報道というかたちで様々なことが伝わってくる。だからわたしは知っている。他人のメダルを勝手に齧ったクソジジ市長はメダルを齧ったから問題なんじゃなくて、元よりぜんぜん大丈夫じゃない存在だったし、五輪は疫病蔓延してて式典の企画者が暴力的で差別的だからヤバいんじゃなくて、元よりぜんぜん大丈夫じゃない企画だった。  

 最低が最悪を重ねて最低最悪になっただけのことだ。

 そして、数週の間をおいて今、パラスポーツの大会が開かれようとしている。最多、最多と疫病花開く中、どういうわけか、そういうことになっている。

 

 パラスポーツ紹介番組に出演している推しは「ただ、見て欲しい」と言った。彼は、この期間中、毎日更新するブログで、あの本大会についてただの一言も発しなかった。事務所から緘口令でも敷かれているのかと思ったが、他メンバーのブログでは式典やら競技の結果について言及されていた。つまり彼はおそらく、健常者スポーツ大会については、あえて語ることをしなかったのだ。久々にその名前を見たのは、開幕直前に放映される生放送番組の宣伝として、別日放映の他番組の宣伝と並列してだった。

「ただ見て欲しい」と彼は言った。

 ならば、見てやろう、と思う。この顛末を見届けてやろう。見届けて、いまひとたび、口を開くのだ。

 本当に大丈夫だったのか? と。