王と道化とその周辺

ちっぽけ嘘世界へウインクしておくれよBaby

川島如恵留さまのラジオがすごかった話

 はてブを見渡してもこのトピックで書いている人が見当たらなかったことと、前回の記事に収まりきらなかったので別記事を立てて書き置くことにしました。「間に合ってしまった」5月のあのラジオ番組についてのお話です。
 
 
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 2019年5月26日、NHKラジオの『らじらーサタデー』にTravis Japan川島如恵留、松倉海斗がパーソナリティとして出演した。『らじらー』へのパーソナリティとしての出演は如恵留さまが2回目。松倉くんは初の生放送ラジオ出演である。

この番組の中で「叱って! 如恵留ママ!」という狂気のコーナーが放送されたことはご存知だろうか。

 このコーナーは、グループ内でメンバーたちの世話を焼き、とっ散らかりがちなグループを見事にまとめあげる有様から「園長先生」「ママ」などの称号を内外で得ている如恵留さまが、リスナーから送られてきた「海斗ちゃんのイタズラを叱る」というていのお題に沿って、5歳児と化した松倉くんを叱り諭す、という即興劇のようなコーナーである。
 なお、このコーナーを始める際、二人にはそれぞれ「のえるママ」と名札のついたエプロンと幼稚園スモック+黄色の帽子が配当され、彼らはそれを着込んで実演に挑んだ。ラジオなのに。

 NHKはいったいどこに正気を落としてきてしまったのか。
 
 
 と、こんな感じでスタートした狂気のコーナー。全体的に様子がおかしかったのだが、私がとくに興味を惹かれたのは2問目だった。リスナーから送られてきた「お題」であるイタズラは以下。
「幼稚園の女の先生全員に『おおきくなったらぼくとケッコンしよう!』とプロポーズしています」
 

そして、このお題を受けての「実演」が以下である。

 
 

「海斗ちゃん。」
「なに?」
「そんなにね、いっぱいいろんな人に結婚しようって言っていいと思うの?」
「だってみんなすきなんだもん、ぼく。」
「そうだよね、みんな好きだよね。みんな好きだけど、色んな人に結婚しようって言って、もしその人が......ほんとに結婚したいなって、みんなが思っちゃったら、海斗ちゃんはどうやって責任とるの?」
「えっ……なんか……プリンあげる! プリンあげりゅ!」
「プリンをあげりゅの?笑」
「プリンをぼくがかってきて、ひとりひとりにくばるんだ。……で、くばるよ!」
「そしたら、海斗ちゃんは、いっぱいの女の先生に、プリンをいっぱいあげられるように、いっぱい稼ぐ大人になってね!」
「……わかった。でも……ぼくはケッコンしたいんだ。いろんなひとと。」
「そっか。」
「だめなの?」
「だめじゃないけど、いっぱいの人と結婚するには、ちょっと日本の法律を変えなきゃいけないかもしれないね?」
「ちょっとむずかしいことになってきそうだな!」
「そうだね笑 この空気に対して、海斗ちゃんはどう謝ってくれるの?」
「うん、ごめんなさい、のえるママ。」

 
 

何がすごかったのか。

 このやりとりの、何がすごかったのか。それは如恵留ママ(コーナー名に則り、この段では「如恵留ママ」と表記させていただく)が、「ポリアモリー(多重恋愛)」および「ポリガミー(多重婚)」をいっさい否定しなかったことである。
 本邦では民法上で定められた制度(ルール)も、またひろく一般に浸透している倫理(モラル)の観点からいっても、カップルというものは「男女二人一組」で「浮気・股掛けは許されない」とされている。同じ不倫・浮気でも男側は「甲斐性」などといって許され、女側は許されないというクソみたいな価値観もまぁ、あるにはあるが、おおむね、婚姻関係を目指すカップルというものは二人一組が基本である。これを「モノガミー(一夫一婦制・単婚)」そして恋愛観としては「モノアモリー(単一恋愛)」という。
 如恵留ママの回答は、これらの価値観とは一線を画すものだった。
 
 
 改めて、このやりとりの何がすごかったのか分析したい。
 まず、如恵留ママは「複数の人間へいちどきに好意を寄せること」自体を否定しない。それどころか、はっきりと肯定してみせる。  

「そうだよね、みんな好きだよね。」

 そして、「相手全員と合意がとれているかどうか。自身の一方的な想いだけでなく、相手からの好意を受け止めきる覚悟はあるか」を問いかける。

「みんなが思っちゃったら~どうやって責任とるの?」

 さらに「全員との関係を維持できる経済力があるか」と畳みかけ、

「いっぱい稼ぐ大人になってね!」

 最終的に「法律という現在の制度上の問題」へと言及するのである。

「法律を変えなきゃいけないかもしれないね!」

 
 初めてこのくだりを聴いたとき、あまりにこの「お題」の問題点を正確に、的確にとらえていることに感動した。感動というか、感激してしまった。しかもこれ、生放送のラジオなのである。
 もちろん天下のNHKであるし、ある程度は事前の打ち合わせがあり、台本も用意されていることは考えられる、が、それでも、彼自身の価値観にもとづく発言がそこに混じるということはあるだろう。「たった一人だけを愛することが本当の、純粋な恋愛である」とか、「二股、三股はダメだよ」とか、そういった観点からの発言はまったく見受けられなかった。おそらく、「お題」を設定したリスナーもこのような着地点は想像していなかったに違いない。海斗ちゃん(5歳)も同じく。
(補足的に付け加えておくと、これらの応答はけして如恵留ママ自身が「複数人と交際関係を持つひと=ポリアモリー」であることは示していない。彼がたとえ「同一時間軸においては一人のみを対象とするひと=モノアモリー」であったとしても、それは海斗ちゃんが「ポリアモリー」であることとは衝突しない。あるとしてもママと海斗ちゃんが交際関係にあり、ママが「私だけを愛してほしい」と迫るときぐらいだが(混乱してきた? 大丈夫、私もです!)それは極めて個人的な人間関係の問題であって、社会の、公共というものの中では、自身の命や生活に危険がないのであれば他人の嗜好をとやかく言うことはできない。言うべきではない。ゆえに、如恵留ママが「ポリアモリー」であってもなくても関係なく、相手がそうであることを認め、尊重する。これが「多様性」であるし、如恵留ママは無論それを理解して話しているのだと思われる。)
 
 
 彼は「複数の恋愛対象と婚姻・交際関係をもちたい」という感情を否定しなかった。多重婚が認められている文化圏が実在するのは勿論のこと、該当の文化圏になくとも、たくさんの人間を同じように愛することはけして「悪」ではないからだ。あくまで問題は「相手との合意」と「関係を維持するにあたっての交際費を捻出する経済力の有無」そして「法制度」だと言っているわけだ。加えて「法律」は変えることもできる、という視点があることにも着目したい。「今は無理だけど、法律が変わればできる」から、頭ごなしに「重婚は駄目」とは言い切らなかったのだ。
  愛を多く持つことは罪ではないし、謝罪する必要もない。しかし、コーナーを成立させるための締めとして「ママ、ごめんなさい」というフレーズを導きださなければならなかったため、最後は「この空気」に対しての「ごめんなさい」を求める方向へ持っていったのだ。海斗ちゃんも悪くないので完全とばっちりではあるけども。
 
 
 どうしよう、この人、ほんとうに、めちゃくちゃ頭がいいんじゃあないか。  
 
 如恵留さまへ本格的に興味を持ちはじめていたタイミングで彼らがらじらーのパーソナリティーを務め、運よくそのことを知って聞き逃し配信期間内に視聴できたワタクシが、シンプルに導きだした最初の感想である。ワタクシ、頭のいいひとが大好きなので(正直&露骨)、このやりとりだけで、もう、すっかりメロメロになってしまったのである。
 

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 ちなみに、日本弁護士連合会の見解では、

性的指向が同性に向く人々は、互いを配偶者と認められないことによる各種の不利益を被っている」として、「これは、婚姻の自由を侵害し、法の下の平等に違反するものであり、憲法13条、14条に照らし重大な人権侵害と言うべきである」

 が、

重婚の禁止の趣旨は、婚姻が一対一の結合をその本質とすることにあり、そもそも許されるべきものではない。同性婚を認めることとは全く次元を異にする。

 とのこと。
 ワタクシとしましては、異性と結婚したい人はすればいいし、同性としたい人はすればいいし、重婚したい人もすればいいし、結婚したくない人はしなくていいし、それらすべての人が同じようになんらかの保障を受けられて、結婚自体が「単なる個人の趣味」程度になればいいナ、と思いますけどね。