王と道化とその周辺

ちっぽけ嘘世界へウインクしておくれよBaby

岡本圭人担として瞬間風速314mで駆け抜けたこの2年間の全記録

ことの起こりは2015年頃まで遡る。

 10年来の友人がジャニーズにハマった。いつの間にかハマっていた。最初はNEWSの話をしていたように思うがしばらく後にHey! Say! JUMP(以降JUMPと表記)の話をするようになった。時期を同じくして二次元のほうのアイドル育成ソシャゲにハマっていた私は、「どうしても湿っぽくなりがちな黄昏系オタク」の同志である彼女と、次元を違えたアイドルの話で「相互カウンセリング」と称するサシ飲み会をたびたび開催していた。映画『グラスホッパー』と『ピンクとグレー』を一緒に見に行ったりもした。「GPSでメンバーと位置情報を把握しあってるアイドルがいるんだけど」「後輩を拉致監禁する二次元ドルはいるけど三次元でそれはやばくないか?」というような話をしたのはたしか2016年の初夏の頃だったと記憶している。
 ある日彼女が言った。「11/3のJUMPのチケットあるけど行かない?」
「行きます」と即答した。ジャニーズコンサートといえば世界3大「ご用意されない」ジャンルであるという意識がまず働いていた。さらにその年のツアーコンセプトが仮面舞踏会で、公式ペンライトが仮面の形をしていた、というのも要因として大きい。私の二次元アイドルジャンルの推しは「仮面をつけた宮廷道化師」というキャラクターであり、こちらの界隈でも「JUMPのコンサートグッズが推しキャラにぴったりだ」という話で盛り上がっていたところだった。
 そうして私は軽率(ネット・オタク・スラングとしてでない本来の意味による)にも人生初の生ジャニーズコンサートに参戦することとなる。
 友人は「誰のうちわ持つ? 山田涼介? 伊野尾慧?」と私に問いかけてきた。そう、ジャニーズのコンサートにはうちわとペンライトが、冒険者の剣と盾のごとく初期装備として必要なのだ。『JUMPing CARnival』のDVDを一度借りて見ていた私の心に、この時点でひっかかっていたのはこの二人だった。(“あの”一種異様などうしようもない空間をどうしてスルーしていたのか、今となってはまったく謎である。)
 この「究極の二択」で迷いに迷った結果、伊野尾さんのうちわを手にした私はガイシのゲートをくぐった。

それはまさしくエンターテイメントだった。

 私はふだん推し活をしているロックバンドの現場においても、基本的に対バン相手の予習はしないで臨む。一生涯で一番愛することになるであろう最推しバンドとの出会いが、その日のメインのお目当てではなくまったくノーマークの対バン相手だったからだ。
 2016年11月3日『DEAR.』昼公演においてもそのスタンスで挑んだ(『JUMPing CARnival』DVD収録曲に加えて『僕とけいと』だけを若干聴いていたが当日には記憶の彼方である)がゆえに、まったくの新世界を目の当たりにすることになった私の脳は、本公演中ほとんど処理落ちしていた。あまりに顔の良い男たちがきらびやかなステージで歌い踊っている。さまざまに趣向を凝らされた演出、セット。ゆるふわのMC。怒涛のファンサービスとファンの反応。ひたすらかっこいい楽曲とダンスで見せるもの、可愛さですべてをなぎ倒すもの、ステージを降りて薔薇を手渡しするめっちゃやばい時間(賛否両論さまざまだろうが、私が公演中唯一泣きそうになったのはこのくだりだった。薔薇を得たファンが味わった至上の喜びを想うと愛おしさで泣けてくる)、とかく笑えて盛り上がるトンチキソングもあった。ハイパーかっこいいバンド演奏コーナーもあった。上手側のギタリストが足元のエフェクターを操作する姿が目に入り、バンド好きのスイッチも押されてめちゃくちゃアガった。ソシャゲのシナリオ内での描写や楽曲だけでは補いきれない生の情報がものすごい勢いで押し寄せてくる。そうか、アイドルのステージとはこういうものだったのか。公演も終盤に近づき、締めくくりのバラードを高らかに歌い上げて9人のメンバーが一度去る。そこまでにはなんとか脳もクールダウンしてきた。それは「緊張状態が緩んでいた」と言い換えて差し支えない状態であった。
 アンコールの声に導かれ、再びJUMPのメンバーがステージへと戻ってくる。ここまでは予想していた。しかしスタンド席の通路に小さな車(俗に「トロッコ」と呼ばれる)が出てきて会場を一周することを私は知らなかった。私たちの座席はスタンド下手側、トロッコの通過する路に背を向ける位置。座席を立ち、振り向けば、そこをトロッコが流れていく位置である。「え、なんだこれ、こんな近くに来るん?」「山田涼介来てる? ええ?? まじで??」である。(のちに友人は「トロッコ来る位置だな~って思ったけど黙ってた方が面白そうだから黙ってた」と語った。「私は最高の友人を持ったのだな」と思った。)ホール規模であれ、スタンド席からステージまでの距離は遠く、透明な第四の壁で区切られていることが意識された。だがこの距離は、こんなに近づいてしまっては、第四の壁がサランラップレベルの薄さになってしまうではないか。慣れと同時に緊張を緩めていた私の脳は再度混乱の渦に叩き落された。
 山田涼介はとにかく美しかった。
 だが、それ以上に、大きなモニターに映された、上手側から出発したトロッコの搭乗者に、私の目は釘付けになった。彼のトロッコは上手から下手へと流れてきて、我々の目の前を通過し、流れ去っていった。私は伊野尾くんのうちわを抱えたまま半ば呆然とそれを見送った。

 彼は長めの黒髪を後ろでひとつに結っていて、
 それがとてもとても似合っていて、
 あんまりニコニコと笑っている印象はなかったけれど、
 めちゃくちゃ綺麗で、格好良くて、なんかもう、とにかく良かった。

 終演後、友人との食事の席でレクチャーを受けながら、ファミマのチケット袋をひっちゃぶいて書き付けたメモが残っている。

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完全にノーマークだった。

 会場に入るまで、まったくもって眼中になかった。
 公演中も正直、個としての別もついていなかった。だってJUMPは9人もいるのだ。それまで追っかけてたバンドの3倍、っていうか当時はソロだったから9倍だ。9倍ってほぼ10倍だ。10割増しだ。脳(CPU)のメモリが足りなくなって当然だ。
 MCのときに「何か喋れ」「マイク避けてるじゃん」と指摘され「俺、鼻息荒いから」とごにょごにょ言っていたのは覚えていた。不思議ちゃんなのかなとそのときは思った。
 遠くのほうでギタリストがエフェクターを操作していたとき、その足さばきにようやく「おっ」となった。思えばここで導火線に火がついたのだろう。それはアンコールで一気に燃え上がって線を燃やし尽くし、最後の最後にCD音源の形をとって爆発する。
 公演の翌日には今回のツアーテーマになったアルバム『DEAR.』の初回2の購入ボタンを押していた。Amazonから届いたCDの封を切ってドキドキしながら再生した。
 ライヴでも導入に用いられたイントロダクションを経て(ここの繋ぎ方最高ですね)実質1曲目、リード曲の『マスカレード』が流れる。ブラスアレンジがくそかっこいい。世界観が最高。どうしよう、伊野尾くん以外の歌声の区別がつかねえ。
 バンドは基本的にメインボーカルが一人、多くてもツインボーカルで、他の楽器隊がコーラスこともある、程度のものだ。二次元のアニソン・キャラソンの類はキャラクターを演じる声優の声色がくっきり分かれているので、努力して聞き分ける必要がほとんど無い。そして考えるまでもなく、推している二次元ドルのキャラソンの歌詞カードにはパート割がすでに記載されている。普段より3倍ないし9倍の歌声にCPUは再びエラーを吐くこととなった。
 それでも何周か聞き込んでいくうちに、声色や歌い方に差異を見出せるようになってきた。伊野尾くんだけ突出してキャラが強い声だ。あと単純に歌上手い人が2、3人いる。それとあと、めちゃくちゃ好みな歌声の人が一人いる。
 強めの吹き出しで名前をメモに書きつけておきながら、往生際の悪い私はまだ誰を推すとか推さないとか、そういうことを考えないようにしていた。バンドの方の推しの仕事も面白くなってきたところで、二兎を追うのは金銭的にも体力的にもけっこうキツい。「現場ハイ」ともいえる状態での、あのアンコールのトロッコでの邂逅だけで判断してはいけないという気持ちが働いたのだ。では何を基準に判断すべきか。考えた末に「見目が好みである・楽器が弾ける・歌声が好みである」の3点で推せる度合いを計る、という、バンドマン追っかけ時と同じ指針に落ち着いた。この時点ですでに2ポイント取られている。 が、最重要ポイントはやはり声だ。歌声だ。CDを購入して音源で歌声を聴いて、本当に好みの歌声を持っているのは誰か。私は確かめなければならなかった。私は意を決してツイッターランドに疑問を投げかけた。
「ねえ、マスカレードで2回目の『Shall we dance~』歌ってるのって誰なん?」
 友人からリプライがあった。「1コーラス目の2回目? 圭人くんじゃない?」

マジかよ、と思った。

 友人から「○○(曲名) 歌割り」で検索するとハッピーになれることを教わり、オタクの先人が残した、メンバーの歌声の特徴を愉快に解説したブログ記事を紹介してもらった。いい意味で特徴的であるとは書かれていない。歌うま勢にも数えられていない。だがめちゃくちゃ好みだ。いやいやそんなまさかそんなことが、と何度も聞き込む。めちゃくちゃ好みだ。この声だ。この声でしかない。この声がいちばん、私の耳には適している。
 私の命運は9割がた決まりかけていた。そして、最後の最後にすべてを攫っていったのは2016年11月21日放送の『Youは何しに日本へ?』である。空港で外国人旅行者にインタビューし、あわよくば日本でどんな楽しみかたをしているのか同行してみる、という主旨の番組だ。なんとなく彼のことを調べたくて徘徊していたツイッターランドで、まさにその日が放送日だと知り、慌ててTVをつけて録画もセットし、見始めた。……この子ちょっと様子がおかしいぞ?
 バンドのほうの推しは生放送番組中、クイズに正解した他のゲストへ私物の飴ちゃん(いちごみるく)を突然ポケットから取り出して配り始める等、少々、だいぶ、突飛な行動が目立つ人で、そういうところも好きだった。それと同じ、どうしようもない現実との周波数のズレを、彼に対して見出だしてしまったのだ。ロケ中に偶然出合った顔見知りのおじさま(某番組の緑の生き物の中の人である)にふにゃふにゃと泣きついているシーンも印象的だった。めちゃくちゃ可愛かった。Vを見ているワイプ内のビジュアルもドツボだった。英語が喋れるということに関しては、当時はまだそこまでグラッとは来てなかった。留学? してたんだっけ? 程度の認識しかなかった。この時点でちゃんと調べて引き返さなかったことが後に大打撃となることを当時の私は知らない。

 とまれ、2016年の年末を目前にして私はジャニーズという大芸能ジャンルの戸を叩いたのだった。

何故、彼だったのか。

  • 初めて入った現場でいちばん好みのヴィジュアル(黒髪ロングを結ったスタイル)だったこと。
  • ギターを弾く姿が好みだったこと。
  • 歌声がいちばん好みだったこと。
  • 喋り方も好みだったこと。
  • はじめてのアウェイでのソロ仕事がこの地方でも放送されたこと。
  • nicola』での連載が決まったこと。

 2年後の今、思い返しても彼にここまでハマれたのは「あの11月だったから」。あのタイミングでしか、私は彼に目を留めることはなかったかもしれない。オタクとしての外殻では伊野尾さん(と髙木さん)が嗜好にジャストミートだし、彼にもこの2年でまぁ色々とあったけど、最初に手にしたうちわは彼で良かったと思っている。だが、それ以上に、岡本圭人という存在の何かがオタクの殻を超えた、核のヤバイ位置にぶっ刺さった。ぶっ刺さったまま、連日某動画サイトで過去のアレソレや放送区域外のアレソレ、SNSやブログで過去のエピソードなどを漁り始めた。
 ああ、やっぱりちょっと様子がおかしい。ラジオでの圧のない喋り方も好みだ。様子がおかしい。可愛い。可愛い。可愛い。可愛いけれど、するすると喉を通っていかないものがある。『リトルトーキョーライフ』の「番組を最も愛しているメンバーは誰か」というアンケートに「全員」と書いてしまうところが凄い。主旨を理解していないのかあえて無視したのか。天然なのか計算なのか。メンバーに対する献身も、ほのぼのエピソードといして語られているけれど、何かがおかしい。怖い。ていうか、留学ってそういうことだったのか。父親もジャニーズって、知らんかったけど有名なのか。いや、ちょっと待ってほしい。アイドルの二世って、どういうことだ? 小五で一人で英国留学? どういうこと? たった一人で? 自らの意志でもなく? なんで? なんでそんなことさせんの? それから帰国して、事務所入って? 他のメンバーのような下積みもなくすぐデビュー? 日本語ろくに話せなくなってたのに? なんで? それからずっと、6年経つまでずっと後列で? 個人の仕事どころかシングル曲にソロパートすら持たせないまま? なんで? なんでそんな酷いことができるの? 何しても怒らないとか、やさしいとか言われてるけど、しんどいことがありすぎて痛覚がマヒしてるだけなんじゃないの?
 彼のことをいとおしく思う気持ちが日増しに強くなっているのに、それと同時に過去の出来事に触れていくほど、真反対の方向へ乖離していく感情があった。
 このグループは危険だ。中でも彼は、特に危険だ。

そもそもの話をしよう。

 私は、幼い子どもを、アイドルやアーティストとしてショービジネスで使うことを良く思っていない。否、「良く思わない」なんて言葉では生ぬるいくらい、苛烈に忌避感を抱いている。私は某娘。のツジチャン・カゴチャンと同年代なのだが、彼女らが最前線で活躍していた当時からずっと、彼女たちに憧れるということもなく、「これはあまり良くないことなのではないか」「忙しそうにしているけれど、ちゃんと学校に行って勉強しているのだろうか」「わるい大人たちに騙されてしまうのではないか」などとぐるぐる考え込んでしまうタイプの、言ってしまえば夢も希望もないガキだった。大人や社会というものをまるっきり信用していなかった。今でもそうだ。無責任な大人はこの世に沢山いて、信用できる本当の「大人」はごく僅か、もしくは殆どいない。
「現場ハイ」状態がじわじわと冷めていく中で、ずっと頭を離れなかったのはそのことだ。「デビューが早すぎる」。
 メンバーの年齢は20代前半~中盤なのに、来年はデビュー10周年だという。若い。若すぎる。年下組なんて義務教育中じゃないか。「事務所は学業優先」っていったいどの口が言ってるんだ。
 自分の中のジャニーズの記憶をたどって、JUMPに邂逅するまでの最新の記憶はJUMPの後輩グループSexy zoneのデビューだった。グループ名のインパクトに加えて、最年少メンバーの年齢には正直いってドン退きだった。そこから約5年間、ジャニーズに関する具体的な記憶がほとんど無い。SMAPのアルバムを相対性理論提供曲目当てで買った。それくらいだ。TVに出ないインディーズロックバンドを追っかけている間は、TVでは深夜アニメ以外をまともに見ることもなかった。
 そんな中で彼らが降ってわいた。
 1/9の確率で、私は最も引いてはいけないカードを引き当てた。

彼の生育環境は私の倫理観に抵触しまくっていた。

 ファンのブログやらSNSをひも解けば、彼の人当たりの良さ、純粋さ、奉仕精神などを取り上げて、「良い教育を受けたのだ」「ご両親の教育方針に感謝」などとつらつら書かれている。私はとうてい、そんな風に思えなかった。10歳に満たない子どもをたった一人で言葉の通じない外国にぽいっと置いていける精神構造が理解できない。ぶっちゃけ虐待だと思っている。怖いだろ。無理だろ。おまけに離婚したのが約10年前。ちょうどデビューするかしないかの頃だ。そんな彼がいっぱいいっぱいで支えが必要だったであろう頃に離婚って。どんだけ負担かけてんだ。うっかり見てしまった当時の報道で「子どもの教育方針の不一致」が離婚理由にあげられていた。信ぴょう性皆無なゴシップ誌の記事でしかない。だがこの記事を、当の本人が見ていたら、どう思うか。(でも、それが報道の通りなら、母親の気持ちもわからなくはない。自分の反対を押し切って我が子を海外にやられ、帰ってきたら言葉が通じなくなっていて、その上、父親と同じ道に進むと言われたら、何もかも嫌になるだろうと思う)
 また、彼自身も数年前に恋愛系報道があり、それに対するファンの反応も知った。いや、でも「アイドルである親がそういうことになった結果生まれたのがあなたの担当では?」という疑問がぬぐえなかったし、それは現在進行形で、先輩やら後輩やら同グループメンバーから恋愛沙汰の話が出て降りる降りないの話題を見かけるたびに浮上した。「“二代目”が認められている時点で不毛では?」
 と、同時に気づく。「彼は彼であるというだけである種の人間の逆鱗に触れる」。かつて付き合いのあった界隈で、推しタレントが女性と結婚し相手がすでに妊娠済みであった(いわゆる「出来婚」であるが、私はこの言い方が嫌いだ)というファンの反応を見たことがあった。「流産しろ」「奇形で生まれてくればいい」など罵詈雑言の嵐だった。生まれてくる前からこれほど呪われている命があるだろうか、と当時はゾッとしたが、その対象として自担も該当するのだ。PCに向かう指先が冷えていくのを感じた。「事実として二十数年前にそんなファンが居たのかどうか」はこの際関係ない。彼はそのように赤の他人の命を見る文化の中に生まれてきて、その人生は生まれる前から、おそらく死んだ後まで、ありとあらゆる媒体で詳らかにされ切り売りされてゆくのであろうことが如実であり、私はそれが健康的なことだとはとても思えなかった。(そんな彼が2018年『music.jp』の企画で「マイベスト映画」として『トゥルーマン・ショー』を一番にあげているのは痛烈な皮肉で、自虐で、私たちに対する一種の警告だったようにも思える)
 JUMPというグループが、Jr.で活躍していた複数のグループを粉々にしてかき集めたものだということも知った。その中にまったくの未経験者として彼は放り込まれた。私はなんとなく察しがついてしまった。彼は最初から「足手まとい」「お荷物」として組み込まれたのだ。もちろん若年層にしかリーチしなさそうな少年ばかりのグループだから、彼の父親を知る層にまで間口を広げよう、という目的もあっただろう。だがそれ以上に、彼の果たすべき役割は、所属も経歴もバラバラだった年若いメンバーたちを「こいつの世話をしてやらないとけいない」という意識によって、一つにまとめることだった。「この大きな荷物をみんなで協力して抱えて走りなさい」ということだ。そして実際に、「結成したばかりのときに圭人を抜きにしたメンバーで『今はとにかくあいつに合わせよう』という風に話し合った」という。このエピソードに象徴されるように、烏合の衆が彼をダシにしてひとまず話し合いをする機会がそこで設けられてる。上の狙い通りにことは進んでいた。
 また、先輩格の八乙女さんが語っていたことも彼に求められた役割を示している。「全員が悪いときにも、まず圭人を叱って、他のメンバーがミスに気づくようにする」。要するに、スケープゴート(生け贄)である。
 そしてこれらの機能は、デビューしてから今日(こんにち)までずっと続いている。バラエティー番組やMCでの立ち回りをみれば明らかだった。Sexy zoneが3:2に分けられたように、ジャニーズWESTが4:3で振舞うことを強いられたように、JUMPは初めから8(9):1であるように定められていた。

 脳内倫理委員会が警鐘を鳴らしていた。離れるなら今だと喚き散らしていた。それでも、それでも私は彼から目を背けることができなかった。一度目が合ってしまったが最後、二度と視線を逸らすことができない、恐ろく抗いがたい魔力・引力ともいうべきものが、彼と、もう一人の重要人物「王様」にはあった。

「王と道化」の話がしたい。

 岡本圭人の話をするにあたって、グループのエース・山田涼介の存在は絶対に切り離せないだろう。どのコンビを推すとか推さないとか、好きとか嫌いとかの次元ではなく、それがそこにそういうものとして存在していたからだ。
 私は「かぎりなくフィクショナルな存在であるところの男二人(ないしは三人)のただならない結びつき」に惹かれる質を持っていて、そのような物語を大事にしてこれまでを生きてきた。いわゆるひとつの、と簡単にまとめてしまえる通称もあるが、ここで多くを語ることはしないでおく。
 そして、その目線を持つものから見て、山田涼介と岡本圭人の関係はあまりにも劇的で、ヤバくて、異常だった。
 私がアイドルと言うジャンルに関心を寄せるひとつの契機となった『あんさんぶるスターズ』というアイドル育成(?)ソシャゲに、天祥院英智、そして日々樹渉というキャラクターがいる。メインストーリーのラスボスであり、最強グループのリーダーであり、学院の生徒会長である天祥院英智は「皇帝陛下」と呼ばれ、日々樹渉は己を「陛下に仕える宮廷道化師」と自称する、主従関係である。彼らはかつて敵対し、その裏で強い憧れをもち、人として惹かれ合い、大きなイベントを乗り越えた後には、同じグループに所属して、手に手をとって遥かな高みを目指そうとする。敵対していたライバル同士としての結びつきを注視すればこの関係性は山田涼介と中島裕翔とのそれに近似したものとして映るだろうし、キャラクターの在り方・哲学の観点から見たとき、「道化師・日々樹渉」個人にもっとも近い実在のアイドルは中島健人だと言えるだろう。
 だが、私が山田と岡本から天祥院英智と日々樹渉らしき要素を感じ取ったのは、タイプは違えど同じ「王と道化」のひとつがいとしての関係性をそこに見出したからだった。
 山田は名実ともにグループのセンター・絶対エースである。対する岡本は自称「一番下」だ。それは経歴の話であり、ひるがえって実力・求心力の話であり、彼の闇雲な自己卑下ではなく、概ね事実である。
「王」とはその国の顔役である。そして「道化」は、「王」に養われる賤民、「一番下」の位にある者だ。トップに君臨するものと虐げられるもの、一見して間逆だが、この二者はそれ以外の「普通の、平坦な地表にいるもの」との距離が離れている、という点において同質のものである。宇宙人と深海生物が類似したイメージを持たれていることを想起してほしい。もっとも空の高みにあるものと、もっとも地の底深くにあるものは、地表と言うゼロの位置からすれば同じなのだ。(さきの段で「8:1」に分けられている、と書いたが、実質的には「1:7:1」の構図をとっている、ということだ。)
 彼らは常にそのような関係を演じていた。山田が暴虐を振るい、岡本はそれに盲従する。そんな構図を常日頃は見せておいて、ふとしたときに反転させる。ただの従者には許されない「王」への暴言が、ぐずの「道化」にはぐずであるがゆえに許される、という「王と道化」の基本的な関係性を見事に世襲していた。
 彼らの関係がもっともショーとして円熟していたのが2016年。『DEAR.』ツアーにおけるWアンコールの一幕だ。岡本はチークとリップで化粧をほどこし、ロングのウィッグを被って「ジュリエット(JUMP担いにしえの通称)のケイティ」というキャラクターとして登場する。その演出は「メンバーにも内緒」にしていたというが、『DEAR』ツアーの総合演出を手がけた山田が知らないはずもない(=岡本が山田に許可をとらないはずがない)、つまり彼らが二人で示し合わせた演出であることが察される。
「ケイティ」という存在は完璧な「道化」だった。「道化」は「あらゆる物事の境界線上の存在」として古来から役目を受け、神話の世界から王侯貴族の屋敷・そして舞台演劇の中で活躍した。「賤民」でありながら「聖者」として聖性を見出されること。あるいは、よその国から来た「異人(外国人・ダブル・および帰国子女)」。舞台の上にありながら客席に向かって話しかけ、舞台と観客を繋ぐ、第四の壁の破壊者。そして「男でもあり、女でもある」性別を越境したもの。「道化」という表象はこのような「相対する2者間にあり、双方の要素を持ちえる者、またそれらを繋ぐ存在」として定義されている。
 一見して「ジョーク」であるとわかる過剰なメイクでありながら「可愛い」と褒めそやされるところ。海外からやってきた外国人であるという設定。舞台の上にありながら「コンサートを見に来た観客」として、客席に「もっと聞きたいよね?」と話しかけ、Wアンコールという次の場面を導く。アンコール曲のコールとともに女性の扮装を解いて元の姿に戻る、という演出。そして“彼女”が「好きな相手」として「王」であり、エースであり、『DEAR.』という舞台の演出家であり、あのロミオを演じたレオナルド・デュカプリオの似姿としての山田涼介を「選んだ」ということ。
 すべての符丁が完璧に物語を作っていた。これがシェイクスピアの地に学び、舞台演劇の道を志す岡本の意図するところだったのか、偶然の産物かはわからないが、彼らは『DEAR.』ツアーのWアンコールをというお芝居を愉快に演じてみせたのだ。
「やまけと」を推すとき、人はたいていプライベートでの親密さを「推せる」ポイントとしてあげるだろう。私にとっての「やまけと」のキモは「虚構性」だった。TVや雑誌などでのうるさいくらいのお互いへの言及や、ピアスホール、カフェめぐり、こだわりのインテリア、お揃いのアクセサリー、GPSというキャッチーなアイテム。これらは皆、ファンの間で話題を浚うため、注意を引き付けるためのもの。過剰な演出で日常すら飾り立て、この世に打って出ようとする強い意志がそこに感じられた。『ロミオとジュリエット』はある種の「共犯関係」として私の目に映っていた。
「ビジネスコンビ」というとそのコンビを否定するような意味合いにとられがちだが、「ビジネス」のパートナーに互いを選ぶ、ということは「ただ仲が良い」だけに留まらない熱量と執着を感じさせるに十分である。何よりこの「ビジネス」は当人たちが自主的に始めたもので、外野の手によるものでないことが明白だった。だって事務所が売りたくてやってるならとっくの昔にどっかの雑誌でコンビでの連載コーナーのひとつやふたつ持たせてもらってるはずじゃあないですか。

 この目で「やまけと」のショーを拝みたい。
 再度、友人に誘われていた年末のドームコンサートに、私は「行く」以外の選択肢を持たなかった。

改めて目の当たりにした彼はやはり美しかった。

 日をまたいで、2017年1月3日。私はFCにペイジーすべくATMに向かった。
 好きなタレントの選択欄には「岡本圭人」の名を据えた。
 この時点ですでに「もうジャニーズには懲りた」とでも言うべき心境だった。だって最初にドボンした相手がこんなモンスター級の地雷人間って誰が思うよ? こんなアイドル他にはいない。これ以上に多角的な逸材は存在し得ない。
 この先どんなグループと出会って、どんなジャンルにハマったとしても、一生涯のうち、ジャニーズのファンダムのルールにのっとって「自担」と呼ぶのは彼一人だけになるだろう。彼がいなくなった時が、私が「ジャニオタ」から降りる時だ。
 この一年半後、予言はなかば現実のものとなる。 

どうとも動かしがたい不幸――あるいは、とある村のとある地区について。

「バニーちゃんかわいい村」、通称「バニかわ村」という概念をご存知だろうか。
 2011年放送のアニメーション作品『TIGER&BUNNY』に登場するバーナビー・ブルックスJr.通称バニーちゃんというキャラクターのことを、とかくかわいいと思う者たちの強い思念が限界集落のかたちをとった、一種の共同幻想のようなものだ。この村の奥にはさらに限界を極めた区画があった。
「バニーちゃんかわいそかわいい地区」という。
 バニーちゃんは4歳の頃に両親を何者かに殺害され、殺害現場で見かけた“何者か”の姿を手掛かりにして犯人捜しに二十年あまりの時間を費やす。それからまぁ色々あってゴタゴタして(詳しくは番組を見てほしい、それなりに楽しめるとは思うけど今から思いっきりネタバレします)紆余曲折の果てに、両親を殺害した犯人はずっと親代わりに自身を育ててくれた後継人であることが明かされる。後継人は「記憶を改ざんする特殊能力」の持ち主で、バニーちゃんの記憶の中の犯人像を何度も書き換え、偽りの犯人像を植え付け、己のビジネス(特殊能力者をヒーローとして見世物にする悪趣味なTVショー)のために利用してきた。真犯人像に近づいたバニーちゃんはまたも記憶を奪われる。後継人の策略によって幼少期を知るほぼ唯一の存在である昔馴染みの家政婦も殺され、最終的には後継人も自ら脳を破壊したのち別の人物の手にかけられ(殺害を仄めかす描写がなされている)、完全に天涯孤独の身となる。
 物語終盤、どこまでも存在を肯定されていく物語の主人公の傍らにいて、バニーちゃんはあまりにも失ったものが多すぎた。その過程をつぶさに見つめてきた「バニかわ村」の一角の、小さなちいさな区画の住民は、正直いってツッコミどころしかない無茶苦茶な展開から物語が「ハッピーエンド」へと畳まれていく有様を、呆然としながら眺めていた。
 バニーちゃんは可哀想だった。憐憫の情を抱くのは相手に失礼だとか幸不幸は人それぞれだとか言うけれども、「どうとも動かしがたい不幸・不運・不遇」というものは存在する。バニーちゃんはどうあがいても可哀想だった。可哀想で、可哀想で、可愛かった。
「バニかわ村」の「かわいそかわいい地区民」は、バニーちゃんの「可哀想さ」を糧に生きていた。「自分たちはバニーちゃんが本当に可哀想じゃなくなったときに飢えて死ぬのがさだめ」そう胸に刻んで、ハッピーエンドに回収された物語を血走った目で見つめ続け、嗚咽しながらトゥルーエンドを求めてさまよった。
TIGER&BUNNY』のプロジェクトは今もなおメディア展開を続けている。私は作品が完全に停止するまで、もしくはバニーちゃんがあの街をあの世界を抜け出すまで、ずっと可哀想なままだと確信している。作品の設定、基本的な構造からして、彼がけして肯定され得ないことが定められているからだ。
 そういう世界で、絶対に勝ち目のない戦いに挑むことを強いられている彼は可哀想だった。
 かわいそかわいい地区の民は、いまだに、飢えも渇きもしていない。

閑話休題。2017年を駆け抜ける。

 2017年最初のシングル『OVER THE TOP』が発売された。問題はシングルのカップリング曲でありながらMVが作成された『Funky Time』である。このMVのメイキング映像は衝撃的だった。ミドルテンポで明るさの中に切なさを同居させたような名曲に合わせ、広い野に放たれて(©薮宏太)自由に遊ぶJUMPメンバーを収めたほのぼのしく牧歌的な(撮影時期が真冬なのでやや風景は寒々しい)MVである。
  ……であるが、このMVのメイキング映像において、岡本圭人はMV監督によって意図的に指示されたのであろう集合カット以外で、他のメンバーとほぼ遊んでいない。ただ一人、山田涼介を除いては。
 何より強い印象を残したのは、公園に移動して待機している間のワンシーン。野外でメンバーたちが「Jr.時代に先輩のバックについて踊っていた楽曲の懐かしいふりつけ」をネタに楽しそうに話している。ひとつカットを挟んで、カメラは公園まで移動してきたバスの中を映す。バスの中では岡本さんが、外で楽しげに話しているメンバーたちを示し「自分はあんな風にみんなを楽しませることができない」というようなコメントを残す。
 集団の中で「ただ何をせずともそこにいていい」という存在の肯定を、10年経っても彼は得られないままだった。
 バスの外で盛り上がっていた話題を思い出してほしい――「Jr.時代の懐かしい振り付け」である。楽しませるも楽しませないも関係ない。どうあがいても彼は、そこに交わることができないのだ。
 烏合の衆をまとめるための「お荷物」は、烏合の衆がまとまってしまったあと、その輪の中にいなかった。
 ショッキングだった。カットしようと思えばできるのにあえて収録し、ファンのみんなたちへお届けしてしまおうというセンスが理解できなかった。だが、『殺せんせーションズ』のメイキング映像においても、「メイキングカメラを前にしていながら一触即発の険悪ムードに陥る中島裕翔と山田涼介、ただ途方に暮れるばかりの岡本圭人と、彼をダシにしてその場を凌ごうとする知念侑李」というこの世の地獄という地獄を煮詰めたようなワンシーンが平然と収録されている。制作陣は露悪趣味なのか、地獄を地獄とも思わないサイコパスなのか。どちらにせよ、彼らの作風にはそういうところがあるのだ。 (また、この年のジャニーズ楽曲大賞MV部門で『Funky Time』は1位を獲得する。「普通に就職して誰かと結婚して……」なんて歌詞をアイドルに歌わせるというグロテスク極まりない楽曲が上位に登るようなランキングらしい結果といえる。コメント欄にあふれかえる「多幸感」「仲良し」「平和」「尊い」などのワードの中に闇を極力抑えた私のコメントが混じっているので探してみるといい。)
 それから間を置かずして2月26日、岡本さんはジャニーズWEBのブログに長文を更新した。自身の半生を語り直し決意表明をするという内容で、同担界隈に激震を走らせた。思えばこの頃から10周年記念楽曲『H.our Time』の制作に入っていたのだろう。それは彼の宿願であり、宿願であったが、他のメンバーが周年でも何でもないときに自作曲を流通に乗せていることを考えると、あまりにもささやかな願いだった。
 彼が提供する自身の自己像にくらくらした。彼はこれまでも独りだったし、未だに独りなのだということを見せつけられたばかりだったからだ。帰属する先を求めているのに、どこへ行っても馴染めない、漂泊するもの、というイメージが私の中で確固たるものとなった。「走馬灯」というワードチョイスも不穏さを加速させてる要因だった。なにかしらに感激するツイッターランドの片隅で、私だけが恐ろしさに震えていた。
 2017年4月1日。初めて迎えた「自担の誕生日」だ。この日からジャニーズWEBの公式ブログ『JUMPaper』は週に一度メンバーが順繰りに更新してゆく形式から全員がひと月に1度は更新する、という形式に変わった。新形式の口火を切った彼の語り口は軽やかだったため、ひとまず心を落ち着かせた。

 自担の周囲はまずまず安定していた。言い換えると「安定して何もなかった」。8月からは公式WEBブログに並列して個人の連載コーナー『KAITOpinion』を持った。自担の独特のテクスト表現は趣深いものであったし、同担界隈でもおおいに歓迎されたが、すでに『JUMPaper』が月複数回更新に切り替わっていて、使い分けるにしても微妙なところではあった。10周年期間のうちに「何もない」メンバーが出ることを避けるための「救済措置」であったのだろうことも薄々感じ取れた。
「何もない」……新しい仕事先での出来事や、ロケ中のエピソードなどを多く持たない彼の筆は案の定、話題を枯渇させて滞ることになる。

 5月の初旬頃。映画『Honey.』に起用されたMr.King平野紫耀くんに関する記事がスポーツ誌に掲載された。そこにジャニ―喜多川社長の発言として載せられていた一節が以下だ。

「デビュー以前にいろんなことを勉強するのが大事。そうじゃないとデビュー後、つぶれる」

ジャニー社長、“Jr.のデビュー権限”を放棄!? 平野紫耀「当分デビューさせない」発言の波紋 (2017年5月9日) - エキサイトニュース

「なるほどな。」と思った。社長と私はどうやら概ね同じ意見らしかった。
 なぜ10年前に気付かなかったのか。あるいは「つぶれても構わない」とでも思っていたのか。今いる彼らはもう「つぶれてしまった」のか。だとしたら「つぶれた」のではなく、他でもないあなたが「つぶした」のではないか。
 ツッコミどころが100個くらい思い浮かんだ。「何もしてないのに壊れた」とうそぶく機械音痴のようなむちゃくちゃな言い種だった。人を馬鹿にしているにも程がある。
 まぁ、人間誰しも間違いはあるだろう。今現在こう考えているのなら、これから育てられる後進たちについてはそれなりにまっとうな姿勢でやっていくのだろう。現に「下積みゼロで義務教育中の小学生児童」をデビューさせた5年前から今日(こんにち)まで、未成年込みでデビューしたグループはただ1組で、最年少メンバーは当時17歳。その他メンバーもJr.期間が長いベテランばかりという構成だった。
 要するに、「幼くしてデビューした彼ら」は「失敗作」で、社長はそれらの「失敗」から「デビュー以前にいろんなことを勉強するのが大事」だという学びを得たのだろう。年若い子どもらの人生を左右できる立場にある存在にしては無責任すぎる言動によってそのことは示されていた。

 これを機に、私の中でもとより低かった「入れ物」への信用は急加速度的に失墜し、「最初から何もかも間違っていた」「もう事務所辞めてロックバンドやっててほしい。下北沢とかで」という思いを一層強めていくことになる。

そんな中でベスト盤の発売とツアーの日程が発表された。

 ベスト盤に収録されるの新曲として『H.our Time』の存在が明らかとなり、自担が楽曲制作の仕事に携わっていたことを知った。あの日の岡本担はたしかに、世界で一番幸せな集団のうちのひとつだった。
 もちろん、私にとってこの楽曲の最重要点は、7月の更新の『JUMPaper』で明かされた「山田涼介を食事に誘って誰よりも先に完成したデモ音源を聞かせた」というエピソードであった。その食事の場で、山田さんから直々にアドバイスを受けたことも語られているため、『H.our Time』の純然たる、純粋無垢のデモ音源を聞いたのはおそらく山田さんただ一人だけ、ということである。その後『Myojo』の一万字インタビューでもこの件について言及され、彼がデモ音源の最初の視聴者に山田さんを選んだ理由として「彼がエースだから」と語ったのも、まさに、求めていた「やまけと」の姿だった。「6年経ってようやくシングルA面曲の1コーラス内にソロパートを6文字もらった」と語る岡本さんが、歌割まで手がけたこの楽曲で1コーラス内に己のパートを入れなかったこと、2コーラス目に組み込んだ自身のパートは特定の相手とではなく8:1の掛け合いになっていること、その外側で展開された「やまけと」だけの固有の結び付き。どれをとってもこの10年のJUMPらしい楽曲だと言えた。

 さて、FC会員となってから初のツアー参加である。初めての完全WEB申し込みで、チケットはデジチケ。初めて尽くしで、ことデジチケに関してはトラブルの話題も事欠かなかったように思う。地元愛知での公演はありそうなのに何故か飛ばされ、「もしや追加でドーム公演があるのでは」とまことしやかな噂も飛び交った。
 友人と相談し、出来うる限りの公演に申し込んだ。私の名義は全滅だったが、友人が大阪城ホール公演を確保してくれた。  当日、昼過ぎに大阪へと発った。思いのほかスムーズにグッズも購入でき、(2016年末のグッズは自力購入できなかったため)私は初めて自担のうちわを手にした。短髪、だがしかし顔がいい。袋に王冠のイラストが入っているのも可愛い。友人と合流した後は、マスコットキャラのけいとるを連れて会場すぐ近くの夏季限定レジャー施設に赴き、例のウォータースライダーの写真も撮った。

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 10周年記念公演は楽しかった。メモリアル感満載のオープニングからの『UMP』。アレンジ違いで本編中2度披露されたそれは、持ち曲が少なすぎて同じ曲を何度も歌うことを余儀なくされたデビューコンサートのセルフ・オマージュなのだろうと理解る。1年目のペーペーにもしっかり楽しめるよいコンサートだった。バンドでの演奏時間も長くて良かった。「10周年でいにしえの楽曲に多く尺をとる=自担には歌唱パートが配当されていないので扱いを軽んじられる」という危惧が岡本担にはあったが、バンドセッションなどの見せ方によって杞憂に終わった。『Sweet Liar』のラップパートでは新たに「歌を演じる」という側面を強く魅せてくれた。歌詞にあわせて口元を覆い隠したり人差し指を唇にもっていくマイムは実に私好みのそれで、歌唱だけに留まらない表現力の巧みさを感じさせた。
 ケイティに会うことは叶わなかったが、あれは『DEAR.』ツアーだからこその存在であって、それ以降はすべて蛇足だとも思えたのでよしとした。
 夏を越え秋になり、予想通りドームツアーが発表された。2015年の「やまけと」運命の地である京セラドーム、地元でありクリスマス公演のナゴヤドーム、そして年末年始の東京ドームだ。今度こそ地元公演とオーラス公演に入りたい。アリーナツアーが友人のJUMP担としての最後の公演だったため、私はたったひとつの名義で戦いに挑むこととなった。
 幸いにもアリーナツアーではピクリともしなかった私の名義は息を吹き返し、京セラドーム初日公演に滑り込めることが決まった。初日は予想外だがこれはこれでありがたい。しかしクリスマスとオーラスはどうする? 意地でも入ると決めた2公演を求めて「譲ります」ツイートをほうぼう探し回る日々が始まった。
「次のアニバーサリーまでに何が起きているかわからないから、このドームツアーには全力で挑む」そう心に決めていた私がまずしたことは、双眼鏡を使うためにコンタクトレンズを作ることだった。裸眼視力ゼロコンマ以下のド近眼かつ、保存液をどうこうするなど「細かなケアーを日常的にすること」とかく苦手な性分のため、私は小学生以来ずっと眼鏡で通してきた。だが双眼鏡は構造によっては眼鏡装備だと使えない、ということに、これまでのコンサートで友人の双眼鏡を拝借したとき気づかされたのだった。私は眼科に赴き、ワンデイのコンタクトレンズを作った。眼科の担当者にも「コンサートで双眼鏡を使いたいのでコンタクトを作りにきた」と話したが、よくよく考えたらそんな打ち明け話をする必要はなかったのではと今になって思う。
 それから双眼鏡を買った。LDH系の何某のコンサートをナゴヤドームでやっていたとき、隣のイオンモールで叩き売りされていた安価な品だった。元来大雑把な性格ゆえ、ろくに使いこなせない可能性もあったため、大きな出費はひとまず避けることにした。もし物足りなければ上のクラスのものを検討すればいい。
 パリピの妹から「ガチやん」と嘲笑を受けつつ、休日に何度かコンタクトレンズで過ごす日を設けて体を慣らし、私は12月の到来を待った。
 11月のデビュー日。ド平日公演をひと月前に告知という地方の社会人を千切りキャベツにするような日程で記念イベントが開かれた。一斉更新された『JUMPaper』での自担の記事は、いつかのいきなり激白長文更新にも似た味わいで私を悶絶させた。「誇り」というセンテンスがとくに響いた。どうか彼が胸を張って、王の隣に並び立つ日が来ればいいと、このときばかりは柄にもなく祈った。(当のイベントではクイズコーナーでペアを組み並んでワイワイしていたという。泣かせる話である)
 京セラ公演には城ホのお返しもかねて友人と入った。関係者以外まだ誰も知りえない公演内容を一番に見ることができる、初日にしかないときめき、というものを生まれて初めて意識した。終演後、「サマリー! サマリー見ちゃった!」「菊池風磨のやつじゃないサマリー!」と騒ぎながら大阪駅へ急いだのも思い出深い。アリーナツアーをよりボリュームアップさせた内容で、メドレーも良かった。なにより『Beat Line』から『FOREVER』をつなぐアクセントダンスパートの「やまけと」がペアで踊る部分が素晴らしい。ユニットも終えてしまった今、二人がただ二人だけのステージで二人だけのパフォーマンスでスポットライトを浴びる姿をこの目で拝める日が来るなんて思わなかった。
 なんとしてもあと2公演は確実に入りたい。その一心で日夜タグ検索巡回に精を出し、地道なアタックの果てに、なんとか2公演とも、定価で譲っていただける親切な方にめぐり合えた。クリスマス公演では初めてアリーナ席にご案内してもらうという僥倖にあずかった。『SL』のとりんの絡みに動揺して双眼鏡を取り落とし、親切な方に「大丈夫ですか」と心配された(ありがとうございます全然大丈夫ではなかったです)アンコールでトナカイ帽をポロポロ落っことしながら花道を駆け抜ける岡本さんは素晴らしく可愛かった。
 年末。JUMPが紅白歌合戦初出場トップバッターを勤め上げたのを見届け、カウコンでギタリスト選抜に名を連ねた自担のあまりの格好良さに震えつつ年を越した翌日、親族との会食を済ませた私は新幹線に飛び乗った。目的地は未明に中継で見たばかりの会場、東京ドーム。ツアーオーラスの元日公演のアンコールに、果たして“彼女”は現れた。ケイティではなかったが、とても美しい人だった。

そうして迎えた2018年。

 やりきった。という気持ちを抱え、私は翌朝、自宅へ帰り着いた。
 3大ドームを制覇し、オーラス公演にも入った。運よく間に合った10周年スペシャル期間のためにすべきことはすべてやりきった。自分にできる範囲で最大限、自担の作曲した記念碑的楽曲のパフォーマンスを見ることができた。私はひとまず満足していた。
 大きなツアーを終えて、JUMPは平常運転に戻った。それはファンにとって、だらだらとレギュラー番組や雑誌、ラジオの類を消化しつつ、ツアー円盤発売と次のツアーの発表を待つ裏で、「匂わせ」やら週刊誌報道に目を光らせてギスギスしたり、新しい、若い、もっと楽しそうなコンテンツに移動したまま帰ってこなかったりする、という意味である。

 自担にも大小さまざまな報道があった。とくに大きく余韻を引いたのは、大学を除籍になったというニュースだ。
 私としては「まぁそうなるだろうな」程度の感想だった。彼はもともと勉強がしたくて進学したわけではなくて、先輩の伊野尾さんと同じく「この仕事を続けられるか不安だったから」という消極的な理由が大きいだろうと思っていたからだ。迷走した原因も察しはついている。彼が入学した翌年の2013年、彼らのグループは大きな決断をして、再デビューとも言える行動を起こしている。それを契機に2014年、2015年と大きな仕事を掴み、破竹の勢いを付けて今の位置に躍り出てきたのはご存知の通りだ。そしてその間、彼はどのみち遅れをとることになった。タイミングが悪かった、としか言いようがない。
 何故かちまたでは「卒業しさえすれば道は拓ける」という言説がささやかれていたが、「なんの根拠があってそんなことを言っているんだろう」と私は常々思っていた。先輩の伊野尾さんは別に「卒業したから」売れたわけではなくて、顔がいいことをV6の岡田さんによってバラされたから売れたのだ。大卒要素は副次的なものでしかなく、売れたあとに、さらに売り込むことで真価を発揮したのだ。彼は本当に、本当に頭が良かった。
 岡本さんが円満に卒業したところで新たな仕事はないだろう、というのが私の見立てだった。英語、その他多言語に通じているというキャラクターはデビュー当時から持ち合わせていて、就学によって獲得したものではないからだ。肝心なのはどう使うか・使われるかであって、現在のバラエティーでの扱いを見れば、「使いこなせない」ことが明白だった。制作サイドに多言語をまともに扱える者がいないことも、間違いだらけの字幕テロップを見ればわかることだった。あれは誰にも欲しがられていない能力だった。結局、彼は2014年の休学中にも、除籍されてからも、特に何があるということもなかった。
 私にとって問題なのは彼自身ではなかった。ファンダムの反応だ。
 報告した場についていえば、『女性セブン』は今年のカレンダーの製作に関わった、多少なりとも世話になってる雑誌で、そんじょそこらの週刊誌とは違う立場だ。彼はそこで公的なものとしてしっかりと語っていた。公式WEBブログだと課金勢しか触れられないし、あのブログに載せるのは吉報・福音のみでいいと個人的には思う(他のメンバーもその直後の更新をしづらいだろうし)(「留学」についてのメッセージを月末ギリギリにしたのもそのためだろう。月が替わればページが切り替わり、余韻を引きずることもない)
「なんで他の子ができることをあなたはできないの」という言葉は色々な事情で「そうできない人間」を全員殺して回る言葉だ。他人の想像を絶するような状態で戦っている人がいる、ということをまるで考えない、傲慢で非情な、心無い言葉だ。
「愛があるから、あえて厳しいことも言うのだ」と考える人もいるだろう。私は「そんなものは“愛”じゃない」と言うつもりはない。「愛」は「愛」でいい。だが「“愛”がすべての免罪符になると思ったら大間違い」だということだ。体罰もストーカー殺人もDVも、「愛」の名のもとに行われる。「親のように身内のように想っている」というが、「殺人は親族間が一番多い」ということも闇雲な家族信仰を始める前に知るべき事柄だろう。
 一部ファンの言動からは、わが子可愛さに暴走する「モンペ」というよりも、我が子を思うまま支配したいあまりに害をなす「毒親」のメンタルに近いものを感じとれた。どちらにせよ、そしてアイドルのほうが何と言っていようと、ファンは決して担当の親じゃないし、恋人でもないし、ましてやプロデューサーでもない。そのことを理解っているのかすら危ぶまれるような言動を数多く見て、私はファンによる過剰な「ごっこ遊び」が生理的に受け付けられなくなっていった。
 私は、あれら一連の週刊誌報道のうち、いわゆるスキャンダルだと思っているものはひとつとしてない。とりわけ女性関係のそれについては、歴としたリベンジポルノの類いであり、場合によっては自殺者が出るほどの性加害であり、彼は被害者だと考えている。それを取り上げて「プロ意識が」「危機管理がなってない」だの「人を見る目を持て」などと宣うのはセカンドレイプとも言える愚行であり、批判ではなくただの誹謗中傷であり、人を人とも思わない、人道に悖る行いだ。(「多少遊んでもいいから人を見る目を~」が、冷静な風でいて一番タチが悪い。人の顔に「私は個人情報を売り捌く極悪人です」と書いてあるわけでもあるまいし、そういった自衛論は要するに「起こってしまった悪い結果だけを見てそう口を挟めば自分はクリーンでいられる」という、下種な心を満たしたいだけの振舞いなのだ)
 あの記事を否定的に捉えずとも、それを楽しんで消費した者も同罪だ。生きている人間からむしりとって食べた生肉は美味しかったか?
 これらを暴力だと認識できないならば、そんなファン・オタクを生み出し許容するアイドルという機構は、やはり邪悪な文明であると言わざるを得ない。
 むろん、私とて例外ではなかった。某バンドメンバーのライブ配信に映りこんでしまった一件のことだ。
 私はあれを見てとても安堵した。彼が大切なお誕生日の席に友人として招かれて、圭人、圭人と口々に名前を呼ばれ、写真映っちゃいけないんだよな、と気を遣われ(結果的に映ってしまったが気を遣ってもらっていたのだ。早くなくなればいいのにあの制度、と私は常々思っている)、それにニコニコほやほやと力の抜けた返事をし、ただ存在を肯定されている姿に、どうしようもなく、むちゃくちゃに安堵してしまった。あのバンドメンバーたちのことを、JUMPを意識するより前にライヴに行って見知っていた(どちらも良いライヴをするバンドである)こともあるだろうが、公式ブログや雑誌で披露された編集済みの、本当かウソかもわからないメンバーとの日常や、たいして知りもしない先輩や後輩、家族とのエピソードよりもずっと、ずーっと確かなものとして、彼の安息を感じ取れたからだ。
 何にせよ、私はあの一件に1ミリも悪感情を抱くことはなく、そして、そのためのものとして与えられる虚構だけでは飽き足らず、己の理性を塗りつぶす感情によって、彼の生の肉体を消費してしまった。彼の日常のひそやかな楽しみを、おろし金でズタズタに擦り潰し、シロップをかけて、美味しく平らげてしまった。

 私が好きな人は、こんな狂った世界に居てはいけない。明日にでも辞めて、海の向こうの誰も知らないところでのんびり暮らしてほしい。
 改めて、そう強く願った。

 あの一件からしばらくもしないうちに、ジャニーズ事務所はWEB上の写真媒体広報を解禁した。舞台挨拶の集合写真から存在を抹消されなくなり、番組の公式SNSに出演者として姿を見せ、雑誌の表紙が塗りつぶされなくなり、Jr.がYOUTUBEチャンネルを持った。馬鹿みたいだなと思った。(元書店員としてはあの制度に迷惑しかかけられていないためとにかく禍根が深い)
 4月1日。自担を意識してから二度目の誕生日を迎えた。WEB広報解禁の流れによって、この日ようやく、ようやくradikoでジャニーズのラジオを聴くことができるようになった。エリアフリーにもタイムフリーにも対応している。違法アップロード音源に頼らなくて済むのだ。
 私はひとつの決意を胸に、リアル知人関係としか繋がっていないプライベートなアカウントとは別の、眠っていたTwitterアカウントを掘り起こし、おおっぴらに推しドル、推しバンドの話をする場として整えた。公式がWEB広報を解禁しないうちは、WEBでファン活動することは違法行為に手を染めるのとほぼ同義だったためだ。また、SNS上でチケット交換などのやりとりをするにあたって、身元の保証をより確実にする環境が必要だったこともある。違法視聴の話はしない。雑誌の記事もセンテンスの一部引用にとどめる、などのルールを己に設け、TVや雑誌、ラジオの感想を好きに呟いていった。

 アニバーサリーツアー円盤の発売予定が公表された。三形態。誰しもが諦めかけていた2015年京セラドーム、2016年東京ドームのカウコンがこの期に及んでまさかの収録となり、さらに待望のメイキングドキュメンタリーもついてくる。WEST等の円盤には当然のようについてくるそれがアリーナツアー本編映像と恒例のソロアングル集を犠牲にしてようやく特典となった。久方ぶりの純然たる吉報に界隈は沸いた。
 私個人は正直言ってメイキングにはあまり期待していなかった(自担はメイキングカメラに映らないことが多い)何より嬉しかったのは京セラドームのカウコンだ。『314~ゴールイン篇』ともいうべきパフォーマンスをこの目で拝むことのできる僥倖にあずかり、某ストームの仕事をほんのりと讃えた。
 この2ヶ月間は、自担G以外にも本当に色々なことが起こった。ここで個別に言及はしないが、私がジャニーズに興味を持った、たった2年ばかしの間に、これほどのことが起きるのかというくらいのことが立て続けに起こった。2年のうちに10年分くらいの経験をした気がしている。
 平成の終わり、大きな節目の時に居合わせるということはこういうことなのだろう、と思った。その点に関しては、最高のタイミングで誘い出してくれた友人と、今まで「降り」ずにいた己の往生際の悪さを褒め称えたいと思う。

「件の報道」が耳に入ったのは6月20日の夕方ごろだったと記憶している。

「ついに来たか」と、中二病が書いた漫画のキャラクターみたいなことを漠然と思った。ここ十数ヶ月ひそかに抱いていた淡く昏い期待の、その通りのことが起こるかもしれない。一方でそれなりにショックを受けてもいたが、3年前のだいたい同じ時期に、宇宙一推していたバンドが何の前触れもなく事実上の解散を発表して1/3になりその二年後に3倍になるという経験を越えても私はピンピンしていたから、事実をそのまま受け止められるだろうと自負していた。
 ツイッターランドに住まうみんなたちがいつ届くともわからぬ続報に恐れおののき震えていたこの数日間、私は淡々と日常を過ごしていた。(こんな時にでも新曲のリリースニュースは普通に投下されるのだから面白い)
 真逆の願望を抱えた私たちは、やがて同じ夜を迎える。

6月23日。

 10年来の友人と鑑賞会を企画していた。彼女はJUMPからセクゾに降りていて、また、それまで推していた女子ドルグループへの熱が、いろいろあって再燃してきたところだった。私生活でも大きな環境の変化へ向けてのもろもろの準備があって忙しそうにしていた。それゆえだろう、彼女は「件の報道」についてまったく知らなかったらしい。そのおかげでとくに気を遣われるということもなく、『イノセントデイズ』のヤバイMVとメイキングを見て「この監督ヤベーやつだな!」と騒いだり、「互いを尊く思う」ふまけんにガタピシいったり、『シンデレラガール』MVのメイキングで岩橋さんの可愛さとじぐいわの完成度に唸ったり、意外なところでかいちゃんがツボだったり、セクゾ3人時代のコンサートDVDを見て様々な感慨に耽りつつ、バックについていた神宮司くんがすでに完全体であったことに戦いたりした。「じぐいわとマリ」って「男夫婦と娘」の構図だな、なんてことを思ったりもした。
 彼女の推している女子ドルは昨年、メンバーひとりの急逝と、もうひとりパフォーマンスの要となるメンバーの脱退を経験し、その上でさらに力強いグループとなっていた。脱退メンバーの最終公演の翌日に現メンバー6人で新体制初公演をする、という構成も凄まじかった。彼女たちの境遇が「苦境を乗り越えて強くなる」というような「感動ストーリー」に回収されることをを私も友人も拒否していたが(乗り越えなければいけない苦境苦難なんてない方が良いに決まっている)新体制に向けて心境を語るメンバーたちの姿は胸に来るものがあった。主に歌唱面でのパフォーマンスの要であったメンバーを欠いた状態で、彼女たちは圧巻のステージを見せてくれた。
 思い出すのは2ヶ月ほど前のこと。不定期開催の鑑賞会。前回は4月14日だった。その日、私たちはずっと見たかった関ジャニ∞のコンサート『ジャム』のBDを鑑賞した。週刊誌の話もした。「すばるくんがレコーディングにずっと付き合ってくれた話」がMC集に収録されていたことを想いながら、どうなんだろうね、まぁいうて週刊誌やんか、と、のん気に話していた。渋谷すばるの脱退・退所発表会見はその翌日だった。
「明日あたり何かが起きる。」鑑賞会の準備をしている段階で、そう私は予感していた。ほとんど確信していたと言ってもいい。

 鑑賞会を終えたあと、私たちはいつも通り鳥貴族にいって記憶を肴に飲み会をした。「例の報道」にはここで初めて触れた。それから色々な推しの話をした。2時間ばかり過ごした20時頃、なんとなくツイッターを覗いた。「メンバーからのお知らせメール」の話題で埋め尽くされていた。
 感想はといえば「おお、思ってたより半日早かった」だった。
(何故か私のアカウントには件のメールが来なかった。今もって、来ていない。)
 体調のこともあって早めに切り上げたい、と申し出た友人の提案をうけ、私たちはそこで飲み会をお開きとした。酒も入れていて異様な興奮状態にあった私は、彼女の身を案じることもせず「とりあえず今日は22時までここ(スマホ)で付き合ってくれ」とつい頼みこんでしまった。彼女は快く引き受けてくれ、「ではツイッターランドでまた会おう」と言って、私たちは駅で別れた。
 運命の22時。案の定鯖落ちしていた。おまえ2ヶ月前と同じやないか増強しとけや、と思いつつ待つこと数分。スマホでネット徘徊していた母親から先に概要を告げられるという大変残念な流れでことの次第を知った。
 ご想像の通り、私は「えー、辞めないんか」と思った。「辞めさしてもらえんかったんか」とも思った。ツイッターランドはショックと安堵と、何がなんだかよくわからないエモさによってカオスを極めていた。泣いたり怒ったり泣いたりしていた。みんな可愛いなぁと思った。ここ数日間のツイッターランドのみんなたちは本当に素直で可愛かった。私は一生、こんな風に可愛くなれないんだろうなと思った。

 私はまともな判断能力のない未成年の頃に始めてしまったことの責任を一生とり続けなきゃいけないなんて異常だと思う。未成年のやらかしたことを未成年に謝らせることも。プライベートを私的領域を切り売りされて、されて、された側が「プロ意識が足りない」などと詰られることも。全部、ぜんぶ、常軌を逸している。この業界は気が狂っている。
「どうして」「行かないで」「寂しい」と叫ぶファンと同じように、そんな狂った世界に自担がいて欲しくない私は、私のエゴでもって、彼に「脱退」してほしかった。
 だって「最初から全部間違っていた」んだから。
「本来そうあるべきだった姿」に戻るだけなんだから。

 メッセージ動画が公開された後、「“最悪の事態”は免れた」とひとは口々に言った。私の中の“最悪”は、「彼が生きていたいと思うことを止めてしまうこと」だった。
 ただ健康で、日々幸せを感じて、生きていてくれさえすればいい。
 あの日、鑑賞会後の飲み会で、友人とそのことについて語り合った。彼女は女子ドルの最推しを去年、病気で亡くしている。本当に突然のことで、ふがいない私は当時、彼女にかける言葉を何一つ持たなかった。
 彼女は同じ推しをもつ仲間が集う場で「みんなの口から“会いたい”という言葉が出るたびに“会えなくてもいい、生きていてくれれば”と思う」と語った。十数年間お互いに様々なジャンルのオタクをやってきて、ほとんどジャンルも推しも被らなかった彼女とこうして一緒に楽しめるのは、オタク以前に、人としての基本的な考え方が一致しているからだろう。(あとご飯の趣味が一緒。)(京セラドーム公演からの帰りに駅でテイクアウトのオムライスを買ったとき、二人して変わり種の明太子オムライスを注文したのには笑った。またいつか遠征しようね。)
 ただ健康で、日々幸せを感じて、生きていてくれさえすればいい。
 それがこの場所で果たされないことならば、果たされるために、果たせうるところへ行ってしまっていい。姿を見せてくれなくても構わない。二度と戻ってこなくたっていい。JUMPを辞めて、ジャニーズを辞めて、アイドルを辞めても、全然ちっとも構いやしない。それが「逃げ」だというならば、逃げてほしい。逃げて、逃げて、逃げて、どこまででも逃げて行ってほしい。逃げた先で幸せになってくれればそれでいい。逃げ損ねて自ら命を絶った人だっているんだ。逃げて何が悪い。
「闘う君の唄を/闘わない奴等が笑うだろう」なんて歌があるが、逆転しても同じだ。戦えと焚きつける連中は、戦った結果再起不能になったところで誰も責任をとりやしないのだ。
 そしてもうひとつ、これは私自身の問題意識によるもので、今回たまたま利害が一致したに過ぎないのだが、私は推したちに、今のこの国からなるべく離れてほしいと思っている。遠く遠くに行ってほしい。ここは本当に嫌な国になってしまったから。私は私の好きな人たちに、嫌な国の、嫌な組織の、嫌な企画や番組の広告塔になってほしくない。
 これもジャニーズに関わるようになったとき、ある程度は覚悟していたことだった。けれど、事態は2年前想定していたよりだいぶ酷い方向に進んでしまっていた。某先輩グループの一連の事件と、その後SNSで起きた無思慮なムーブメントも記憶に新しい。「“国”や“地方自治体”の威光を背負うとロクなことにならない」と改めて実感できる案件だった。だから、2年後の夏のアレはもとより、宮城県の観光誘致プロモーションも、(八乙女さんには悪いが)正直そこまで歓迎できるものではなかった。伊野尾さんの銀髪が某誘拐擁護マンガの実写版キャストとしてだという噂が立ったときも嫌で嫌で仕方なかった。本当なら企画自体ポシャれと何度も祈った。(祈りが通じたのか、キャストは別人だったし、番組は一部地域を除き放送見送りになった。「いのおくんが宇宙人でよかった!」が今の私の口癖だ。)
 彼は最低2年間、日本を離れるという。戻ってくるのは2020年9月。最悪の夏の、何もかもが過ぎ去った後だ。この事実はあまりにも朗報だった。おそらく23日夜のツイッターランドで、このことについてただひたすらに喜んでいたのは私だけだったろう。
 彼の「留学」に関して、幸いにも、私は何ひとつとして困ってはいなかった。
 寂しいとも辛いとも思わなかった。泣きも喚きもしなかった。
 逆にそれまでが、恒常的に、しんどくてしんどくてしんどくて、しんどかった。
 彼自身のせいではない。彼の置かれた環境。彼を取り巻く事象現象のすべてが、しんどかった。

私は「アイドルのオタク」にはなれなかった。

 というか、「アイドル」という機構そのものが、私にとって受け入れがたいものだったのだと、この2年で身をもって理解した。
「アイドルでいてくれてありがとう」なんて一度も思ったことがない。
「アイドルをしているあなたが好きだ」なんて一度も思ったことがない。
 ただ、彼はたまたま「ジャニーズのアイドル」としてそこに居て、私はそれを見るためにFC会員になったし、様々なコンサート会場へ向かった。歌番組やバラエティ番組を録画したくて、新しくHDDレコーダーも買った。雑誌を買った。ジャニショで公式写真を買った。闇写は悪い文明だから買わなかった。ラジオを録音した。鑑賞会をした。ロケ地巡りもした。「同担」の人と会ってささやかな「自担の誕生日会」もした。二次創作もたくさん書いた。
 そのつどつどに凄まじいまでの享楽があった。そして常に、表裏一体の絶望があった。
 それだけの話だ。

 ジャニオタを名乗るつもりはもうない。(と、言うか元より名乗っていたわけでもない。どのジャンルにあっても、私は大きなコミュニティに属することができない性分で、自称を要する場面もなかった)
 FCは来年も再来年も更新するだろう。少なくとも公式に、彼の籍のあるうちは、彼の名前に金を払う人間がいることを「失敗作」扱いした運営に知らしめておく必要があるからだ。
 他のメンバーたちへの恨みつらみはない。スケープゴートにされていたことも、あくまで「ニンゲンの寄せ集めが持つ構造上の問題」なのであって、個々のメンバーには感謝しこそすれ、悪感情など持ちようがない。特に山田さんはよくやってくれたと思う。二人ともに並々ならぬ努力した、と思う。けれど、努力だけでどうにかなるような世界じゃあないこともわかっていると思う。他でもない岡本圭人自身が、JUMPというグループ自体が「どれだけ努力を重ねたところで何も関係ない部分で出し抜かれる」ことの証左として、他人を踏みにじりながらデビューしてきたのだから。

 二度と帰ってこなくてもいい。帰ってきたかったら帰ってきていい。そもそもこのような言葉を並べ立ててジャッジするような立場にある者は誰もいない。すべてが無意味だ。
 彼が「留学」する2年間もあっという間に過ぎるだろう。これまでの2年間があっという間だったように。
 彼を知ってからの2年間に、大きな変化は起こらなかった。「留学」しなかったとしても、この先の2年間に大きな変化はなかったと断言できる。8人体制のJUMPも、とりたてて変わり映えなく、何事もなく過ぎ去っていくだろう(むしろ枷が外れて、これまで以上に高度なことを始めるのかもしれない)2年間不在だったところで、「10年かけて作り上げた埋まらない溝」に変化があるとは到底思えない。
「留学」によって「居場所がなくなる」という言葉を内外で散見したが、私はその意味せんとしている事柄にいまいちピンときていなくて、たとえば「歌唱パートを与えない」とか「ダンスの見せ場を作らない」とか「カメラで抜かない」だとするならば、ぶっちゃけ「今までと何も変わらない」のだ。これ以上減らすところがない。双方ともに、失うものより得るもののほうが大きい、そう判断できたから決められたのだ、と。私はそう思っている。
 何も起こらなかったし、何も変わらなかった。
“GOD'S IN HIS HEAVEN ALL'S RIGHT WITH THE WORLD”
「神は天にいまし、なべて世はこともなし」

 以上が「この2年(実質1年半)の間に、“私が見てきたこと、感じたこと”の総て」である。

 最後に、岡本さんへ。
 私は何よりあなたの歌声が好きです。
 それがどんな形であれ、もし、また歌いたくなって、
 歌を聞かせてみてもいいかなって思って、
 そんな場をどこかに設けてくれるとしたら、
 そのときは絶対聴きに行きますので、
 事前に教えておいてくれるとありがたいです。

 あと、もうひとつ。
 間違った道だったとしても「これはこれで青春映画だったよ」っていうようなバランスが好きです、僕は。