王と道化とその周辺

ちっぽけ嘘世界へウインクしておくれよBaby

それでもやっぱり私が『Jr.大賞』に参加したくない理由

今年もこの季節がやってきた――。

 と、ツイッターランドのJr.担たちがにわかに騒ぎ出した。年に一度開かれるイベント。『Myojo』誌上で催されるファン投票企画『ジャニーズJr.大賞』の投票が始まるからだ。
(以前アップした記事「川島如恵留さまを通して見る“ふまけん”試論」において如恵留さまのコメントを取り上げた企画『ジャニーズ大賞』は、デビュー組含むタレント同士で投票し合う、いわば本戦開始前のエキシビションマッチのようなものである。)
 これまで所謂デビュー組を推していて、Jr.界隈にはほとんど触れてこなかったワタクシの耳にもこの企画の噂は届いていた。届いてはいたが、推しが投票対象でないうちは完全に他人事だった。それが今年になって投票対象グループであるTravis Japanを推しはじめたことで他人事ではなくなった。推しの情報収集をしていれば、否が応にも大賞の話題が飛び込んでくるし、投票対象であるアイドルの側からも、個人ブログで自信のある部門への投票をファンに向かって呼び掛けはじめる。それほどまでに、Jr.にとってもJr.担にとっても重要なイベントであり、ひとつの祝祭なのである。
 

そして、この企画における最高の栄誉が『恋人にしたいJr.』入賞だ。

『ダンスがカッコいい』『いちばん美声』『オタクっぽい』『生徒会長になってほしい』『エゴサーチしてそう』など、パフォーマンススキルからさまざまな属性、シチュエーションに至るまで事細かに分かれた部門が設定され、読者がそれに該当するJr.の名を挙げていき、得票数によって一位を決める――この企画において最大の目玉であり、解答用紙の最も上部に記入欄を設けられ、結果発表にも最も多く誌面を割かれ、この賞における順位如何によって今後の『Myojo』誌面での扱い、その他もろもろの待遇までもが左右されるらしいとまことしやかに囁かれる部門。実質的にJr.全体の「総合人気投票」ないしは「総選挙」であり、この部門でランクインし大賞を獲ることはJr.にとって最高の誉れであり、その肩書きは価値の高い称号となる――それが『恋人にしたいJr.』なのだ。
 これこそが本記事の主題である。つまるところ私は「『Jr.大賞』における最高の栄誉が『恋人にしたいJr.』であるうちは『Jr.大賞』に参加したくない」のだ。
 

「アイドルを応援する」という行為に「恋愛感情」は必要か

 ワタクシの答えは明確に否、ノーである。推しは推しであって、仮想恋愛の対象ではない、というか、現在ワタクシに「恋愛対象」はいない。将来的にもおそらく、恋人に当たる関係性の相手を持たないまま一生を終えるだろう。
 これまで生きてきた中で最後にそういった意味合いで他人を好きになったのは十ウン年前、相手は同級生の女子だったが、卒業後は完全にそういった欲求が枯れてしまった。あるいは、かつて感じていた「恋愛」のような情動はすべて「気の迷い」で、元来わたしの中には存在していなかった、とも言えるかもしれない。
 実感として、どうしても恋愛・性愛という概念をリアルなものとして身近に思えないのだ。ドラゴンやユニコーンのような、原稿用紙の上にしか存在しないファンタジー、もしくは古生代の生物のようにすでに絶滅した化石的概念だと思っている。そういう人間なので、最も価値があるとされる称号が『恋人にしたい』であることに抵抗がある。だって、いちばん好きで推してる推しだけど、別に『恋人にしたい』とは思わないから。推しや推し以外のアイドルの誰とも、この世のすべての実在する人類と、お付き合いや結婚をしたいと思わないから。ただただ、応援しているだけなのに、歌声が好きで、ダンス・パフォーマンスが好きで、ブログや雑誌や動画の中で紡がれる言葉が好きで、色んな表情をみせてくれる顔ももちろん好きで、見ていたくて、それだけなのに、どうしてそこにわざわざ「恋愛感情」というラベルをつけてアウトプットせねばならんのだ、と思うから。
 これはけして、アイドルに「恋愛感情」をもち、『恋人にしたい』部門へ推しや推し以外の恋人にしたいアイドルへ屈託なく票を投じることができるオタクたちの心情を否定しているわけではない。「ジャニーズ」という存在自体、「ドル誌」というメディア自体がそもそも、シスジェンダー(肉体の性別と「社会からこう扱われたい」という性別が一致しているということ)でヘテロセクシュアル異性愛者)の女性に向けた、シスジェンダーヘテロセクシュアルの男性アイドルを疑似恋愛対象として見ることの許されたコンテンツであることもわかっている。平時の誌面で組まれる特集などをみれば、「好きなタイプの女子・異性」についての話題、さまざまな恋愛シチュエーションの話題、そういうものを主軸に構成されているとわかるし、一部少数派への燃料として定番の「付き合いたい・結婚したいメンバーは?」なんて質問も、自分か相手か、どちらかの性別を変えた仮定で語られることがほとんどだ。なんかね、意外と知られてないみたいなんで教えときますけど、別に双方男のまま、同性同士でも結婚できるんですよ! イングランドでもオランダでも台湾でもドイツでも! ごめんちょっと話ズレた。
 ともかく、コンテンツの主力客層が「そこ」であることも、それの求めるものを大きく打ち出すことも別に問題はない。そういった記事や『恋人にしたい』部門を丸ごと全部なくしてほしいわけでもない(『彼氏にしたい』じゃなくて『恋人』と表記してる点においてむしろ配慮されてるとさえ思う)し、シスジェンダーヘテロセクシャルな人たちも多様な社会の構成要素のひとつなのだから、Xジェンダー性自認があいまい・不定)でアロマンティック(恋愛的に他人に惹かれない)の僕なんぞに構わず存分に推しへ恋していってくれればいい。ただ僕は、読者投票企画における最高の栄誉として極めて限定的な性指向にかかわる部門をピックアップすることをやめてほしい 、それだけなのだ。これが実質「人気投票・総選挙」で、この結果如何で今後の扱いが――デビューの可能性さえ見込まれるというほど重要なものであるならば、シンプルに『いちばん好きな・応援したいJr.』という名目では何故いけないのでしょう?  恋愛対象としての部門、『リア恋枠』と被ってるし。
(恋愛自体がそもそもリアルでないぼくにとっていちばんよくわからないのが「リア恋」なんですけど、『恋人にしたい』と『リア恋枠』の差って何なんすかね?)(もし仮に『弟にしたい』と『リアル弟にしたい』の両方あったらどう区別するのか、気になりますよね。「リアル弟とは?」ってなりませんかね?)
 
 も~っと直截に言っちゃうと、「性愛の対象として見ること、見られること」が対人(とくに異性の)評価で最も上等だ、という価値観が受け付けない。昔から、好きな二次元キャラやタレントやバンドマンに男の名を挙げるたび、「そういうのと付き合いたいんだ」「結婚したいの?」などと言われ、何度もなんどもウンザリしながら否定してきた。否定しても否定してもしつこく追及されるし、なんでか「自分に自信がない/自己肯定感が低い人」みたいな扱いを受けるので(なんで? シンプルになんでそうなる?)そういう話をするとき身構えるようになった。なにかのファンであるという好意的主張に「相手への性愛的欲求」を前提として盛り込むはよしてくれ。そして私が異性愛者であるという勝手な思い込みを捨ててくれ。
 偉い詩人の先生の講義で「異性と恋愛関係になることが想像できないし、これからも別に必要ないと思う」と発言し、先生から「それは異性と今後一切関わりを持ちたくないということ?」と返されたときは「なんでこの人すべての対異性の人間関係が恋愛に帰結すると思ってるんだろ」と思った。性愛をテーマにした作品を書いてらした先生だったので、自らの作品の普遍性が揺らぐとでも思ったのかもしれない。「男女間の友情は成立しない」みたいな言い回しもある。この考え方は「同性間ではけっして恋愛関係に至らない」とセットで、「恋愛しない/したくない人間」のことは端から眼中にないわけだ。いや~どれもこれもものっそい浅はかで貧しい考え方だとぼかぁ思うんだけどなぁ。
 そんな私にとって「推す」という単純な行為の名詞化である「推し」は、何にも色付けされていない概念として画期的な発明であったのだ。推してるから「推し」。疑似恋人でも疑似家族でも疑似友達でも疑似職場の先輩・後輩・同僚でも疑似宗教の教祖でも神でもなく「推し」。単純明快だ。(ていうかセクシャリティ関係なく推しは推しって人もいるよね? シスジェンダーヘテロセクシャル自認でも「自担、仮定としても『恋人』じゃあないな~……」って人、ホントはけっこういるよね?)
 ツイッターランドを見渡すと、この部門での得票することの重要度の高さから、推しのいるグループ内の特定のメンバーへの組織票を呼びかける向きさえある。己の趣味嗜好を捻じ曲げ、本来の「恋愛対象」ではない相手に票を投じることを推奨されるほど形骸化してしまった部門ならば尚のこと、余計な概念はとっぱらってくれた方がわかりやすい。例えばもっとフラットな『応援したいJr.』の場合、「(今は彼を応援することでグループ全体の利にする必要性があるため)応援する」という理由を立てやすく、票を投じやすいだろう。そもそも組織票は運営の推奨するところではないだろうという点はいったん置いておく。(まぁ金づるなのはFC会員名義の複垢と同じなのでどうせほっとかれるだろうけども)(小声)
 語は正確に扱い、誤解のないように言い回しを考えること。合意していない価値観に対して阿り、媚び諂ったりしないこと。我が推しである如恵留さまならばそうする。私もそうする。「推したちの“恋人”になりたくないから、『恋人にしたいJr.』へ投票はしない」。これが私の思う私の「正しさ・誠実さ」である。
 

と、己の主張がほどよくまとまったところで、

 ふと気づいた。これを機に『Myojo』本誌に投書しちゃえばいいのでは。
 トラジャのオタクの間ではオリジナル曲『Lock Lock』の歌詞の一節である「欲しいなら声を出して」を合言葉に、要望・感想の投書を各メディアへ届けようというムーヴメントが興っている。それはまっこと正しい。「欲しいなら声を出して」いくべきだ。そして「要らないものは“要らない”とキッパリ言う」べきなのだ。「『恋人にしたい』という名目を最大の目玉部門にするの、もうやめにしませんか?」と。ついでに『女子力~』ももう古い価値観なんでやめてもらおう。
 もし仮に僕が既存の項目の中から最高栄誉として与えたい賞を選ぶなら、迷うことなく『いちばんステージジェニック』部門にしますね。総合エンターテナーである彼らにとって、コンサートでも舞台でもあらゆるステージで最も光り輝き、誰からも注目されるような存在に与えられる賞が最高栄誉に相応しいと思う。私が推薦するのはもちろん如恵留さまです。「美しい人いる! と思ったら全部如恵留くん」と7MEN侍の本高くんに言わしめたように、ただそこに立ち、腕ひとつ動かすだけで場の空気を彼のものとして美しく「完成」させる力がある。こういう、もっと開かれた部門が最高栄誉なら納得できるんですよ。推しがステージ上で輝いていないと思ってるオタクなんてまず居ないんだから、それこそ総合人気投票らしいじゃないですか。
 

論末付録:「たかが雑誌の一企画にまじになっちゃって」という人向けの予防線

 すまねぇな、「推し活」は遊びじゃねえんだ。
 800円近くする雑誌を増版されるまで買い込んだりステマシートに選挙運動じみたタグつけて流したり組織票呼びかけのために同グループ担の総意をアンケートでまとめて提示したりその他諸々さまざまに努力をしているみんなたちに喧嘩売ってんのはどっちだか、というおハナシ。まぁそちらサイドからは「細かいことごちゃごちゃ言ってる暇があったら投票しろマジで」と思われてそうで肩身激狭なぼくですけども。
 めちゃくちゃ真剣にやってます。この社会は僕にとって不誠実だらけなので自分くらいは自分に誠実で、正直でいたいっす。
 これホント真面目な話で、別に積極的に事務所からデビューしてほしいとは思っていない(今のギョーカイ社会ひいては本邦が僕の大好きな推しくんたちにちっとも相応しくないため)オタクゆえ、「デビューへの道」としての『Jr.大賞』には正直ぶっちゃけまったく興味はないのだけれど、いま現在リアルタイムの雑誌掲載順やページ数特集回数に影響が出る、となったらちょっと考えなくもないわけですよ。ワタクシ、JUMPさん絡みの2016年末~2018年夏およびそれ以前のドル誌もぼちぼち買い込んでて、解体せずまるごと全部残してあるんで過去の推し記事もチェックできたんですけどまぁー載ってない載ってない(とくに兄組)少クラの収録にも呼ばれなんだったと音に聞く(とくに兄組)。そっから考えれば今、だいぶ状態は良くなっているのだろう。それは9人や8人や7人や6人や5人や7人のトラジャの力であり、それを推していたオタクの先達たちがその時その時の「今」のトラジャを愛した結果の積み重ねによって成る。はっきり見えない5年10年後じゃなく、来月号の特集、再来月の収録、半年後の公演、そういうすぐ先の時間に「今」を出来得るかぎり繋ぎたいという想いだったろう。
 私はあるかないかもわからん遠い未来じゃなくて、「今」、なうの話をしたい。「今」をより良くすることを積み重ねていきたい。今日の「今」、明日の「今」、来週の「今」が大事なのだ。そのために投票したい。でもその企画の作り方に合意できない。ならば意見を伝えて変わってもらうだけだ。欲しいなら声を出せ。要らないなら要らないと突きつけろ。選挙権を行使するのだ。私は推しの恋人にはなりたくないけれど、Travis Japanを如恵留さまを応援しているという一点において立派な有権者のひとりなのだから。